2021年11月に最新作『滅私』(新潮社)を発表した、芥川賞作家の羽田圭介氏。必要最低限の物だけで暮らす「ミニマリスト」の男を主人公にした本作。着想のきっかけは、根強いブームを背景に、「人生を最大化する」「物より経験」など、ミニマリストたちがブログやSNSで口々に発するフレーズが酷似していることへの違和感だったという。SNS社会の中で、借り物の言葉や思想に依存せず、自分の軸を持って生きていくために必要なこととは。
──最新作の『滅私』はミニマリストの男を主人公としています。所持品をできる限り減らし、最低限の物だけで暮らす「ミニマリスト」。日本でこの言葉やスタイルが広まりだしたのは2015年ごろだといわれますが、根強いブームがまだ続いています。小説に取り入れようと思った、着想のきっかけを教えてください。
ミニマリストたちの極端な生活スタイルそのものよりも、メディアやSNSで彼ら彼女らが発している言葉に違和感を覚えたのがきっかけです。「人生を最大化する」「物より経験」など、みな一様に、コピーしたように単語レベルで同じフレーズを多用していました。どこかで見聞きした他人の言葉を、咀嚼(そしゃく)しないでそのまま自分の言葉として発信している。
僕自身も片付け好きではあり、来客には「物が少ないですね」と言われますが、見えるところに置いていないだけで所持品自体は多い。引っ越しでも「単身パック」では足りずに、2トントラックのワイドとかロングが必要になるタイプです。どういうアルゴリズムなのか、SNS上でミニマリストたちの発信をお薦めされたりするうちに、咀嚼されない変な言葉の垂れ流しに気づいてきた。
ミニマリストたちの発信を見ていると分かるのは、徹底的に物を減らす暮らしをすれば悟りを開けるのかといえば、そうでもないということです。SNSやブログに「執着を手放そう」と書く一方で、誰かからちょっとした小物やお菓子程度のプレゼントをもらったことに対して、「ミニマリストを公言している自分に、物を送りつけてくるなんて!」と激怒していたりする。心が狭い。全く悟れていません(笑)。そうした矛盾にも興味を抱きました。
──似たようなフレーズがネット上に蔓延(まんえん)する原因は何だと思いますか?
SNSの登場以前には、メディアで発言する権利はある程度の知識を持った人か人気者にしかなかった。それが、誰にでも発言が可能になったことで、伝播する知識レベルが下がったのは一因だと思います。それ以前の時代には、理解できない高尚なものに出合ったとき、自分の不勉強への最低限の謙虚さはあったように思います。今は、知識人の発する難解な言葉を理解しようと背伸びをする姿勢がなくなり、「俺にも分かるように説明しろ」という態度が可視化され、定着したまま10年くらいたってしまった。TikTokなど、短時間で咀嚼できるメディアの普及も、その傾向をさらに後押ししているのかもしれませんね。
TikTokは僕も最近ダウンロードしてみて、実際、あのような短い動画って、つい見ちゃうんですが、続けて見ているとだんだん胸焼けしてくる。短時間でできる分かりやすいことは、やはりバリエーションが限られているからです。多様性があったり、長期的に飽きられないものを作るには、TikTok的な分かりやすさからは外れるしかない。
本質にあるのは「人生を手っ取り早く劇的に変えたい」という欲求
──「物を捨て身軽になろう」というメソッドもシンプルで分かりやすいです。ミニマリストがもてはやされる背景をどのように捉えていますか?
ミニマリストというと、物を極端に減らすことの方に目がいきますが、本質の部分にあるのは、それが最も手っ取り早く環境を変える方法だということだと、僕は捉えています。身軽になって、人生を劇的に変えられるような錯覚を得られる。コストも才能も要らないので、誰でも飛びつきやすい考えだからこそ、これだけ流行したのでしょう。
「身軽になりたい」というのは言い換えれば、物でも人間関係でも「管理する煩わしさから離れたい」という欲求です。興味深いのは、物を捨てて身軽になった人たちが選ぶ生活が、おおむねパターン化していることです。利便性を優先して都心の小さな部屋に住むか、もしくは安く住める郊外に引っ越すか。どちらにしても多くの場合で共通するのは、浮いたお金を投資に回すこと。最近はやりの「FIRE(Financial Independence, Retire Early=経済的な自立によって早期退職すること)」を目指す人も多い。
不要な物や人間関係の切り捨てを突き詰めていくと、最終的に他者を信じられない、自分と金融商品しか信じない生き方に行き着いてしまうこともある。僕自身の経験から言えば、若くして仕事をやめてどうするんだと思います。簡単に言えば、心が貧しくなる。本当に自由になってしまう「しんどさ」を、みんな分かっていないのではないかと。
僕は17歳で小説家デビューしたのですが、新卒で入社した会社を1年半で辞め、学生でも会社員でもない状態の専業小説家になったときに、その「しんどさ」を味わいました。通学も通勤もなく、社会とつながっている実感が全く持てなくなると、日常がのっぺりと無機質になり、うまい具合に気分転換ができなくなります。リモートワークに同じ辛さを覚える人がいるという話を聞きますが、それでも職場の人間とコンタクトを取ったりする中で、社会とつながってはいるんです。
勤務先に行って職場の誰かと世間話をする、自宅まで歩いて帰る道の途中で、行きつけのスーパーやコンビニにでも寄って物を買う。人間は、そういうふうに機械的にでも社会とつながり続けることで、心の健康を保っているのではないでしょうか。
──『滅私』では、ミニマリストの主人公にも、ギブソンのギターなど、どうしても捨てられない物がある点も印象的です。
ギターを捨てるということは、「もしかするとギターがうまくなるかもしれない未来の自分」を捨てることです。人は過去の自分を捨てるより、未来の自分の可能性を捨てることのほうが、はるかに難しいということを示唆しています。
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