1976年に映画製作会社を設立し、第1弾作品『犬神家の一族』が世界新記録を打ち立てる大ヒットに。メディアミックスの辣腕を振るい、盤石の地位を築いたかと思われた矢先の逮捕――。角川書店時代の作家のほとんどとは縁が切れる中、角川春樹は温情を見せた北方謙三に無理難題を突き付ける。
【第2回】 「父のスケープゴートに」 逆境が生んだ起死回生のヒット
【第3回】「映画の成功、逮捕、退社」固く結ばれた北方謙三との縁 ←今回はココ
『犬神家の一族』の記録的ヒット
1976年1月、角川春樹は自らの名前を冠した『角川春樹事務所』を設立している。資本金は600万円。これは映画製作のための会社だった。
この年の10月16日、角川映画の第1弾となる横溝正史原作の『犬神家の一族』が、東京・千代田区の東宝会館内の「日比谷映画劇場」で先行公開された。監督は市川崑、主役の金田一耕助を石坂浩二が演じた。その他、島田陽子、あおい輝彦、高峰三枝子、草笛光子、大滝秀治、三国連太郎などが出演している。
最初の1週間の入場者数は5万6335人、興行収入は6000万円超。これは1つの映画館の1週間の入場者数としては世界新記録となった。最終的な配給収入は13億200万円、この年日本で公開された映画で第2位である。
角川映画の特徴の一つは宣伝手法だった。
『犬神家の一族』の製作費は2億2000万円、総宣伝費は3億円。製作費以上の宣伝費という発想は日本映画界にはなかった。
宣伝費が膨らんだのはテレビコマーシャルを打ったからだ。
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