デザイン思考はイノベーションを実現するうえでは有効な方法論だが、限界もある。狙いや意図が明確でないと、うまく機能しないし、企業の意思決定基準の不明確さ、新規性を避けたがる企業文化、新規事業を支援できない企業構造などが重なると進まない。こうした点を整理してからスタートさせるべきだろう。

 過去10回の連載を通じ、デザイン思考の考え方やプロセスに焦点を当てて紹介してきました。デザイン思考の活用は、問題発見の能力や問題解決の能力向上に大きな効果があることが理解していただけたでしょうか。

 しかし、その一方で限界もあります。デザイン思考はあくまで1つの方法論であり、これだけでイノベーションが起きるわけではありません。

 今回は本連載の最終回として、デザイン思考を活用する際の課題について触れ、どのように限界を超えていくかを提示したいと思います。

 デザイン思考が広がった理由として大きいのは、コンサルティングを請け負うデザインファームの存在でしょう。彼らがいなければ、デザイン思考がこれほど普及することはなかったといえます。ただし、デザインファームといえども、コンサルティング会社によるデザイン思考の方法論(フレームワーク)を、企業がそのまま活用するには注意が必要です。

 なぜでしょうか。

 コンサルティング会社は基本的に、クライアントからの依頼で仕事を始めます。この段階で、クライアントの狙いや意図は明確になっている場合がほとんどです。つまりコンサルティング会社が手掛けるデザイン思考の多くは既に前提条件があり、それに基づき、いかに優れた成果を出すかを考えています。狙いや意図が不明確であったり目標が曖昧な状態であったりしたままで、プロジェクトがスタートするケースもゼロとは言い切れないでしょう。しかし、いずれのケースにせよ、デザイン思考を活用しようとする前に、企業が抱える特有の課題を解決する必要があります。

 筆者が提案する「d.seed」も含め、デザイン思考にはさまざまな方法論があります。それらの多くは汎用的な使い方が前提なので、企業の個別の状況には対応しにくいと思います。このため戦略も何もない状態でデザイン思考の方法論だけに期待しても、よい結果は得られません。ですから、実際はほとんどのコンサルティング会社はデザイン思考を活用しつつ、企業の課題や状況を踏まえながら固有のアドバイスを提供するわけです。

 まずは、この点を踏まえておいてください。そのうえで企業の組織上、デザイン思考の活用を阻む3つの点を解説します。

意思決定の基準はデザイン思考ではつくれない

 1つ目は、イノベーションに対する明確な意思決定基準の有無です。デザイン思考には、組織の意思決定基準を構築するプロセスは含まれていません。デザイン思考を導入する前に、意思決定の基準を別途、明確にしておく必要があります。

 デザイン思考は「どのようなスタンスでイノベーションに取り組むか」「どのようにリソースを分配するか」といった、意思決定の基準が明確な状態で初めて機能します。もちろん、基準が曖昧なままデザイン思考を使うことも可能ですし、運良く「すばらしい」事業コンセプトが出るかもしれません。

 しかし、そのコンセプトが「自社の新規事業として本当にふさわしいかどうか」について、デザイン思考だけでは判断ができません。すばらしいように思えたコンセプトも、実装の追加投資を受けることができなければストップしてしまいます。結果、「デザイン思考を活用したけれど成果が出なかった」ということになります。つまり「デザイン思考がうまくいかなかった」のではなく、「うまくいかない状況でデザイン思考を活用していた」のです。

 2つ目は、企業文化との親和性です。それぞれの組織には、何らかの影響力がある「文化」が存在します。新規性などを嫌う保守的傾向が強い企業文化がある場合、デザイン思考の活用は難しくなるでしょう。

 デザイン思考は主に米シリコンバレーを中心に目覚ましい勢いで普及・発展しました。同地域は米国の中でも特殊で、リスクを取りながらテクノロジーによって問題を解決し、今までにない新しい価値を生みだすという考え方を当たり前に持っています。「イノベーション企画室」などが社内になくても、新しいことに積極的に挑戦しようとする企業文化ができています。シリコンバレーでデザイン思考が注目された理由は、そのような企業文化と無縁ではありません。

 3つ目は、企業組織の問題です。新規事業の開始を支援できる体制になっているかどうかが問われます。意思決定の基準や企業文化との整合性ができていても、組織はうまく機能しません。

 こんな例があります。Aさんはデザイン思考による新サービス開発のために、通常業務と並行しながら活動をする9人のプロジェクトチームの担当者でした。できれば開発に専念したかったのですが、事業部の責任者は「活動が軌道に乗れば専念できるように考えている」と言ったそうです。時間も人手も不足しているなか、チームメンバーは何とかコンセプトを固めました。

 取引先からも好評と分かり、スタート時のサポート体制などを検討し始めました。社内の関連部門に相談したところ「毎月何人のお客さまに対応しないといけないのか、正確な予測が欲しい」と言われました。まだ発売していないサービスの問い合わせ件数を正確に予測することは不可能です。数字を用意したとしても、想定の10倍かもしれませんし、予想が外れて10分の1になるかもしれません。

 この場合、正確な数字を出すことが問題ではなく、社内の関連部門が新規事業を支援できるようになっているかどうかが問われています。プロジェクトチームを発足させるだけでは、新規事業は進みません。企業の組織構造も整える必要があります。

イノベーションを実現させるポイント
イノベーションを実現させるポイント
3つのポイントを踏まえたうえでデザイン思考を活用すれば大きな成果が得られる(本誌作成)

 このように、デザイン思考を適切に理解し活用したとしても、組織の根幹であるさまざまな要素が確立されていないと、成果を出すことは難しいというのが実情です。

 本連載「デザイン思考ベーシック」では方法論としてのデザイン思考に焦点を当ててその中身を紹介してきました。2021年4月に予定している新連載「デザイン思考プロフェッショナル」では、上記の3つのポイントを整理するための理論やフレームワークについて紹介します。

 ゴールは、イノベーションのための戦略を効果的に構築することです。デザイン思考だけではカバーできないイノベーションの取り組みについて全体を俯瞰(ふかん)して理解し、成果を出せるように解説していきます。具体的には、市場を勝ち負けがハッキリしているゲームととらえたうえで、(1)特定の市場における固有のルールの理解、(2)ルールを踏まえてどう勝つかを規定する信念、(3)その信念から具体的な成果を生みだすための仕組み、という3つの領域について取り上げます。新連載を通じ、読者の方により広い視点で価値を創造する視点を提供できればと考えています。

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