「食の進化」を通して人と社会の変化を追う、食文化研究家の徐航明氏による新連載の第1回。新型コロナウイルスの感染拡大で大打撃を受けた飲食店を救うソリューションとして一躍脚光を浴びたフードデリバリーを取り上げる。ただし、ウーバーイーツや出前館のような大手ではない。地域コミュニティーが育てる独自サービス、その名も「イーバーイーツ」だ。

大阪・茨木市限定のフードデリバリーサービス「IBAR EATS(イーバーイーツ)」
大阪・茨木市限定のフードデリバリーサービス「IBAR EATS(イーバーイーツ)」

 新型コロナ禍でテレワークの導入が進み、自宅で過ごす時間が増えた読者は多いだろう。そのおかげで、今まで知らなかった地元の魅力を再発見する機会にも恵まれているはずだ。

 筆者も、その一人。私が住んでいる大阪府茨木市は、大阪市と京都の間にあるベッドタウンであり、人口約28万人。近年は大企業の工場移転、撤退が続いているが、その跡地に大学や物流拠点が進出し、人口は微増している。そんな町に暮らしながら、以前は市外に通勤する毎日だったので、地域の営みに特段関心があるわけではなかった。それが、コロナ禍で変わった。大きな発見につながったのが、2020年4月に茨木市の飲食店経営者ら有志がゼロから立ち上げたフードデリバリーサービス「IBAR EATS(イーバーイーツ)」だ。今回は、この取り組みを通して食のコミュニティーについて考察してみたい。

 IBARとはIBARAKI(茨⽊)をもじって、Uber(ウーバー)に寄せた名称だ。4月の緊急事態宣言による外出自粛の最中、当時ウーバーイーツが茨木市に進出していなかったこともあり、困窮する地域の飲食店のために「少しでもチカラになれたら!」との思いからイーバーイーツは生まれた。運営メンバーには、飲食関連以外にコロナ禍で演奏する場を失ったミュージシャン、農業従事者などもいる。ユーザーから注文を受け付けるイーバーイーツのWebサイトは有志で自作したもので、配達員も茨木市に住んでいる大学生や職を失った人などが担う。現在のところ、イーバーイーツに対応している地域の飲食店は40店を数える。

 では、イーバーイーツはどのように生まれたのか、もう少し掘り下げてみよう。始まりは約2年前の18年。茨木市で自家焙煎(ばいせん)のカフェ「たたらば珈琲」を経営している藤井茂男氏が仕掛けた日替わり店主のバー「茨木ラマン」と密に関連している。

 茨木ラマンとは、リアルに集まってしゃべったり、客同士が出会えたりできる楽しいスポットを目指した店だ。たたらば珈琲Torte店が夕方に閉店し、その後、20時30分になると茨木ラマンとして営業を始める。日替わり店主は、昼間はそれぞれ別の仕事を持つ人々で、夜になるとバーのカウンターに立つ「一夜の店長」になる。実はイーバーイーツの運営に関わるメンバーは日替わり店主の経験者や茨木ラマンの常連客で、日ごろからビジネスなどの情報交換を行ってきた仲間なのだ。

 コロナ禍以前から、フードデリバリーサービスについては茨木ラマンで議論したことがあったそうだ。しかし、それぞれの仕事があるから忙しく、また特別な緊急性もないから実現までは至っていなかった。それが一変、コロナ禍の状況になって茨木ラマン自体が営業自粛を余儀なくされたり、店主自身の本業がなくなったりと、一気に共通の課題として浮上し、実現に向けて動き出した。

たたらば珈琲の藤井店長(写真左)、夜間に営業を切り替えた「日替わり店主BAR」(写真提供/たたらば珈琲)
たたらば珈琲の藤井店長(写真左)、夜間に営業を切り替えた「日替わり店主BAR」(写真提供/たたらば珈琲)

 そうしてイーバーイーツが始まった2カ月後の20年6月、ウーバーイーツがついに茨木市に進出した。“本家”の登場でイーバーイーツの存続は危ぶまれたが、実は現在もサービスは地域の人々に愛され、健在だ。その理由の1つは、利用コストの安さだ。ウーバーイーツや出前館に配達を委託した場合、手数料は注文代金の3~4割程度とされ、これを飲食店側が負担するケースが多いといわれる。それに対して、イーバーイーツでは下表にまとめたように、利用者が負担するサービス料はなく、加盟する飲食店側のサービス料負担も15%と低く抑えられている。

 もちろん、それだけではない。地域のニーズに合わせて小回りが利くのもイーバーイーツの大きな特徴だ。その好例が、20年8月から始めた法人・団体客向けの「おまとめ注文」サービス。配達するメニューはイーバーイーツに任せる形で、予算に応じて飲食店と連携して提供する。地域のイベントや行事、市の中心部から離れた場所にある企業からのランチのまとめ注文など、ニーズは多様だ。例えば、茨木青年会議所が主催し、茨木市近くの万博記念公園で9月に開催されたドライブインシアターのイベントともコラボ。参加者がイーバーイーツ加盟店に事前注文しておくと、当日、クルマまで食事がデリバリーされる仕組みだ。

 また、地域の異業種企業との試みも始まっている。茨木市にあるロート製薬グループのエムジーファーマとイーバーイーツのコラボレーションで、ヘルシーメニューを茨木市民に届ける「茨木健康計画」が9月にスタートした。エムジーファーマは、トクホ(特定保健用食品)の開発と製造販売を行う企業で、イーバーイーツの一部加盟店と一緒に中性脂肪を抑えることができるメニュー開発を行い、販売面でも協力した。

 このように運営の規模やサービスの完成度から見ればウーバーイーツが当然上だが、一般の生活者向けだけではなく、特殊なニーズにも柔軟に対応できるのがイーバーイーツならではの強みだ。また、イーバーイーツの立ち上げで、これまで飲食店予約サイトを活用していなかった飲食店までが、初めて同じサイトに並んだ。茨木市民はそれを通じて、これまで知らなかった店を知り、そして利用できるようになった。フードデリバリーとしての利用だけではなく、その後、イーバーイーツで利用した人が店まで訪れる例も多くある。これまで多くの試行錯誤があったが、地域の人が作った地域密着型のサービスが、一過性のもので終わらない感覚がある。

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