小売業界のDX(デジタルトランスフォーメーション)進展に伴い、施策効果を検証する重要性が増している。施策効果の検証では、POS(販売時点情報管理)データが用いられることが多いが、施策前後の比較や昨年対比といった単純な比較分析で満足していないだろうか。信頼性のある分析手法をどのように選ぶのかを、現役データサイエンティストが伝授する。
さまざまな分野でDXが進展している。小売業界も例外ではなく、デジタルサイネージやビーコンアプリを利用したデジタル施策が店舗で行われるようになってきた。Webサイトのデザインやデジタル広告といったインターネットを利用した世界では、おのおのの施策はA/Bテストに基づいて厳密に評価され、評価に基づいた改善を繰り返すことが競争力の源泉であった。
小売店舗のデジタル対応により、店舗の世界がネット通販の世界に近づきつつある。そうなってもまだ重要なのは、オフラインにおける各施策の効果分析だ。
筆者は店舗向けデジタル・サイネージ・ソリューションであるミライネージのデータ分析担当として、店舗内広告の効果分析に日々取り組んでいる。ミライネージは広告メディアとしてデジタルサイネージを実店舗内に展開しており、2021年9月の時点で、数千台のサイネージが稼働している。
私たちのミッションは、店舗というこれまで広告メディアとみなされなかった領域において、メディアとしての価値を発見して高めていくことにある。そのためには、店舗内広告がもたらす価値を正しく計測・分析し、改善を積み重ねていく必要がある。
オンラインの世界では効果計測の手段としてA/Bテストが使えるケースが多く、施策効果の有無の判定に悩むことは少ない。一方でオフラインにおける効果計測はA/Bテストが困難なことが多く、単純に見える効果計測でも注意を要する。
A/Bテストのような実験ができない場合の効果推定の方法として、因果推論がある。因果推論は21年のノーベル経済学賞の受賞対象にもなっており、近年では企業での活用も増えている。本記事では筆者のこれまでの経験を踏まえ、店舗における購買を記録したPOSデータを利用した効果分析の伝統的な方法から因果推論に基づく発展的な方法までを解説する。
前月比較や前年同期比較は適切か?
デジタルサイネージなどの店舗内施策の効果を計測する際に、真っ先に思いつくのはPOSデータを使って売り上げの前月との比較や前年同月との比較をすることであろう。前月比や昨対比は店舗売り上げの動向を見定める上で重要な指標であるため、まずここに注目することは間違いではない。
しかし、これらの方法は、計算される数字も明確で分かりやすい半面、誤った判断をしてしまう可能性がある。ここでは仮想の小売事業者を考えて前月比較の問題点について考えていく。
この小売事業者は20店舗を展開しており、特定ブランドのビールの店舗内広告を21年7月の1カ月間実行したとする。ただし、全ての店舗で広告を流したわけではなく、事前に選定された10店舗のみで広告を流したとしよう。訴求していたビールの6月と7月における広告あり店舗となし店舗の合計売り上げは次の表1のようになったとする。このとき、店舗内広告によってどの程度ビールの売り上げが増大したのかを考える。
表1の数字を使って最初に広告あり店舗における前月比較を行う。すると、4611/3620=127%でビールの売り上げが27%伸びたことが分かる。これをもって単に広告効果で27%増加したとするのは早計である。
広告なし店舗を見ると、6月から7月にかけてビールの売り上げが2340/2020=116%となり、16%伸びている。つまり、広告と無関係に6月から7月はビールの売り上げが伸びている可能性が高い。前月比較によって得られた27%という数字は広告以外の売り上げ上昇要因を含んだ計算になってしまっている。このように、本当の効果とデータから得られた分析結果の乖離(かいり)をバイアスと呼ぶ。
では、前年同期比を使うのはどうだろうか。多くの場合、前月比よりも妥当な数字が出てくる。もし、前述のビールの売り上げの上昇要因が気温の増加にあるならば、前年同期比をとることで、気温によるバイアスを取り除ける。しかし、上昇要因としてその年に限定して行われた全国規模のテレビCMがあった場合はどうだろうか。
前年はテレビCMを放映されていないのだから、前年同期比はテレビCMの効果がバイアスとして含まれてしまう。また、商品の入れ替わりが激しい小売りの現場では、ブランドレベルでの昨対比が困難であるという問題もある。前月比の間違いは単純な例であり明白だが、実際のビジネスで遭遇するデータはもっと複雑で、一見すると妥当に見える分析が実際にはバイアスを含んでいるケースが数多くある。業界ごとの常識や事前知識を動員しながら、データをよく吟味する必要がある。
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