本連載では、方法論としてのデザイン思考をどうやって企業の具体的なイノベーションに結び付けるかを学んでいく。今回は戦略について解説する。数値目標やビジョン、スローガンは戦略ではない。戦略を理解し、明確にすることで、価値創造をスムーズに行えるようになる。

本連載では、新しい価値を創造するためのイノベーション戦略というテーマで、イノベーション実現に関わる人を対象に、関連知識や理論を紹介しています。前回までは戦略構築の際に重要な外部環境と内部環境について大まかに理解するため、企業のイノベーション活動を3つの視点、すなわち(1)個人やチーム単位のマイクロレベル、(2)事業部や組織単位のメゾレベル、(3)業界や地域・社会単位のマクロレベル、で紹介しました。前回も戦略構築について触れましたが、今回はビジネスにおいて欠かせない戦略(Strategy)そのものに焦点を当てていきます。
戦略とはビジョンに近づくための意思決定基準
もし、戦略のない状態でプロジェクトや事業が始まると、社員からは次のような疑問が生まれてきます。「今やっている仕事がなぜ重要なのか分からない」「この業務を続けたところで、将来的に成果が出るとは思えない」といった声です。逆に戦略があれば「どうすれば価値の高い仕事をこなせるのか」に対して明確な方向性を意識することができます。戦略とは何かを理解し、適切な戦略を持つことで、顧客や社会に対する価値創造がスムーズに行えます。
もちろん「戦略」と一口に言ってもその対象範囲は広く、他社との差異化を図る事業部単位の戦略もあれば、社会的/経済的な繁栄を意図した国家単位での戦略もあります[1]。今回はイノベーション活動における戦略に焦点を合わせ、以下の3つの点について紹介します。(1)戦略とそうでないものを分ける考え方、(2)戦略の重要性、(3)戦略構築に向けた取り組み、です。
企業における戦略を考えたとき、その種類は大きく全社戦略(Cooporate Strategy)と事業戦略(Business Strategy)の2つに別れます。全社戦略の焦点は「どの業界に軸足を置くのか、なぜその業界なのか」であり、事業戦略の焦点は「特定の業界内でどうやって他企業と差異化を図るか」となります。全社戦略の構築と事業戦略の構築では当然ながら詳細に違いが出てきますが、戦略は現場レベルでの意思決定の指針となるものでなければなりません。理解を深めるために、まずは何が戦略ではないかについて触れたいと思います。
目標やビジョン、スローガンは戦略ではない
戦略ではないものの例として、1つ目が数値目標です。例えば「5年以内に業界内の市場占有率を現在より10ポイント以上高める」などは戦略を実行した後の結果として、どのような状態が望ましいかを記述しています。望ましい状態を示すことは重要ですが、どうやってそこにたどり着くのかが不明であれば、絵に描いた餅です。このケースは、戦略ではなく「目標」となります。
企業の制約条件を無視しても戦略にはなりません。例えば「ビジネスソリューションを幅広く提供する事業会社として、スタートアップ・中小企業・大企業すべての顧客に等しく価値を提供する」という内容などです。実際に新規事業を展開する際には「限られた社内のリソースを、中小企業に重点的に投資すべきか、大企業に投資すべきか」といったトレードオフが発生します。
もちろん、企業内に無限の資金と人材があれば同時並行も可能でしょう。しかし、仮に中小企業への価値創造に強い他社Aと、大企業に対して強い他社Bが存在した場合、中小企業と大企業の二兎(にと)を追うことは、優柔不断でやみくもなリソース浪費になりかねません。この内容は、現実の制約条件に対する視点が含まれていないため、戦略のさらに上位概念である「会社の存在意義」や「ビジョン」と考えるほうが適切です。
最後の戦略ではないケースは、事業の方向性をワンフレーズで述べたものです。例えば「当社の強みである技術を活用して、顧客に価値を提供する」といった内容です。この内容自体が悪いわけではありませんが、技術が強みの会社が技術を活用するのは当たり前の話であり、企業として顧客に価値を提供するのも当たり前の話です。この内容には、事業開発の際にどの技術を、なぜ採用するのかといった意思決定基準が含まれていません。よって、事業構築する際には全く役に立たない内容であると言えます。当たり前と思われていることを明文化して組織に浸透させること自体は重要な行為ですが、このケースの場合は、戦略ではなく「スローガン」というほうが適切です。
