2021年7月末に発売し、既に7万部を超えるヒットとなっている『無理ゲー社会』(小学館新書)。誰もが自分らしく生きることに価値を置くリベラル化する社会が、むしろ生きづらさに苦しむ人を急増させ、才能のある者以外にとっては絶望的なディストピアを誕生させたと指摘する。コロナ禍の困難な社会状況の中、反響を集める本書の執筆背景を、著者の橘玲氏に聞いた。
──『無理ゲー社会』は発売以来、書店売り上げランキングで上位に入り続けるなど、好調な売れ行きです。著者としてヒットの理由をどのように分析していますか?
タイトルのインパクトは大きかったと思います。執筆以前から、今の若者たちは社会に対して、自分では攻略不可能なゲームの世界に放り込まれているような感覚を持って生きているのではないかと感じていました。「自分たちはどうせ年金なんてもらえない」「生涯独身で、このままどう生きていけばいいのか」という彼らの声も聞いてきた。日本は人類史上未曽有の超高齢社会へと向かっていますから、この不安には杞憂(きゆう)とは言えない面がある。社会そのものもどんどん複雑化し、個人に要求されるスペックも上がってきていることが、さらに不安や絶望を膨らませています。
そんな若者世代の状況について、あるインタビューで「無理ゲー」という表現を使ったところ、若いライターや編集者からその言葉が「すごく刺さった」と言われた。そこで、タイトルを『無理ゲー社会』にしようと思いつきました。
──本書の序文には、収入や親の介護といった将来への大きな不安から、「早く死にたい」「苦しまずに自殺する権利を法制化してほしい」といった、若者世代の生々しい絶望の声が複数紹介されています。「無理ゲー社会」から脱するには、もはや安楽死しかないとまで思い詰める若者がこれほどいるのかと……。
2020年1月に自民党の山田太郎参議院議員が、SNSで若者に向けて「あなたの不安を教えてください」「私たちに何かできることがありますか」とアンケートを取ったところ、「苦しまずに自殺する権利」としての安楽死を望む声が殺到した。
もちろんネットで集めた意見は平均的なサンプリングではありませんが、それにしても将来に対する絶望や、日々を過ごすのが精いっぱいだという苦悩を記したネガティブな回答があまりに多くて衝撃を受けました。その後、コロナ禍によって世の中の理不尽さがさらに際立ってきている中で、今ならどのような回答が集まるのかと考えると、空恐ろしいものがあります。
「自分らしく生きる」を目指す社会からこぼれ落ちる絶望
──「すべての人は自分の人生を自分で選び取り、自分らしく生きるべきだ」という、一見良いことに思えるリベラルな価値観の広まりが、一方で「自分らしく生きられない」と苦悩する人を急激に増やしている。本書の柱になっているこの構想は、どのように固まっていったのでしょう。
今はSNSを開けば、ビヨンセやレディー・ガガ、マイケル・ジョーダンといった有名人たちが、「自分らしく生きて夢をかなえなさい」「人と違っていてもいい、あなたらしく生きていけばいい」という強いメッセージを送ってくる時代です。しかし、彼らのように成功できる人など、現実にはほとんどいない。「強く願えば夢はかなう」と信じて、かなわなかった人たちはどうなってしまうのか。一方で、こうしたリベラルな価値観は、既に確固としたものになっているため、もはや誰も否定できなくなっている。
歴史的には、「自分の人生は自分で決める」「すべての人が自分らしく生きられる社会を目指すべきだ」という思想は、1960年代の米国西海岸のヒッピーカルチャーの中から生まれて、10年もたたずに世界中の若者をとりこにしました。これは、キリスト教やイスラームの誕生に匹敵する人類史的出来事です。この新しい価値観のもとでは、すべての子供に夢を持たせて、その実現に向かって頑張らせなければならない。でも、「夢なんてない。どうすればいい?」「頑張っても実現できなかったら?」と聞く子供に対して、どんな答えが返せるでしょう。
そんな理不尽な価値観の押し付けに対し、社会の底辺から様々な異議申し立てが出てきました。露骨に表れたのが男性の「性愛格差(モテ/非モテ)」で、日本では自分の父親世代まではほぼ100%結婚できていたのに、あっという間に婚姻率が5~6割にまで下がってしまった。データを見ると、それでも年収600万円以上なら恋人がいる割合はほぼ100%ですが、200万円以下の若い男性では3割程度にすぎません。
