マーケティングの分野で活躍する早慶出身者は多い。その代表プレーヤーである2人に、大学での学びが仕事にどう生きたのかを聞いた。エステーで宣伝部長を務めた鹿毛康司氏は早大で「実力以上の自信と行動力」を身に付け、キユーピー上席執行役員の藤原かおり氏は慶大で学んだ「一体感を高める交渉術」が役に立ったという。
※日経トレンディ2021年8月号の記事を再構成
「勘違い男」が世界を変える 早稲田で培った最強の行動力
エステーで宣伝部長を務め、2011年東日本大震災直後の「ミゲル少年と西川貴教の消臭力CM」で社会現象を巻き起こした仕掛け人・鹿毛浩司氏。「生涯マーケター」を志す鹿毛氏が、自身の原点だと語る早稲田大学時代について聞いた。
——入学時の印象を教えてください。
まず早稲田大学に入学できたことが一番初めの驚きですね。僕は福岡県立嘉穂高等学校出身で、高校時代の成績は450人中447番目と絶望的。さらに、1浪して遊びほうけていたら爺さんに「就職しろ」と言われたんです。それが嫌で2浪目は必死に勉強したら、なんと早稲田の商学部に受かりました。
そして入学したら、もっと驚いた(笑)。現役で入っている学生は、とにかく地頭が良いんですよ。入学してから1、2年生時に同じように遊び回っていると、友達は同じ授業の成績で「優」を取るのに、僕は「良」と「可」ばかり。僕は知識をインプットしまくって受験戦争を戦っただけだったので、「世の中にはこんなに地頭が良い人がいっぱいいるということは、僕が他の人と同じことをしていても絶対に勝てないな」と思い知りました。
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そして、この地頭の良いすごい人たちが僕の人生に多大な影響を与えてくれます。3年生の時に広告論を研究する亀井昭宏ゼミに入ることになるのですが、当時の僕はマーケティングに何の興味も無かった。でも周りの優秀な友達が「鹿毛、広告面白いってよ」と言ってるのを聞いて入ったんです。今思えばマーケターとしての第一歩ですね。
当時は珍しい、企業と連携して商品の売り伸ばし方などを研究する内容で、僕は雪印乳業の人とマーガリンなどの販売戦略を学生ながらに考えていました。ちなみに、就職活動では広告系の会社は全滅。ゼミで調べまくっていたために企業研究が完ぺきだった雪印乳業を受けたら就職できた、という縁にもつながりましたね(笑)。
——亀井先生から学んだことを教えてください。。
今でも覚えているのが、「君たちがここで勉強していることは、単なる知識だと思わないでほしい。君たちがどこまで思考するかが問題である」という亀井先生の言葉です。つまり、ゼミでの知識は社会に出た途端に役に立たなくなって、社会に出た後も勉強は続くということです。
大学の教育って、行動と結果をロジカルに結び付けたフレームワークを教えてくれるものが多い。ただ、実は社会でその通りにやっても成功しないことがほとんどです。フレームワークから逸脱するアイデアや行動力が重要で、いわゆる武道でいう守破離(しゅはり)の「守」を学ぶのが大学で、「破」と「離」は社会で実践するものなのです。
僕の場合は守も足りないから海外でMBAを取ったりもしましたが、今になって考えると、亀井ゼミではフレームワークから抜け出すための、頭の筋肉を鍛えていたんだなと思います。亀井先生とは卒業後も継続的に交流があるんですが、「昔は成績も悪くて面白くもなかったけど、今は面白くなったねえ(笑)」と最高の褒め言葉をいただきました。
——現在の仕事につながる学生時代の経験は。
4年生の冬、亀井ゼミの友達の1人がいきなり「鹿毛、スキー旅行に400人連れて行ったら200万円もうかるってよ」と言ってきたことがあります。学生なのに、宿屋と話をつけてきたというんです。僕はスキーをやったこともなかったけど、計画に参加。そして、その友人は参加者を集めるために、ゼミで交流のあった雪印乳業に「ゲータレードの冬季の需要喚起になる」という話を持ち込んで協賛を得ようとも言い出しました。無謀にも一緒にプレゼンに行ったところ、見事に実現できたのです。旅行自体は、人が集まりきらずに赤字になって、旅館の方に「200人は集めたのでなんとかチャラにしてください」と頭を下げて免除してもらいましたが(笑)。
今思えば大学時代は、自分の実力に見合わないことをたくさんやりました。早稲田大学という環境と周りの人が、ボンクラだった僕を「大いなる勘違い男」に仕立て上げてくれたんです。
そして、実力以上の自信と行動力を身に付けた僕は、社会人人生において大それた行動をとり続けます。例えば、1社目の雪印乳業では不祥事があった際に、「改革だ!」なんて平社員なのに旗振り役になったり。
エステーでも東日本大震災直後にCMを仕掛けたり。エステーは広告費の規模でいえば業界で200位に届かない小さい会社ですが、CMの影響度ではトップ10に食い込めました。常識にとらわれない一手を打てるようになった起源は、間違いなく早稲田時代の経験ですね。
そして、すごい人たちと関わることで、3流の僕でも1流なりの仕事、経験ができるという教訓も得ました。だから、取り組む仕事のバックボーンだったり、相手の情報だったり、とにかく事前に綿密な調査をする癖がついています。1流の人と対等にしゃべれる1.5流くらいにはなろうと思ったんですね。
僕はCMを作る際に監督から作曲までこなすマルチプレーヤーですが、どれも専門家というわけではない。1流のスタッフさんが交わることでCMのクオリティーが一気に引き上がるわけですから、その人たちとのコミュニケーションを円滑にする努力は欠かしません。
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