『砂漠の反乱』発刊後、“翻訳自伝”を手掛けた角川春樹。特定の分野にこだわらない編集者だった角川だが、意に反して携わることになった『日本の詩集』で辛酸をなめる。しかし、この苦い経験が“メディアミックス王”としての起点となった。
父の反感を買いつつ成功した『世界の詩集』
アラビアのロレンスこと、トーマス・エドワード・ロレンス(T・E・ロレンス)の『砂漠の反乱』発刊後、角川春樹は“翻訳自伝”を手掛けたという。
「その頃から編集会議に出るようになって、レーニン伝とかナポレオン伝とかずいぶんやりました。結構売れましたよ」
角川の編集者の資質として特筆すべきなのは、特定の分野にこだわらないことだ。自伝の翻訳の次に手掛けたのは、「詩」だった。
この経緯は、角川書店にいた鎗田清太郎の『角川源義の時代』(角川書店)が詳しい。
〈一九六六(昭和四一)年春、春樹は全国の小売店からの文庫注文伝票を見ていて、詩集の売れ行きが伸び始めたことに注目した。これは若者の間に詩への関心が高まってきたことを示しているのではなかろうか。この機会に、日本と世界の著名詩人の詩集をシリーズにしたらどうだろうと考えた〉
1967年から全12巻(後に増巻して20巻となる)の『カラー版世界の詩集』(角川書店)を始めたのだ。
「装丁家の日下弘さんという方が、世界文化社から素晴らしい美術全集を出していたんです。それは見事な装丁で、この人はすごく力があると思った。それで角川書店から世界文化社に移った人間がいたので、紹介してもらったんです」
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