エグゼクティブサーチ会社「ハイドリック&ストラグルズ」日本オフィスで活躍する渡辺紀子氏が、21世紀を勝ち抜く「異能のキャリア」を紹介するシリーズ。第13回は、大学在学中から朝日広告社に勤め、マッキャンエリクソンを経てADKマーケティング・ソリューションズに入社し、クリエイティブとメディアを統合したプランナーとして異彩を放つ平井孝昌氏だ。

平井 孝昌(ひらい たかまさ)氏
ADKマーケティング・ソリューションズ バーティカル・プランニング・ディレクター
インターネット黎明(れいめい)期から朝日広告社にてWebデザイナー/プランナーとしてプランニング、制作、運用を担当。2010年に自ら立ち上げたマッキャンインタラクティブのデジタル・クリエイティブディレクターになり、12年からはマスとデジタルを統合したクリエイティブディレクターとしてコミュニケーション全体のディレクションを担当。20年6月、ADKマーケティング・ソリューションズにバーティカル・プランニング・ディレクターとして入社。オンライン行動データの分析による戦略を基にクリエイティブとメディアを統合したプランニングを行う
渡辺紀子氏が見た平井孝昌氏

 平井さんはとある食品会社デザイナー招へい案件で、優れたクリエイターとして名前の挙がった5人ぐらいのうちの1人でした。直感でコンタクトを取ると、デザインの捉え方が斬新、しかもリベラルアーツにたけた方ともすぐ分かりました。ズバリの接点としては言語学。私も大きな影響を受けた、ソシュールについて語り合えるとは思ってもみませんでした。今後もいろいろ教わりたいと、この場にお招きしたんです。

平井孝昌氏(右)と渡辺紀子氏(左)
平井孝昌氏(右)と渡辺紀子氏(左)

 平井さんは愛知のご出身だそうですね?

 「育ったのは稲沢市という濃尾平野の真っただ中で、自然がほどよくあって良かったんですが、文化的には好きな場所ではありませんでした(笑)。例えば、小4か小5の頃、愛知のエビフライは名物でもなかったのに、タモリさんがテレビで『名古屋のエビフリャー』とネタにしたんですね。それを朝礼で校長先生が『名古屋をバカにして許せん』と話すのを聞いて、なんて分かってないんだろうって(笑)。その頃はもちろんうまく言葉にはできていませんが、大きな経済効果をもたらしてくれるのにもったいない価値観だなと感じました。なので、この頃からこの町にいては成長しないと感じ、まず名古屋に行き、大学では東京に行くぞと決意しました」

 現在の平井さんの成長を思うと、その先生に感謝しなければなりませんね(笑)。

1992年明和高校、放送部部室にて
1992年明和高校、放送部部室にて

 「高校は県立の明和高校に進みました。名古屋有数の進学校なので中学で10番以内だったのが、高校ではいきなり300位の世界です(笑)」

 進学校あるあるですね。その頃からクリエイティブに関心も持っていた?

 「放送部と演劇部の掛け持ちをしていました。言葉を作り、ストーリーテリングをするという点で、まるで無縁ではないでしょうけど……。演劇集団『キャラメルボックス』などのエンタメ、涙腺を緩ませる、面白い話を書けるという方向に引かれていました。あと明和では文化祭で3年がクラス演劇も披露するんです。受験も控えるのに、なぜかみんな夢中に取り組み、どれもクオリティーがなかなか高かったことを思い出しました」

詩を書き始めたのが自分の原点

 進学した横浜国立大学での専攻は?

 「高2までは、大学は経済学部に入って会社員になりたいって親には言っていたんです。というのも、我が家は両親とも画家で、その後、妹までアーティストになったんで、自分だけはそうはならないと。ところが、アートを理論化する学問には興味が湧きまして。芸術学が学べる大学に進みたいと高3の夏に急に言い出して、親は困惑してましたね(笑)。調べていくと横浜国立大学の教育学部には総合芸術課程というのがあったんで、ちょうどいいかもと思いました」

2014年、父の個展で母と共に
2014年、父の個展で母と共に

 血は争えませんね(笑)。

 「急に路線変更したのには、実は理由があります。恥ずかしい話、高校時代に好きになった子がいまして、何を考えたか、気持ちを昇華するために詩を書き出したんですね。自分の内面を表す単語をまず30、40並べ立て、どれがしっくりくるか一つずつ吟味して組み合わせていくんです。そうやって『今日の気持ちはこうだな』とまとめる。それを友人が面白いと言ってくれましてね。製本にもはまって、そもそも人に見せるつもりではないのに、個人誌にして何十冊かは配りました」

