連載10回目は、社内外の協力を得ながら製品/サービスを開発する、展開のフェーズを解説する。このときに重要な点は、「ストーリー」の共有だ。機能的ストーリーと情緒的ストーリーの2つがあるが、デザイン思考では特に情緒的ストーリーが求められる。

実験のフェーズを通じて新しいアイデアやコンセプトの価値が明確になってきた後は、チーム以外の社内関係者や社外パートナーに協力を求め、製品/サービスの実現へと進みます。ここで重要になる点が、新事業に関する「ストーリー」の共有です。
ストーリーとは、なぜ、その製品/サービスが必要なのか、顧客にどんな価値をもたらすのか、を簡略に説明する内容といえるでしょう。今までにない製品/サービスですから、新しい価値について十分に理解してもらい、間違った方向へ行かないようにします。ストーリーには、「機能的ストーリー」と「情緒的ストーリー」があります。
機能的ストーリーとは、製品/サービスを開発するに当たり具体的な仕様は何か、どんなビジネスモデルで、どう利益が出るかといった点を、論理的・数値的な視点で語るものです。数字で示すため、プロジェクトに対する実現性への確信が高まります。
情緒的ストーリーとは、プロジェクトが成功すると顧客の日常や社会の様子はどのように良くなるのか、なぜ自社がこの製品/サービスに本格的に取り組む必要があるのかといった点を語ります。ここでは関係者の信条的な確信が高まります。
この信条的な確信とは何でしょうか。
信条的な確信とは、企業の使命や存在意義ともいえます。例えば、日本で初めてエアバッグ搭載車を発売したホンダでは、当時の開発リーダーである小林三郎氏が、次のように関係者に訴えていました。「世界で毎年10万人、毎日300人が交通事故で亡くなっているのだ。ホンダがやらないでどうする」というわけです。
この主張の裏には、顧客に安全な環境を提供したいという価値観や、自動車会社としての使命感が存在します。車を運転する人の視点や社会的な視点が含まれたストーリーは、エアバッグの社会的普及における力となりました。
「この取り組みには意義がある」と思わせる
もちろん、情緒的な側面を訴えるだけで新しい製品/サービスが成功するわけではありません。既に述べた機能的ストーリーも重要です。
実際、当時のホンダでは、役員を含めた多くの関係者がエアバッグの実用化に反対していたそうです。大きな理由が、事故のときにエアバッグが不発に終わるリスクと、関係ないときに暴発してしまうリスクの2つを恐れていたからです。この点について、小林氏は「技術の故障は技術で解決できる」という考えを提示し、関係者の協力を得ていきました。
デザイン思考の方法論として強調しておきたいのは、「この取り組みには意義がある」という顧客視点の情緒的ストーリーです。言うまでもなく、顧客に今までにない価値を提供することで企業は成り立っています。新しい事業を始めるのは、顧客が今の生活や仕事で抱えている悩みや課題を、明日には解決できるようにするためです。BtoCなら今まで想像すらできなかったすてきな日常を顧客に届け、BtoBであればクライアントが驚くほど生産的・効果的にビジネスに取り組める状況を提供するためです。
常に顧客視点を持ち、関係者と協力しながら価値の創造に取り組むことがデザイン思考のプロセスでは重要です。ただし、デザイン思考はイノベーションの可能性を高める一方で、方法論としての限界も存在しています。次回は最終回として、デザイン思考だけではうまくいかないケースについても紹介していきます。
- 小林三郎 (2012)『ホンダ イノベーションの神髄』日経BP