マジョリティーの中から現れた脱落者たちの存在は、米国では白人至上主義が台頭する背景にもなっています。白人男性という「高い下駄」を履いているにもかかわらず、自分たちは底辺の生活を強いられている、「差別」されていると不満を漏らせば、過去の奴隷制(黒人差別)の歴史を引き合いに出されて、エリートのリベラルから批判されバカにされるだけです。こうして憎悪と絶望を募らせていくことになる。
前近代的な身分制社会の残滓が色濃く残る日本では、男はそもそも男であるというだけで優位性を持っています。学校では男女平等でも、企業に入れば男性優位が明らかで、労働組合やリベラルな主張をするメディアですら、社長や役員は男ばかり。そんな中で、「ボクはモテません」なんて不満を言えば、それこそずっと「無理ゲー」を強いられてきた女性たちから、何を泣き言を言っているのかと批判され、フェミニズムへの憎悪が膨らんでいく。
白人至上主義も「モテ/非モテ」問題も、社会的にも性愛からも排除され、「攻略できない無理ゲー」に放り込まれてしまったと感じている者たちが、マジョリティーの中から現れてきたことが根底にあるのだろうと考えたことが、構想のスタート地点でした。
──「才能のある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア」という表紙の文言も強烈です。
リベラル化する社会では、あらゆる人生の選択を一人ひとりが個人の自由意思で判断しなくてはなりません。そのため、あちこちで利害が対立して社会が複雑化し、その複雑さに適応できる人とできない人が出てくる。適応できるのは「賢い」人で、これが現在の「知能格差社会」ともいうべき状況を生んでいる。賢いというのは知能だけでなく、コミュニケーション能力も高いことで、そうした人は人間関係を円滑に構築できますが、そうでない人は引きこもってしまう。
いたずらをした子供を叱る場面を考えると分かりやすいですが、「なんでそんなことをしたの!」と叱られたとき、その理由をきちんと言葉にして答えられる子供は許される。答えられずに黙りこんでしまう子供は、理由が分からないことに不安を覚える大人から、さらに怒られます。そうなると子供は、世界を恐ろしい場所だと思うようになり、家族・親族や地域などの狭い共同体から出ようとしなくなるでしょう。子供時代のIQ(知能指数)で将来の政治イデオロギーを予測できるという研究もあり、言語能力の低い子供(男性に多い)は保守主義に、言語能力の高い子供(女性に多い)はリベラルになる傾向がある。
──本書の中では「秋葉原通り魔事件」の加藤智大死刑囚をはじめ、リベラル化した社会で追い詰められた人間がテロリズムに走る経緯も分析されています。刊行後まもなく現実に、小田急線内での傷害事件も起こりました。
小田急線の事件は、若く魅力的な女性をターゲットにした日本で初めてのミソジニー(女性憎悪)による無差別テロではないでしょうか。『無理ゲー社会』で取り上げた秋葉原通り魔事件の加藤智大は「女神(運命の女性)」と出会いたいと思っていて、「非モテ」特有のひがみやコンプレックス、彼女さえできれば人生が好転するという「一発逆転」願望はあったとしても、女性への憎悪はなかったように思います。京都アニメーション放火殺人事件にしても、私立校に通う小学生を狙った川崎市登戸通り魔事件にしても、憎悪の対象は女性ではなかった。「きらびやかな勝ち組の女が憎い、殺してやりたい」と動機を明言した今回の事件は、その点で象徴的だったといえます。
また、加藤の場合は女性と交際した経験がほとんどありませんでしたが、小田急線事件の容疑者は、大学生の頃までは人気者で女性にもモテていた、いわゆる「リア充」でした。それがなぜか大学を中退し、バイトしながら自称「ナンパ師」になり、最後に行き着いたのが、生活保護を受けて家賃2万5000円の部屋で暮らし、生活必需品を万引きする生活です。
男の場合、「持てる者はモテ、持たざる者はモテない」という明らかな傾向があり、30代で社会の最底辺に落ちてしまえば、どれほどナンパテクニックを持っていても誰も相手にしてくれないでしょう。彼がドロップアウトした経緯は分かりませんが、それでも自分でその生き方を選んだわけですから、自己責任で誰のせいにもできない。何のために生きているのかと絶望して暮らす日々があと半世紀続くとなれば、「無理ゲー」を強いる社会を破壊するしかないと考えるようになった心理は容易に想像できます。
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