企業からの給与や報酬に頼るのではなく、個人が自らの才能やスキルで収益を得る「クリエイターエコノミー」が広がるといわれる。そうした変化によって社会の何が変わるのか。才能を持つ若者たちが自らを発信するライブ配信サービス「SHOWROOM」を展開する前田裕二社長にIT評論家の尾原和啓氏が聞いた。
個人が情報発信できる新しいメディアを軸として、クリエイターエコノミーが拡大しつつある。そうしたサービス代表のひとつはSHOWROOM(東京・渋谷)が展開するライブ配信プラットフォーム「SHOWROOM」だ。歌やダンスなどを披露して、視聴者からのギフトを獲得する。この配信者の活動は、有名になっていくプロセス(過程)を視聴者に楽しんでもらうことで収益を得ることから、プロセスエコノミー的でもある(関連記事)。これらプラットフォームは今後どう変化していくのか。SHOWROOMの前田裕二氏に、書籍『プロセスエコノミー』の著者である尾原和啓氏が直撃した。
SHOWROOM社長
尾原和啓氏(以下、尾原) 最近「クリエイターエコノミー」や「パッションエコノミー」という言葉が盛んにいわれるようになりました。前田さんは既に8年も前からSHOWROOMを立ち上げ、クリエイターエコノミーを手掛けてきたトップランナーです。なぜ今になってクリエイターエコノミーが注目されるようになったと見ていますか。
前田裕二氏(以下、前田) まず「クリエイターエコノミー」という名前が付いたことが、1つの大きなきっかけになっていると思います。インターネットを活用して、個としてマネタイズモデルを確立して生きていく、こうした「個の経済圏」を作るムーブメント自体は昨日今日始まったものではありません。ここ10年以上伸び続けています。例えば、一番分かりやすいところでいうと月額課金制のメルマガが1つの伝統的な「クリエイターエコノミー」ツールといえます。
これらは特にクリエイターエコノミーという分かりやすい言葉で一括りにして呼んでいなかったので、今まで現象として取り上げられることはありませんでした。それら言葉の発明があったのは、Twitterのほか、InstagramやYouTubeなどGAFA(米グーグルなど巨大IT企業)のプレーヤーが直接課金モデルを取り入れたり、「クリエイター×直接課金系」の新たなプラットフォームを買収したりしたことを受けて、でしょう。
その意味で、クリエイターエコノミーという言葉が使われ始めたのは、この1年くらいでしょうか。2019年末ごろに米ベンチャーキャピタルのアンドリーセン・ホロウィッツが「パッションエコノミー」に関する記事を投稿し、その後、ネット上でクリエイターエコノミーに関する話題も広がりました。
尾原 現象に呼び名ができるとそれが可視化できるようになり、みんなが話題にし始めます。米国ではパッションエコノミーという言葉が出た途端に、海外でニュース配信のSubstack(サブスタック)、オンラインスクールのTeachable(ティーチャブル)など、多くのサービスが登場してきました。日本ではクリエイターエコノミーという言葉が出てきて「前田さんがやっていることはこれだった」と皆が動き出したということですね。
前田 もちろん、そんな恐れ多いことではなく、きっと皆さんそれぞれが、結局これが1つの答えだ、と同じ場所に行き着いた、という事だと思うのですが……! とはいえクリエイターエコノミーが市場として盛り上がることは我々のビジョンに沿ったことなので、本当にありがたく、うれしいです。今まではニッチな「応援することが大好き」という人たち向けのプラットフォームでしたが、クリエイターエコノミーという新しい言葉に乗せてもう少しライトな視聴者層や購買層にも届くようになり、市場規模が拡張していくと思います。
供給側、いわゆるクリエイターと呼ばれる人たちをいかに増やしていくかも重要です。クリエイターは2種類に分かれると思っています。1つは、「これで食べていきたい、本業にしたい」とか、「少なくとも副業にしたい」と考えている人です。もう1つは、お金を稼ぐことよりも、ただ純粋に楽しんでいたり、良いものを作るぞ、という、クリエーションそのものにパッションがある人です。
尾原 クリエイターエコノミーが広がることで、「ただ楽しいからやっている」人たちにも応援の力が集まりやすくなるのですね。
前田 その通りです。有力なサービスと言えば、最近はRoblox(米ロブロックスのゲームプラットフォーム)がすさまじいと思っています。クリエイター、つまりゲームを作っている人たちが200万人もいます。
尾原 Robloxは3D空間の中で鬼ごっこやかくれんぼをしたり、シューティングをやったりと、いろいろなことができます。しかもローティーンや、7歳くらいの子供たちですら、自分でゲームを作って友達を呼べます。
前田 そこでゲームを作っている人たちは、さっき言った中では、きっと後者だと思います。「これをやったらみんな楽しいかな」とか「こんなのを作ったら面白くなるかな」ということしか考えていない人が、200万人のうちの大半でしょう。
尾原 お金を稼ぐんじゃなくて、ただ自分が友達と楽しくやれればいいから、と。
商業化できる超人気クリエイターは1%?
