
ロングセラー商品として売れ続けるには、商品の特徴をいかにネーミングで表現し、消費者にイメージや世界観を伝えられるかにかかっている。明治のチョコレート菓子「きのこの山」、まるか食品(群馬県伊勢崎市)の「ペヤング ソースやきそば」、大塚製薬の「ポカリスエット」を例に見ていこう。
高度成長期に郷愁を誘う
きのこの山を開発するきっかけは1970年、明治の小粒なチョコレート菓子「アポロ」の生産ラインの効率化にあった。当時、アポロの売れ行きが思うように伸びず、工場設備を有効活用したかった。そこでアポロを作る円すい形の型にチョコレートを流し、そこにカシューナッツを「軸」として差し込み、きのこのような形にしたチョコレート菓子を考えた。試作を何度も繰り返し、最終的にクラッカーを「軸」にして完成させた。だがチョコレートといえば「板チョコ」が主流の時代にあって、きのこのような形の奇妙でファンシーな試作品には、賛否両論があった。チョコレートとクラッカーの品質や形をさらに工夫し、正式に販売をスタートしたのは5年後の75年だった。
商品化に当たり、最も苦心した点がネーミングとパッケージデザインだった。きのこのような形なので、“きのこ”の文字はネーミングに採用しようとした。ただし、それだけでいいのか。高度成長が一段落し、公害などの課題も見えてきた中で、どうすればインパクトを与えることができるか。そこで出てきたアイデアが、横文字の商品名が全盛の時代にもかかわらず、あえて郷愁や自然、人間の優しさというイメージを付加すること。ネーミングに“山”を入れて“きのこの山”にした。パッケージもチョコレート菓子に多いブラウンなどではなく、緑色の色調を主体に里山を表現したデザインを採用。新たな世界観を生み出すことで、チョコレート菓子の常識を破った。
「今まで高度成長で突き進んできたが、この辺でチョコレートを通じて少し休みませんかというメッセージを伝えたかった。きのこのような形の単なる“きのこチョコ”といったネーミングだけでは我々の世界観は表現できず、ここまでロングセラー商品にはならなかっただろう」(明治のカカオ開発部開発1グループの宮崎翔太氏)
反対の声もあった。本当にこれで売れるのか、といった議論も出てきたが、新たな市場へのチャレンジとして推進。その後のパッケージには「ほっとひといき」の文字を添えた。さらに同じ世界観の商品として「ここらでひといき」の文字をパッケージに描いた第2弾「たけのこの里」を発売。第3弾として「すぎのこ村」も出した。
市場の人気を博すと「きのこの山がいいか、たけのこの里がいいか」といった、いわゆる「きのこ・たけのこ論争」が市場から自然発生的に巻き起こった。どちらの商品が好きかといった調査を明治は実施し、消費者の意識を盛り上げてコミュニケーションに生かした。「当初は、こんな“対立”が生まれるとは思っていなかったが、きのこの山やたけのこの里のネーミングは改めて、日本人にとって適度な距離感があり、シンプルで分かりやすい表現だったと感じている」(明治のカカオマーケティング部カカオコンフェクショナリーグループの船山慶氏)
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