 最初からフレーズで考えるのではなく、キーワード検索に近い、実験的手法ですね。

 「思えば、それが自分の原点かもしれません。大学入学は1994年でしたが、コンピューターグラフィックス(CG)演習という授業がありまして、三井秀樹先生という筑波大学の教授が教えに来ていたんです。CGといってもBasic言語でお絵描きするみたいな授業なんですが、その授業にとてもはまりまして。そうしたら三井先生のお知り合いが朝日広告社の役員で、朝日新聞の『asahi.com』が立ち上がったときぐらいの大学2年時に、『朝日広告社のサイトにバイトに行け』と言われたんです」

 95年というと、まさにデジタル広告の草創期ですね。

 「デザインにコーディング、サーバー設定から見積もり、クライアント提案まで何でもやり、他の大学生もいたので朝広がサークルみたいなものでした。会社に寝泊まりして当時で時給1200円、月400時間ぐらい仕事してましたね。いわばインターンを2年で始めて卒業まで続けたわけです。大学のゼミの先生からは、このジャンルは可能性があるから卒論さえ出せばゼミにもそんなに来ないでいい、とも言われて(笑)」

 Web広告制作を実地で学んだんですね。

 「卒論のタイトルもド直球で、『インターネットと広告』(笑)。一応、就活もしましたが忙しくて続かなくて、朝広の新卒採用で辞退が出たのでその枠に入れてもらいました。そのまま28歳まで在籍して、担当したのはキユーピーや丸美屋のホームページのような食品メーカーが多かったですね」

クリエイティブの幅を広げたくて転職

 マッキャンエリクソンに移られた理由は?

 「朝広に入社して7年たち、当時の自分は何とかクリエイターとして名を立てたかった。そんな中、マッキャンワールドグループはクリエイティブで人を評価してくれるというイメージがありました」

 だから新天地で仕事の幅を広げようとされた。

 「マッキャンには青山クリエイティブスタジオ(現クラフトワールドワイド)という子会社がありまして、電通テック的な制作会社のような会社です。そこにまず契約社員として入社しました。ただ、グループ全体で率直に言ってデジタルでは後れを取っていました。なので入社時は1年でバナー1000個を作るという感じで、徐々にHPやキャンペーンの案件なども来るようになりました」

 マッキャンは外資ゆえに、ネスレやジョンソン・エンド・ジョンソンなどグローバル企業の広告を一手に引き受けるイメージが強いです。

 「僕はどちらかと言えば、そうした主流以外のプロジェクトを多く手掛けました。10年に自分がリーダーのマッキャンインタラクティブというチームでつくったエスエス製薬の特設サイト、『カゼミル』などが典型例です。これは同社の風邪薬『エスタック』ブランドの認知度向上と、製薬会社として広く積極的な情報発信を行うことが目的で、Twitter上の風邪に関するつぶやきを自動的に抽出・集計し、サイト上の日本地図に都道府県別に表示、ユーザーに向けて注意喚起するつくりになっていました」

データ分析を風邪注意報に生かした

 ビッグデータを生かした、まさに風邪予報ですね。

 「医薬品医療機器法(旧薬事法)の関連で、製薬会社は風邪などの予防メッセージは発信できないんですよ。だから、SNS上の声を通じて、全国的な風邪の流行状況を伝え、時期もですが、地域によって顕著に出る症状も異なるので、その辺りをユーザーに意識してもらうんです。伝手(つて)を頼って東大の言語解析チーム(「知の構造化センター」)に開発を依頼したエンジンによって、ツイートの抽出と解析が可能になりました」

 流行の把握には意外と口コミも大事だと思います。

 「バージョンアップさせた『カゼミル+』では、天気予報との連動機能を持たせ、より精度の高い風邪注意を喚起できました。それまで広告というと、クリエイターが感覚的に制作していく部分が大きい。確かに最後はそうした感覚も重要ですが、企業・業界・社会にまつわる言葉のコンテクスト(文脈)を分析し、データ化・定量化できるという仮説が、この一連のコンテンツ展開で発想できて、実証もできましたね。そして今の自分の考えでもある、インタラクティブな顧客とのコミュニケーションで新たなコンテクストを作っていく、というモデルの原型になったと思います」

 だから、言語学であり、フェルディナン・ド・ソシュールだと(笑)。近代言語学の創始者と呼ばれるソシュールは「言語は記号の体系」だと看破した。記号には意味する〈表現〉と意味される〈内容〉があって、両者は表裏一体だと説いた。しかし、言語学とビッグデータは結びつきませんでした。

