地球上に約800万種存在するとされる生物の共通点、それは例外なく死ぬということ。生物の存在を「死」を通じて解き明かす、生物学者の小林武彦氏による『生物はなぜ死ぬのか』(講談社)が10万部を超すヒットとなっている。執筆の背景を聞いた。

小林武彦氏。東京大学・定量生命科学研究所の研究室にて
小林武彦氏。東京大学・定量生命科学研究所の研究室にて
生物学者 小林 武彦氏
こばやし・たけひこ。1963年、神奈川県生まれ。九州大学大学院修了(理学博士)。基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て、東京大学定量生命科学研究所教授。著書に『寿命はなぜ決まっているのか』(岩波書店)、『DNAの98%は謎』(講談社)など
小林武彦『生物はなぜ死ぬのか』(講談社)21年4月14日発売
小林武彦『生物はなぜ死ぬのか』(講談社)21年4月14日発売

──2021年4月に刊行された『生物はなぜ死ぬのか』は、科学を扱う新書では異例の10万部超のヒットとなっています。多くの人に読まれた理由は何だと思いますか?

 このようなタイトルの本が、なぜ売れたのでしょうか。私にも謎です(笑)。1つ考えられるのは、人は普通、自分がどれくらいの年齢まで生きて死ぬのか、なんとなく見通しを立て、そのゴールに向かって一定のペースで近づいていくような感覚で生きています。それがコロナ禍で、ゴールの方が急に向こうから近づいてきたように感じたのではないでしょうか。多くの人が改めて「死」を意識したことで、本書を手に取ってもらえる機会が増えたのかなと思います。

 実は『生物はなぜ死ぬのか』は当初、生物の教科書のような本にしようと構想していました。というのも、私は大学で遺伝学を教えているのですが、学生たちを見回してみると、生物学専攻の学生さんですら、高校時代に生物を学んだことのない人が驚くほど多い。高校で理科を選択する際、受験に有利とされる物理と化学の組み合わせを選ぶのが定石だからです。けれど本当は、生物学こそ若い頃に勉強してほしい科目なんです。この先の社会のためにも、若い感性で環境問題や生物多様性に興味を持ってもらいたい。そこで、生物学を啓蒙する教科書のような本にしようと、当初は科学の入門書シリーズ「ブルーバックス」から出す予定で書き始めました。本書の最初のあたりには、その雰囲気がやや残っています(笑)

 生物学の王道の一つは発生学です。卵からオタマジャクシになり、カエルへと変化する。実にドラマチックですが、そのように、普通は発生から始まる生物学を、逆に死の側、ゴールの方から遡って考えていく内容にすれば、若者だけでなく「老い」や「死」といったテーマに関心のある、幅広い層に読んでもらえるのではないかと思いました。なんといっても、親も自分も子供も、1人の例外もなく生まれたら必ず死にます。ゴールを見定めるのは、何事においても大切ですから、そこを掘り下げていけば、多くの人にとって意味のある本になるのではないかと。書き進めるうち、「これは一般向けのシリーズから出したほうが読まれそうだ」と、講談社現代新書から刊行することになりました。

──死なない人はいないという点では、全人類共通の関心事ですね。

 人類も含め、この地球上には約800万種の生物がいるといわれていて、そのうち名前が付いているものが約200万種。実際には極小の虫や腸の中にいる細菌類など、種の同定が難しいものもあり、約800万種という数も推定です。ただし、断言できるのは、生物である以上、それらはすべて死ぬということです。

 私たちは普通、死を捉えるときには「自分はなぜ死ぬのだろう?」と主体的に考えますよね。けれど、生物学的な観点から見ると、死は「個人の終わり」ではなく、生命全体の連続性や進化のために必要不可欠なものであり、原動力なんです。死ぬものだけが世代交代によって遺伝情報を変化させ、「多様性」を生み出し続けることで、環境の変化が起きても生き延びられる個体を残せた。「変化(多様性)と選択(死)」の繰り返しこそが、生物を作ってきたわけです。

老化の研究とは、「若返り」の研究でもある

──病気になったり事故に遭ったりしない限り、人間は老化によって死を迎えます。そもそもなぜ老いるのでしょう?

 人間の体は物からできています。物は消耗品ですから、時間とともに劣化していくのは避けられません。人間の体で言うと、組織や器官を構成する体細胞は約50回分裂すると、死んでいきますが、お風呂で毎日のように古くなった細胞である垢を洗い落としても、腕が削れて細くなったりすることはありません。それは、幹細胞が常に新たな細胞を作ってくれているからです。しかし、幹細胞も年齢を経ていく中で少しずつ衰えていく。この幹細胞の老化が、個体の老化の主な原因の一つになっています。

 興味深いことに、酵母菌のような単細胞の微生物にも、老化とその結果としての死があります。酵母菌の母細胞は子どもを産むたびに老化して約20回産むと死にますが、その老化が始まっている母細胞から生まれた娘細胞はまた20回分裂できます。人間もお母さんの年齢にかかわらず、生まれてくるときは「0歳」ですね。考えてみると不思議ですよね。老化した母細胞から生まれるのに、なぜ、どのように老化のカウンターがリセットされるのか。日々、その仕組みについて研究をしています。ですから、老化についての研究であると同時に、「若返り」の研究でもあるんです。

研究用に培養された酵母菌
研究用に培養された酵母菌

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