FMラジオを中心に、深みのあるハスキーボイスで数々の番組を担当。2019年には朗読とロックミュージックを融合させた番組「文豪 ROCK! ~眠らない読み聴かせ 宮沢賢治編」(ニッポン放送)で、文化庁芸術祭放送個人賞を受賞した秀島史香氏。ラジオDJを目指したきっかけが、慶応義塾大学での学生時代にあるという。
※日経トレンディ2021年8月号の記事を再構成
〈慶応義塾大学 法学部 1998年卒〉
──10代を米国で過ごしたそうですね。
小学校の高学年で家族と渡米し、現地の学校に通った後、高校から、当時は開校間もない慶応のニューヨーク学院に入ったんです。今では日本からの留学も受け入れていますが、当時は海外在住であることが入学の条件だったので、米国だけでなく、世界各地から生徒たちが集まってきました。それぞれに育ってきた環境や文化、英語のアクセントも異なり、そのような豊かな多様性の中で学べたのは得難い経験でした。
ニューヨークといっても緑豊かな郊外にある学校で、することといえば部活か勉強しかない。先生方も新しい学校を作っていく意欲にあふれた方ばかりで、当時は米国の大学に進む道も視野に入れていたこともあり、この高校時代が人生で一番勉強した時期かもしれません。
──帰国後、慶応大学に進学する際、法学部政治学科を選んだのはなぜですか。
今にして思えば、ものを知らない高校生の憧れでしたが、政治学科で世界のことを学び、外交官になりたかったんです。国際的な仕事をしたかった。けれど、実際に学んでいくうちに、メディアやジャーナリズムを学びたい学生が多く集まる学科だったこともあり、次第にそちら側に引かれていきました。メディアの仕事に就ければ、世界中の色々な人にも会うことができるので。
では、自分はどういうメディアに行きたいだろうかと考える中で、「そういえば、私はラジオがとても好きだったな」と思い出し、この頃には既にラジオDJを目指したいと考え始めていました。そこで2年生から、当時はまだ新聞研究所と呼ばれていたメディア・コミュニケーション研究所に入ったんです。
新聞研にはメディアに造詣の深い教授陣が所属されていて、新聞やテレビ、広告など、様々なメディアを志す熱心な学生たちが切磋琢磨していました。
ゼミの担当教授の菅谷実先生はメディア産業論の権威で、業界とのつながりも深く、放送局へ連れていってくださったり、メディアで活躍中の先輩を授業に招いてくださったりもしました。現場で働く方の声を聞けたことは大きな刺激になりました。ラジオDJになりたいという夢を、「やりたいことをやりなさい」と背中を押して励ましてくださったのも先生でした。
そんな中、在学中に大阪のラジオ局のオーディションに受かり、1つ番組を持たせてもらえたのが転機となり、フリーランスのDJになる道を選びました。
──一般企業への就職と迷ったりはしませんでしたか?
振り返ると、私はそれまですごく石橋を叩いて渡るタイプだったのに、不思議と迷わなかったんです。もちろん、当時は1週間に3時間の番組が1つでしたから、まだ食べていける状態ではありませんでした。
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