 「『カゼミル』は100万PVを超えるなど少し話題になったので、いくつかの新聞社に取材されました。その際に『ビッグデータの将来性』を問われたんです。そこで初めて知りました、そんな言葉を(笑)。カゼミルはいくつかの海外賞なども受賞し、それを当時のマイケル・マクラレン社長が認めてくれました。それをきっかけに、クリエイティブ全体のデジタル化を進めるためにクリエイティブディレクターになりまして、テレビCMも作り出したんです。2010年代は、全世代向けに効果的なテレビCMを流せば商品が売れるぎりぎりの時代でした。担当したのは食品メーカーやメイベリンニューヨーク(ロレアル)などですね」

テレビCMを手掛けて分かったテレビの効果

 若い女性がテレビを見ていますか?

 「ええ。当時はまだテレビの効果は大きい。例えば、メークの初心者でもこれなら失敗なく引けるというメイベリンのアイライナーがありまして、そのテレビCMを制作しました。そのときに『最細0.01mm、レーザー級ライン』というコピーができたのですが、これが事前のクリエイティブテストで非常に高スコアになり、実際にヒットもしました。ユーザーのインサイトと言葉のコンテクストがマッチングしたとき、ヒトやモノが動くのかもしれないという仮説を、このときつかみましたね」

2014年、米サンディエゴでのDMA国際エコー賞授賞式
2014年、米サンディエゴでのDMA国際エコー賞授賞式

 平井さんのご経歴を拝見すると、エスタックに対抗した、17年の武田コンシューマーヘルスケア(当時)のベンザブロックの「かぜぐすリリック」も面白いですね。

 「Web動画広告ですが、風邪薬CMの“あるある”場面やコピーをネタに歌詞にし、ヒャダインさんに曲をつけてもらいました。再生回数も数百万回を超えました」

 その“あるある”もしっかりデータ分析されたと。風邪薬は年代を超えて必要とされますしね。

 「症状別の風邪薬ではベンザブロックはパイオニア的存在。四半世紀にわたって放映してきたテレビCMは貴重な資産です。その資産を生かしつつ、若年層にリーチするため、ネット上でも受け入れられやすい文脈への変換を意識しました。ネット文脈とベンザブロックのコンテクストをうまく掛け合わせ、インパクトのあるコミュニケーションを目指したんです」

Webメディアはもっと謙虚になればいい

 こうして伺っていると、いずれはAI(人工知能)が広告を作るのではと危惧しますが、同時にしばらくはなかろうと安心できますね。AIにはパロディーが分からない(笑)。

 「広告は最近、嫌われているという風潮もありますが、本来、他のコンテンツと同居できるはずなんですよね。昔のテレビ番組のように、『ここでいったんコマーシャル』とか『スポンサーからのお知らせです』とあらかじめアナウンスしてCMを入れる、そしてその文脈を崩さないなど、もっと謙虚になればいいんです」

 確かにネット時代に入り、広告が無遠慮になってきた気がします。ともかく細かく小刻みに視界に入り、音声まで飛び出してくる。ところでマッキャンで順調なキャリアを築いておられたのに、ADKマーケティング・ソリューションズに移籍されたのはどうしてですか?

 「メディアとクリエイティブが別会社になったり、グローバルマーケティングそのものに違和感を感じたりし始めました。アジアや日本文化への評価基準が根本的に欧米目線なのでこれでは戦えないなと。その点、ADKはメディアとクリエイティブが近い立ち位置で、セクショナリズムが薄いと感じました。いろいろ話を聞くと、思っていた以上に風通しの良い会社に感じました」

 ADKでも早速、いろいろ挑戦されているのでしょうが、移籍してまだ日も浅く、守秘義務が多そうですね(笑)。お話の続きは情報開示が許されてから、ぜひお願いします。

渡辺氏(左)と平井氏(右)
渡辺氏(左)と平井氏(右)
渡辺さんのラスト一言

 平井さんは釣りが趣味で、「魚との対話を楽しむ」なんてSNSに書いておられる。バーバルなお仕事だからこそノンバーバルなコミュニケーションに意識が高い。そして、かなりの食通で、食べるだけでなく作るほうにも熱心。しかも、「人をもてなすために作る」んだそうです。リモートチャットでのぞくお部屋の様子からも、珍しいお酒が棚にぎっしり。緊急事態宣言で延期になってしまった、飲み会を楽しみにしています。

(写真/松沢雅彦、写真提供/平井孝昌氏)

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