エグゼクティブサーチ会社「ハイドリック&ストラグルズ」日本オフィスで活躍する渡辺紀子氏が、21世紀を勝ち抜く「異能のキャリア」を紹介するシリーズ。第10回に登場するのは、横河ヒューレット・パッカード(YHP、後の日本ヒューレット・パッカード)で取締役まで上り詰め、2013年にボーズ(BOSE)社長に就任。17年からはロボット掃除機「ルンバ」で話題の、アイロボットジャパン代表執行役員社長を務める挽野元氏だ。
アイロボットジャパン代表執行役員社長
アイロボット・コーポレーション副社長アジア太平洋地域統括
挽野さんとはHPにいらした頃、候補者となり得るエグゼクティブとしてお会いしました。初回に「学歴コンプレックスがある」とはっきりおっしゃって、率直な方だなと強く印象に残りました。外資系でずっと来られている方には珍しく、腰が低い実務派の方なんです。そんなご自身の性格もあるでしょうが、キャリア1社目の影響なのか、とてもセンスがいい、素晴らしいブランドを転職先にも選んでおられますね。
以前のインタビュー記事で、若い頃は「劣等感の塊」だったと語っておられました。まずどこでつまずかれたんでしょう?
「中学までは成績もよかったんですが、高校は優秀な子が集まる進学校で、できるヤツらがいっぱいいる。それが最初の挫折でしたか。中学で始め、高校でも続けたハンドボールも先輩の代までは好成績を収めてたんです。ところが自分の代は3人しかいなくて1学年ではチームを作れず、自分の技術もいまいちで十分なパフォーマンスができなかった。そこで葛藤を抱えましたね」
進学校あるあるです(笑)。高校はどちらだったんですか?
「神奈川県立希望ケ丘高校です。かつての旧制横浜一中。グラウンドが広い学校で……」
パイロット志望だったが視力要件で断念
自由な校風で知られていますよね。
「当時はパイロット志望だったんです。自宅上空にちょうど旅客機の航空路が通っていて、あんな大きいものが飛ぶんだ、操縦したいなと、いつも空を見上げていました。その頃はパイロットになるルートは航空大学校か自衛隊。ところが視力要件があって通らない。高校に入って目が悪くなったんです。そこで航空管制官を目指し、航空保安大学校を受験しましたが、英語がメインの試験でそんなに難しくないのに2年連続で失敗してしまった」
確か今は東海大学をはじめ、いくつか航空操縦学を学べる学校はあるはずです。
「ええ。視力要件も今はそこまで厳しくないはずです。それで北海道大学志望の友人がいて、その影響で自分も受けたんです。実は飛行機に乗るのもその時が最初(笑)。親元を出たい気持ちが強く、北大はキャンパスも広いしと憧れたんですが、これも2年連続で不合格。友人は受かり、自分は落ちた。かなりの挫折感を抱え、武蔵工業大学(現東京都市大学)に入学しました」
とはいえ、私学工学部の老舗です。専攻は超音波工学とか?
「地味でニッチですが様々な分野で権威の教授がいましてね。例えば1970年代から水素自動車の研究をしていました。私の在学時はバブル絶頂でしょう。研究室推薦で必ず就職もできる。完全な売り手市場でしたが、そのまま流されてしまいそうな気もして、大学院に進みました」
この記事は会員限定(無料)です。
- ①2000以上の先進事例を探せるデータベース
- ②未来の出来事を把握し消費を予測「未来消費カレンダー」
- ③日経トレンディ、日経デザイン最新号もデジタルで読める
- ④スキルアップに役立つ最新動画セミナー