エグゼクティブサーチ会社「ハイドリック&ストラグルズ」日本オフィスで活躍する渡辺紀子氏が21世紀を勝ち抜く「異能のキャリア」を紹介する連載シリーズ。第4回に登場するのは、東大法学部卒業後、ソフトバンクなどを経て現在、RIZAPグループの取締役を務める鎌谷賢之氏だ。コロナ禍でダメージを受けた同社の立て直しに携わりつつ、コロナ後の世界での顧客価値創造を目指し、革新的なDX(デジタルトランスフォーメーション)に向けた新たな仕掛けにも着手している。

鎌谷 賢之(かまや たかゆき)氏
RIZAPグループ 取締役 経営企画本部長
1974年富山県生まれ。東京大学法学部卒。97年三洋電機入社。会長室・経営戦略部で経営ビジョン、経営再建プランの策定を担当。2009年ソフトバンク入社。同社社長室で「新30年ビジョン」策定、国内外の大型買収案件などを担当。14年東進ハイスクールを運営するナガセ入社。常務執行役員としてM&A・新規事業などを担当。17年RIZAPグループ入社。現在は取締役としてグループの構造改革と成長戦略の策定および推進を担当
渡辺紀子氏が見た鎌谷賢之氏

 鎌谷さんはソフトバンクに移られて以降、ずっとオーナー経営者の片腕的なキャリアを築いてこられました。創業者にかわいがられる人柄なんです。その理由はインタビューを読めばお分かりいただけるはずですが、ソフトでありながら筋を通す。ここ10年来、互いにリスペクトする間柄です。

 鎌谷さんのこれまでの転職の一部は私がお世話してきました。「これから可能性のある事業は教育と健康。それらに携わりたい」と鎌谷さんは希望された。転職先がその意志を証明しているでしょう。

渡辺氏(左)と鎌谷氏(右)
渡辺氏(左)と鎌谷氏(右)

 鎌谷(賢之)さんは富山の高岡市のご出身。高岡といえば、銅器や漆器などで知られる「ものづくり」の町。鎌谷さんもずっとクリエイティブな事業に関わってこられました。

 「父も私が幼いころは自身で事業をしていました。しかし、ほどなく倒産し、大きな借金を抱え、以降は勤め人として10年以上、ずっと働きづめでした。そして私が14歳のときに亡くなってしまった。それが社会問題になる前でしたが過労死だったと思っています。父が会社を潰した理由も、大学を出ておらず法律の知識が足りなかったせい。だから『法律の勉強をし、弁護士を目指しなさい』とは父にも言われました。法学部に進学するまではその遺言を守った格好ですね(笑)」

 では、司法試験の準備はなさったんですか?

 「いいえ。法学部での勉強を通じて経営に携わりたいという気持ちのほうが強くなりました。しかも、あまり同じ大学の文系の先輩のいない企業に進もうと、就活でも官庁や大手金融機関などは受けませんでした。金融機関にOB訪問をしてもあまり共感できなかったし、当時の大蔵省などでは事件がいくつも勃発し『官僚はイヤだな』とは漠然と思っていました」

 ノーパンしゃぶしゃぶ事件のころでしょうか(笑)。しかし、東大閥が強い組織を回避したのは賢い。以心伝心のやりやすさもあるでしょうが、逆に前例を破れない、やりづらさのほうが多そうです。

 「私が就職先に選んだ三洋電機でも、開発部門には東大の理系の先輩方は多くいましたが営業部門にはほとんどいなかった。太陽電池の開発などで進んでいたのにマーケティングが上手じゃなかったので『惜しいな』と感じた。そこに自分が貢献できる余地が多いと考えました。また就職するころから約30年後のイメージを思い描いていました。40代後半から50代にかけて何ができているか、2020~30年代に何が世界的な問題となっており、どうやって社会に貢献できるかと考えると、環境技術に積極的に取り組んでいる会社がよいだろうと判断できました」

 将来を見越した就職。それができるようでみんなできない(笑)。三洋ではまず人事部に所属され、まだ20代のうちに課長職になった。異例のスピード出世です。

 「今から振り返るとやりたいことをさせてもらったと思います。周りの期待をちょっとでも超える結果を出し、それらを積み重ね、ほとんどのことに挑戦ができました。とはいえ、まだ20代のこと。自分でやりたいと主張するより、しっかり上司とコミュニケーションを取る中、絶えず何に関心があるか示してきました。タイミングが来れば『やってもらおう』と差し向けられるので、その時に『がんばります』と言うだけです(笑)」

2004年、雑誌『Global Manager』(2004年8月10日発行号)に取り上げられる
2004年、雑誌『Global Manager』(2004年8月10日発行号)に取り上げられる

パナソニックとの統合が三洋での最後の大仕事

 「決定するのは上司であり、クライアントですからね。私の場合、常に会社の成長につながるテーマと提案をすり合わせていました。(08年の)パナソニックとの経営統合の基本合意が最後の大仕事でした。三洋の経営再建のために、野中ともよ会長や井植敏雅社長をサポートしながら、過去のしがらみを断とうと様々な手段を講じましたが、やり切れなかった悔いは残ります。ただ、私が確信を持っていた、20~30年後の三洋の持つ環境技術の可能性はパナソニック幹部にお伝えできたと思います」

 結果として一大企業が倒産を経ず消滅するという日本経済史でも初の例となりました。

 「野中さんらの退陣で既に退社は考えていましたが、人事部時代の上司で恩義もある佐野精一郎さんが社長に抜てきされた。そこで思いとどまらせられたんです。『俺が社長になるから辞めないでくれ』と。改革も一時は成功し、黒字転換も成し遂げることができましたが、直後にリーマン・ショックに見舞われ、パナソニックによる買収が決まり、経営統合の基本合意の会見を見届けて退職しました。その際も佐野さんからは、『これまでの経験は決して無駄にならない』とせんべつの言葉をいただきました」

 そして09年4月、鎌谷さんはソフトバンクに移られた……。

 「リーマン・ショック後でほとんどの企業が採用を控える中、100社以上にエントリーし、50数社に書類を送り、20社ほどと面接し、自分に興味を示してくれたのがソフトバンクとファーストリテイリングだけでした。経営戦略を含む部門で働きたい希望があり、戦略担当への移動を前提にIRを配属先に提示してきたソフトバンクに入りました」

有料会員になると全記事をお読みいただけるのはもちろん
  • ①2000以上の先進事例を探せるデータベース
  • ②未来の出来事を把握し消費を予測「未来消費カレンダー」
  • ③日経トレンディ、日経デザイン最新号もデジタルで読める
  • ④スキルアップに役立つ最新動画セミナー
ほか、使えるサービスが盛りだくさんです。<有料会員の詳細はこちら>