前田 そう、でも、その純粋に楽しいからやるというクリエイター層はマネタイズの段階まで行っていない人が多いはずです。その人たちがどこかでマネタイズに向き合うと、自分たちがやりたいことがやれなくなるかもしれません。
僕自身も僅かながら経験があります。バンドをやっている時に、ちょっとだけ人気が出てくると「ライブで盛り上がるからこういう曲作ろう」とか「動員するためには次はこういう歌だよ」といった話になってきて、どんどんつまらなくなっていく、というか、好きで楽しくやりたい曲をやっているから楽しい、という初期衝動から乖離(かいり)していく。だんだんとマーケットに寄り添う必要が出て、クリエイティブがどこか商業性を帯びていく。その、一種のジレンマのような感情と向き合うのも、クリエイターとして大成する上で大切なことなのでしょう。
このジレンマを超えて、自分の好きなものと、市場に受け入れられることの間にピンを立てている方もいます。例えば、僕は米津玄師さんの作品が好きで、ライブも幾度もうかがっているのですが、彼はライブでよく「大衆音楽」という言葉を発するのです。「自分は、大衆音楽が好き」と。これは僕の勝手な解釈ですが、もしかすると、「実はそうじゃない自分」もどこか内側に含んでいるから、あるいは、過去の非大衆音楽的自分とは決別したのだから、自分に言い聞かせる意味も含めてそう言っているのだろうな、と興味深く感じます。
過去には、パッとは理解できない歌詞をよく書かれています。「ララバイさよなら」という曲も好きなのですが、彼が「ハチ」名義で活動していた時期に書いたものです。歌詞に「バスケ 天使 素面(しらふ)の猿」という一節があります。
尾原 何の組み合わせなんでしょう。多分、彼の中ではつながっているのですよね。
前田 この曲はB面(3曲中の2曲目)だというのがポイントです。A面は何かというとヒット曲の「orion」なんです。歌詞は「神様 どうか どうか 声を聞かせて(中略)あなたと二人 あの星座のように 結んでほしくて」。A面とB面の対比が、まさに“大衆と感性の対比”と呼応しているように思えてなりません。
尾原 誰でも「きゅん」ときますね。
前田 「何か表現したいが陰鬱としてよく分からないもの」をクリエイターとして自分の中に持っているけれども、でもまずはそもそも聞いてもらわないと話にならないから、あえて大衆に寄り添った音楽をやる、というのは、凄く共感できます。結局、この「大衆化のジレンマ」に打ち勝ったクリエイターが結果を出すことができて、上位1%の超人気者になれるのかもしれませんね。
現状では、マーケットインの意識、大衆や市場がどう考えているのか? という感覚がないと、なかなか勝ちにくい世界です。しかし、クリエイターエコノミーが拡大していくことによって、現状その経済圏へひも付く人々以外にも「応援するっていいよね」という価値観が広まる。そして、そこに自分の時間やお金を注ぐようになる。つまり、クリエイターエコノミーの市場規模拡大によって、商業化を意識して実践できるクリエイターだけでなく、ただ自分にとって面白いものを作っているだけのクリエイターがマネタイズできる可能性も上がっていくと思います。
表現者でも顔出ししない「好きな人と歩きたいから」
尾原 米津さんの例のように、大衆的なA面をやっていた人も、時間ができたことでB面的な自分自身を表現するといったことも増えそうですね。
前田 1人のクリエイターに、いくつものサイドがあっていいんです。僕のA面は起業家ですけど、B面はメモする人、C面は歌を歌う人といった具合ですね。ところで、コレサワというアーティストをご存じですか? 歌声がめちゃくちゃすてきなので、ぜひ聴いてほしいのですが、YouTubeにある曲だと、例えばまず「たばこ」を聞いてみてください。5000万回近く再生されています。コレサワちゃんは見た目が面白いんですよ。クマちゃんみたいなキャラクターで活動されていて。
尾原 顔出ししてないんですね。
前田 コレサワちゃんは、「なぜ顔出さないの」という質問に、「自分は表で、好きな人と手をつないで歩きたいから」と答えてらっしゃいました。めちゃくちゃ面白い回答だと思ったんです。つまり彼女は「人生を分けたい」んです。表現者としてのコレサワと、本当の自分自身の人生を。もし顔を出していたら、すぐネットニュースなどで「コレサワが手つなぎデート!?」と書かれてしまいますよね。彼女は、それが嫌だと言うんです。
僕は、VTuberも含めて、自分の内面にあるB面やC面を別の人格に乗せて表現できる時代になったことが、本当に心から素晴らしいことだと思っています。それによって人間の可能性はどんどん広がります。
尾原 1人の人間の中に、A面やB面だけじゃなく、C面、D面を持ってもいいんだ、と。それぞれが見えている世界を、思い切り出してもいいんだと。
前田 そうです。本来持っているはずなんだけど、なかなかそれを、出せない世の中になってきていますから。この人はこんな悪い経歴がある、ひどいことをした人間だ、となったら、もうその人のクリエイティブを聞こうと思えなくなったりもするじゃないですか。でも、その人が完全にB面やC面で、別人格として活動してくれれば、僕らは、その人だ、と知ることなく、その人の才能だけを純粋に思い切り浴びることができる。
尾原 今やキャンセルカルチャー(過去の問題のある言動などで地位や仕事を失うこと)みたいな形で、1つでも傷があったらそこで終わってしまうといったことがあるけれども、クリエイターとしての第2人格でリセットできれば、何度もチャンスがある。それは大きな違いですね。
(後編に続く)
(写真/菊池くらげ)