財テク×家族小説という切り口で『三千円の使いかた』が累計60万部のヒットとなった原田ひ香氏。2022年7月に新著『財布は踊る』が発売され、即重版となるなど注目を集めている。ブランド物の財布に憧れて節約を続ける主婦、情報商材にのめり込む男性、キャリアに行き詰まるフリーライターなど、様々な登場人物の懐事情をめぐるドラマを通じ、お金の知識が自然と学べる内容だ。円安や物価高騰など家計が逼迫する今、原田氏の考える「お金に惑わされない生き方」とは。
主婦が主人公のマネー小説は書かれてこなかった
──2018年発売の著書『三千円の使いかた』(中央公論新社)が21年の文庫化で人気に火がつき、現在までに累計60万部超となっています。大ヒットの理由をどのように自己分析していますか?
単行本版を出版したとき、皆さんから「お金をテーマにした、家庭的で人情味のある話は珍しい」とよく言われました。お金を扱う小説といえば、男性の主人公が企業買収やマネーロンダリングを行うような、規模の大きい経済小説が主流です。『三千円の使いかた』のような、他人のリアルな懐事情が垣間見れる、庶民的な視点からの小説は珍しく映ったのではないでしょうか。
また、『三千円の使いかた』では主要人物として、貯金のために毎月の家計を地道にやりくりしている「普通の主婦」が登場します。小説の世界では主婦といえば不倫をしたり、何か事件に巻き込まれたりする形で登場することが多く、日々こつこつと「ポイ活」をするような等身大の主婦の姿はあまり描かれてきませんでした。そうした点も新鮮に感じてもらえたのだと思います。
実際、読者層は40~50代の女性が圧倒的に多いです。「小説はよく読むけれど、経済や財テクについては今まであまり知識がなかった」という方もいます。小説の形で届けられたことで、そうした読者の方にも「家計について考えよう」「先延ばしにしていた老後の備えを始めよう」と思うきっかけにしてもらえました。ちょうど文庫化の時期がコロナ禍と重なり、在宅時間が増える中で、お金や節約について落ち着いて考えたいと思う方が多くいたことも後押しになりました。
──22年7月に刊行された新著『財布は踊る』もまた、お金をめぐる小説です。このテーマで小説を書こうと思ったきっかけは?
当初は「お金をテーマにしよう」と意図していたわけではなく、20~30代の比較的若い主婦の姿を描きたいと思ったんです。以前から主婦雑誌を愛読していて、節約コーナーなどで誌面に登場する生き生きとした若い主婦の姿に引きつけられていました。
彼女たちの家庭は収入は多いとはいえないけれど、その中で自分なりにやりくりを工夫し、小さなかわいい子供がいたり、素敵な夫がいたりと幸せそう。そんな主婦たちの姿を描くなら、お金や日々の家計管理にまつわるエピソードを小説に盛り込めば生活感を出せると思いました。そこが出発点だったので、根底にはまず、今まであまり描かれてこなかった、そうしたごく日常的な家庭のやりくりのリアルを描く家族小説を書きたいという思いがあり、お金の問題についてもその一環として書き始めたという感覚です。
『三千円の使いかた』には、既婚の29歳と未婚の24歳の姉妹が登場します。結婚前は証券会社に勤務していた姉は、パートの収入は少ないもののポイ活や堅実な投資に取り組み、貯金は600万円ほどある。一方、妹はバリバリ働いてそれなりの給料を得ているのに、節約や将来設計の意識に乏しく、貯金は30万円ほどしかない。「貯金ってどのくらいある?」といった会話は、親友や家族間の親しい間柄でもあまりしませんよね。だからこそ、自分より収入に乏しいはずの姉に、まとまった貯金があることに妹が驚く場面などは、読者としても興味や共感を持って読んでもらえたと思います。
財布を買い替えた日に文学賞を受賞
──『財布は踊る』では、ある一人の主婦が節約でためたお金でルイ・ヴィトンの財布を買い、それが人から人へと様々なエピソードを経て渡っていく中で、歴代の持ち主たちのお金をめぐるトラブルや成功が描かれます。キーアイテムに財布を選んだ理由は?
ブランドの財布に憧れる主婦の気持ちはよく分かるんです。私は30代で結婚し、夫の転勤で北海道に移住。それまで都内で会社員をしていたのですが、急に田舎で暮らすことになりました。仕事に出ず、知人もいない。そうした寄る辺のない主婦生活では、ブランド物のかばんや手帳などは必要がなくなるんです。ただ、財布だけは毎日使うものなので、せめて良いものが欲しくなる。自分自身には収入がない閉塞感や、そんな中でブランド物の財布に焦がれる心情は今でも忘れられず、作中で描こうと思いました。
実は作家活動を始め、07年にすばる文学賞を受賞した際、最終選考の当日に財布を買い替えたんです。占いに詳しい友人に「お金や運が舞い込んでくるように、文学賞の賞金(100万円)が入るくらいの大きめの長財布を買うといい」と勧められ、そのままデパートに行って長財布を買いました。結果、賞を頂けたんです。もちろん、ただの偶然かもしれませんが、財布を買い替えたタイミングで人生の転機が訪れたことは印象に残っていました。
──『財布は踊る』の作中にも「どんな財布を持つかで運気が上がる」という内容の本を書いてブレイクする、フリーライターの女性が出てきますね。彼女はやがてネタに行き詰まり、節約術や副業についても書くようになって、転売屋まがいのグレーな稼ぎ方を記事で勧めてしまいそうになる。そうした人間の危うさも随所に描かれています。
占い、風水、スピリチュアルなど、根拠は非科学的だけれど完全に否定できないような、「当たらずとも遠からず」のものって面白いですよね。例えば、「歯がきれいな人はお金がたまる」という格言がありますが、あながち間違いでもないと思うんです。直接的な因果関係はないにしろ、定期的に歯をケアしている人は身なりや私生活もしっかりしていますし、仕事ができるタイプが多いのではないでしょうか。
ただし、もっと迷信めいてばかげた話でも、何かのきっかけで信じ始めると、いつの間にか非科学的な験担ぎや、怪しい霊感商法に深くのめり込んでしまったりする。お金にも同じことがいえると思います。下心や欲望から執着し始めると、より多くのお金を求め、いつのまにかグレーなもうけ話や怪しい投資に手を出してしまったりもする。そうした紙一重の部分の人間らしさに引きつけられ、小説で描きたいと思ったんです。
──作中にはまさに、情報商材の販売にのめり込んでいく若い男性も登場します。
情報商材を売りつける男性を登場させたのは、実際に私が喫茶店で仕事中、勧誘を目の当たりにしたからです。大学生くらいの青年が、30万円ほどもする情報商材を買おうとしているのを見て、「ちょっと待て!」と喉元まで声が出かかりました(笑)。それで、ついだまされて情報商材を買ってしまうような、若い男性の心境や境遇が気になったんです。一獲千金を狙っていたり、成り上がろうと焦っていたり、夢見がちで根拠のない自信があったり。彼らのような若者も、自分とは感覚が違うからこそ、小説で書いてみたくなる。
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