経済思想家・斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(集英社新書)が30万部超の異例のヒットとなっている。 人類の経済活動が地球全体に影響を及ぼす時代=「人新世」。現代の環境危機の解決策を、マルクスの新解釈の中に見いだすという硬派な内容ながら、コロナ禍にあって売れ続けている。1987年生まれの若き思想家が本書を執筆した背景とは。
──ベストセラーとなっている『人新世の「資本論」』。ヒットの理由を著者としてどのように分析していますか。
これほど多くの人に手に取ってもらえたのは、「このままの生活を、将来にわたって維持することは可能なのか」という問題から、誰もが目をそらせなくなってきたからだと思います。
今の私たちが享受している豊かさは、環境負荷や劣悪な労働環境を途上国に押し付け、外部化することで成り立ってきました。しかし、気候変動の問題一つをとってみても、近年は日本も、スーパー台風や集中豪雨、夏の酷暑など、様々な形で危機に直面するようになりました。新型コロナなど未知のウイルスによる感染症の拡大も、元をたどれば、森林などを乱開発した資本主義に原因があります。「これはまずいんじゃないのか?」という気配が高まったことと、本書の発売のタイミングが合致したのは大きいと思います。
タイトルにある「人新世」という言葉が示す通り、現代はグローバル資本主義の下で人類の活動が地球全体にインパクトを与える時代です。新型コロナウイルスが物流や人の流れに乗り、極めて短期間で世界全体に広まっていったように、さらに問題のスケールが大きい気候変動についても同じことが生じている。先進国で排出された二酸化炭素や温室効果ガスの影響は、地球上のあちこちで山火事や水不足を引き起こし、被害は今のままでは拡大の一途です。
そうした環境危機を目の当たりにして、「資本主義そのものに緊急ブレーキをかける必要がある」という本書の主張を、頭ごなしに否定はできない時代になってきた。多くの人が時代の変化や問題の深刻化を意識し始めたことが、反響につながったと考えています。
エコロジストとしてのマルクスの発見
──マルクスの思想の中に、実は現在の環境問題にも応用可能なエコロジストの視点があったのだという、本書の柱になっているこのアイデアは、どのようなきっかけで見つけたのでしょう?
マルクスというと、とりわけ一定年齢層以上の人にとっては、ソ連やスターリン主義、冷戦構造の中での共産主義の暗いイメージが強くありますよね。ソ連崩壊後、マルクス経済学は、大学でも教えるところが少なくなってきました。しかし一方で、その後もマルクス研究を続けていた人たちは、「ようやくソ連や冷戦から解放され、マルクスをマルクスとして純粋に読むことができるようになった」と、彼の思想を捉え返そうとしたんです。
そうした動きと並行する形で、近年「メガ」(MEGA=Marx-Engels-Gesamtausgabe)と呼ばれる新たな『マルクス・エンゲルス全集』の編纂が進められ、私も含め世界各国の研究者が参加するこの国際的全集プロジェクトによって、これまで埋もれていた手稿や研究ノートの読解作業が行われています。
その新資料をひもといていくことで、20世紀のマルクスの読まれ方というのは、ソ連のスターリン主義にどっぷり浸かってゆがめられたものであり、本来マルクスが考えていた思想から乖離していたことも分かってきました。また、マルクスの死後にエンゲルスが『資本論』の編集過程で切り捨てた部分も明らかになった。そうして見えてきた「本来のマルクス」の持っていた考えの一つが、環境と資本主義との関係に対する関心です。実はマルクスは、環境破壊に対して深い問題意識を持ち、自然科学を熱心に学んでいました。
今まで知られてこなかった、そうしたエコロジストとしてのマルクスの思想を掘り起こすことは、単に新たなマルクス像を示すばかりでなく、「人新世」の環境問題、つまり人類は資本主義の下での技術革新と経済成長だけで環境危機を突破できるのか、という最大の問題に対し、非常に重要な視点を与えてくれると私は考えました。
こうしたドイツでの「MEGA」の編纂を通じた発見を経て、帰国後はマルクスの研究を現代の文脈にどう生かしていくべきなのかという課題に取り組み、その中で『人新世の「資本論」』の執筆に取りかかったのです。
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