オンラインイベント「日経クロストレンドFORUM 2020」で、2020年11月16日の講演に登壇したのは日本アイ・ビー・エム デジタルサービスの井上裕美社長。同社が考えるDX(デジタルトランスフォーメーション)、さらにデジタル人材をどう育成するかなどを語った。
井上氏は日本におけるDXの現状について、「2025年の崖」を背景に、コロナ禍によるニューノーマルへの変化も加わって、ビジネスモデル、サービス、業務プロセスにおける顧客のDXへの希求が加速しているという見方を示した。
「2025年の崖」とは経済産業省が18年に発表したDXレポートに記された言葉で、DXへの対応が遅れれば25年以降、年間最大12兆円の経済損失が生じる可能性があると論じたものだ。
そのうえで、DXには3つのフェーズがあり、ただDXを進めるだけでなく、「持続的なDXを実践する企業」となることが重要であると指摘した。
この3つのフェーズとは、紙などに記されたアナログの情報をデジタル化する「デジタイゼーション(Digitization)」、デジタルな技術を用いて業務改革や顧客体験の劇的な向上を図る「デジタライゼーション(Digitalization)」、企業活動や業界全体を持続的に変革し、今までにない価値を創出する「デジタル・トランスフォーメーション(Digital Transformation)」。
そして、「持続的なDXを推進する企業」とは、「ビジネス」「デジタル」「人」という3つの観点、9つの領域で先進的な試みを実施する企業だ。9つの領域には、(1)デジタル戦略、(2)ビジネスモデルとチャネルの改革、(3)インテリジェントワークフロー、(4)デジタルテクノロジー活用、(5)データからのインサイト創出、(6)デジタル基盤活用、(7)自律的に変革する組織、(8)DX人財育成、(9)ニューノーマルな働き方と文化を挙げた。
JALなどの先進事例を紹介
次に井上氏は同社が手掛けた事例を挙げ、同社のDXへの考え方を説明した。
最初は日本航空(JAL)の整備士の業務を改善した事例。整備士は担当する航空機が到着する前にフライトスケジュールや過去の整備記録を別々のシステムで確認、整備後にはその内容をオフィスに戻って入力し、記録するなど事務作業が煩雑だったという。
同社はこれをモバイルアプリで解消。複数のシステムを統合し、事務作業のほとんどをiPhoneでこなせるようにした。画像や動画も扱えるようになったことで、情報共有がより濃密になったという。結果として整備士の生産性は大幅に向上したうえ、紙資料を334万枚も削減できた。
次に紹介したのは「AIを活用したスマートファクトリー」の事例。具体的な企業名は出さなかったが、この企業ではもの作りの生産性を2倍に高めることで原価を下げ、既存の売り上げを伸ばす「生産性倍増プロジェクト」を推進しているという。
この事例では生産計画やリソース計画の立案スケジュールを最適化するとともに、生産現場からIoTデータを収集してリアルタイム分析を行うことで高効率化を果たした。結果として多くの工場で品質を改善、ファインセラミックの製造工程ではAIの活用によって5%近い歩留まり向上を実現した。
3つめの事例は「自動化とコグニティブ技術によるグローバルIT運用の最適化」だ。人材不足という社会共通の課題を抱えつつも、将来を見据えたグローバルIT運用を実現するため、同社は顧客企業と共にグローバルIT運用のあるべき姿とロードマップを検討した。その結果、「オペレーターの監視業務の自動化」「サーバー構築・運用業務の自動化」「サーバー運用のAI活用」という3つの自動化に取り組むことになった。
そのうち「オペレーターの監視業務の自動化」ではインシデントの検知から自動修復までの自動化に成功。月間447時間の工数を削減できたうえ、検知した際のSEへの連絡時間を1分以内に短縮できたという。
最後に紹介したのは「金融におけるデジタル・サービス・プラットフォーム」の事例。銀行が提供するオープンAPIは利用者を一部の企業に限定しているが、そのことが他業種と協業した新たなビジネスモデルの創出を困難にしているうえ、API自体にも技術的な課題があったという。
こうした状況に対し、データサービス基盤やデータを効率よく共有するためのAI連携基盤を整備。開発スピードの30%向上、40%のコスト削減を可能にしたという。
トップダウンとボトムアップ両面から変革を推進
井上氏が言う持続的なDXを推進する企業になるためには、こうしたビジネスでの取り組みに加え、人材育成や組織改革も欠かせない。井上氏は、自社での取り組みを例に語った。
その内容によると、コロナ禍の20年7月に設立した日本アイ・ビー・エム デジタルサービスは、立ち上げ準備もフルリモート環境で行ったそうだ。社内は金融事業部、社会・産業事業部、イノベーション開発センター事業部、基盤・サービス事業部、デジタル事業部、ISV事業部の6つに分かれており、役員同士のミーティングには現在もウェブ会議システムを活用している。
「顔を出し、あえて感謝の言葉をしっかり伝えること、人に対してはポジティブなフィードバックや改善すべき点を言葉にして伝えることなど、リモートでも活発に議論が行われるように工夫している」と井上氏。従来なら付箋紙をホワイトボードに貼っていたようなワークショップもテクノロジーを活用することで実現してきた。
また、全社のDX推進に当たっては、組織横断の体制を構築し、トップダウンとボトムアップの両面から変革を推進しているという。具体的には各事業部の役員クラスがDX推進タスクを定め、現場の社員も巻き込みながら自らをどう変革するのかという施策に落とし込んでいく。一方でテーマごとに「DXコミュニティ」を立ち上げ、ボトムアップから生まれるアイデアを吸い上げる。さらにマネジャークラスの社員たちはコラボレーションツールの「Slack」を使って目の前の課題を横断的に話し合う「Jam」という試みも推進している。
DX推進には自らの言葉で考えられる人財が必要
人材育成においては、豊富な業界知識と圧倒的な技術力を持つITプロフェッショナルの育成に注力している。
特に「DX時代には、様々な領域に強みを持つ多様な“人財”が必要」と井上氏。なぜならDXはビジネスのあらゆる層にまたがっており、特定の領域をカバーしているだけでは不十分だ。ビジネスプロセスやユーザーインターフェース、システムインフラなど、関連する複数の層にまたがって活躍するプロフェッション(専門職)の集団が、ビジネスにおける全ての層を多重的にカバーすることが必要となる。
そして、そうした“人財”が活躍できるのは「ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(個々のスキルや価値観を認め、生かす状態)に支えられた“共創”の文化がベース」と井上氏は語る。だからこそ、「日本アイ・ビー・エム デジタルサービスとしては、企業の枠を超え、様々な企業との“共創”によって日本におけるDXを加速していきたい」と締めくくった。