以上の3点を踏まえながら戦略に必要な要素を考えると、(1)ビジョンに近づくための方向性を示し、(2)現実世界の制約条件が考慮され、(3)事業遂行時に必要な意思決定基準が含まれるもの、となります。よって、本連載では戦略を以下のように定義します。「壮大なビジョン達成のために、有限のリソースの効果的な使い方を提示する、明確な意思決定基準」です。
制約条件を戦略に結び付けた米サウスウエスト航空
理解を深めるために、1つの事例として格安航空サービスを提供する米サウスウエスト航空を紹介します[2]。サウスウエスト航空はアメリカ国内のみに限定したサービスを提供しているため、日本ではあまりなじみがありません。しかし、赤字が常態化し破産して消えていく会社も多い航空業界で、サウスウエスト航空は45年以上ずっと黒字を出し続けています[3]。彼らの戦略は「Wheels Up(直訳すると、車輪を上げる)」です。この戦略は、航空業界の制約をうまく踏まえているため効果的に機能しています。
航空機ビジネスの制約の1つが、時間です。例えば、1日に100人乗りの航空機を3回離着陸させるより、5回離着陸させるほうが全体の売り上げは高まります。つまり、地上に滞在している時間(車輪が下がっている状態)を可能な限り減らし、空を飛んでいる時間(車輪が上がっている状態)を増やすことが業界構造上、マクロレベルで重要な点です。この戦略を実行するために、サウスウエスト航空が実践している特徴的な要素を紹介します。
(1)主要空港を避ける:大型の主要空港は他の飛行機との関係で地上の滞在時間が長くなってしまいます。よって主要空港での発着はゼロです。
(2)機体の統一:一般的な航空会社はさまざまな機体を使用していますが、サウスウエスト航空の機体はすべてボーイング737シリーズに統一されています。これにより、着陸後の機体点検作業に必要な備品・作業マニュアルなどが、すべて一元化され効率化が図れます。
(3)座席指定なし:座席は基本的に自由席で、空港の搭乗口に早くたどり着いた人から席に座るようになっており、座席指定したい場合は追加料金が必要になります。乗り込もうとする人の座席番号を添乗員が確認する作業も一切不要となるため、これもまた空港に滞在する時間を短縮することにつながります。
これらは、すべて「Wheels Up(車輪を上げる)」という戦略を実現するための取り組みです。そして、現在のオペレーション業務に限らず、新しいサービスを考える際にも「これはWheeks Upにつながる取り組みか?」という基準でアイデアや事業コンセプトを評価することができます。結果として、やみくもにコスト削減策を実行するような格安航空会社ではなく、明確な意図を持った形で事業運営を行う会社になるのです。
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[1] 戦略の理解を深めるうえで、以下の書籍がお薦めです。
Strategy: A History(Lawrence Freedman、2013)/Good Strategy Bad Strategy: The Difference and Why It Matters(Richard Rumelt、2011)/ On Grand Strategy(John Lewis Gaddis、2018)
[2] 優れた戦略はそれ自体に価値があるため、良い戦略ほど世の中に公開されていないことがほとんどです。今回紹介するサウスウエスト航空の戦略は以下の知見を土台に記述しています。- Porter, M. E. (1996). What is strategy?. Harvard Business Review, 74(6)、 61-78.
- Collins, J. (2019). Turning the Flywheel: A Monograph to Accompany Good to Great、BY: Harper Collins.
- Harmish, V (2017). Scaling Up: How a Few Companies Make It … and Why the Rest Don’t,
[3] Taylor, B. (2019)、 The Legacy of Herb Kelleher、Cofounder of Southwest Airlines、Harvard Business Review Online.