本連載ではデザイン思考の基礎を学んでいく。今回は、なぜデザイン思考で「人間中心」の考え方が重要なのかを明らかにする。「自社の問題を解決する」のではなく「顧客が抱えている問題や社会の課題を解決する」という発想がある。企業の視点を切り替えることが問われている。業界の常識は顧客にとっては意味がない。

前回も述べましたが、一般的な企業と優れた企業では、物事を捉える視点が違います。その違いは、問題解決の対象を「自社」に置くか、それとも「顧客」や「社会」に置くのかにあります。一般的な企業は「自社が抱えている問題を解決する」ことを重視しますが、優れた企業には「顧客が抱えている問題や社会の課題を解決する」という発想があります。
「企業は顧客に価値を提供できなくて困っている」のではなく「顧客は価値のある製品・サービスを手にできずに困っている」のです。主語が自社ではなく顧客です。企業の視点を切り替えるうえで役に立つのが「人間中心」という考え方なのです。
人間中心という考え方は、デザイン思考という方法論の根幹をなす思想です。より具体的には、問題の発見と解決のために、人間のニーズや能力、行動に焦点を当てることを意味します。
「人間中心」という言葉になじみのない方もいると思いますが、日本の近江商人の経営哲学として伝わっている「三方良し」という考え方を使えば、より理解が深まるでしょう。三方良しでは「売り手良し、買い手良し、世間良し」と三者の満足が重要であると表現しています。デザイン思考の発想も同様で、売り手である企業や、買い手の顧客のみならず、その他の関係者や世間に対する広い視野での価値提供を最初から想定することがポイントです。
どうしたら、子供はおとなしくなるのか
実際にデザイン思考が米GEで活用された例を取り上げ、人間中心のイメージを伝えたいと思います。ある日、GEのシニアデザイナーであるダグ・ディーツ氏は、病院のMRI(磁気共鳴画像装置)やCT(コンピューター断層撮影装置)の検査を受ける子どもが、検査に対して不安や恐怖を感じていることを知りました。そして、怖がる子を強制的におとなしくさせるため、80%の子どもに対して鎮静剤を打っていました。検査プロセスを効率化するためです。
ディーツ氏は、自分が開発していた医療機器によって子どもが恐ろしい体験をしている事実にショックを受けました。子どもの体験をより良いものに変えるため、GEや病院の都合ではなく、まず初めに「子ども」そのものに焦点を当てました。具体的には、託児所にいる子どもを観察することはもちろん、小児患者に関わりがある専門家などを含む30人と、子どもの日常を理解することから始めました。継続的な調査の結果、彼らのチームはある仮説にたどり着きます。それは「子どもは、これから行うことが冒険だと分かったら積極的に参加する」というものです。
この仮説を土台にして、白い無機質なCTとその周囲の空間を、遊園地のアトラクションのように塗りました。目的は、検査するための空間を冒険するための空間に変えることです。子どもが海賊船を模したCTに「乗り込む」とき、医療技師はこんなアナウンスをします。
「これから海賊船での冒険が始まる。冒険中はじっとしていよう」と。結果的に、子どもたちは進んで検査を受けるようになりました。成果の一例として、CT検査で鎮静剤を打つ割合は80%から3%へと激減したのです。まずは子どもの満足に焦点を当て、その結果、病院の検査プロセスの効率化にもつなげました。
このような仕事の取り組み方は、一般的な製品開発のプロセスとは一線を画します。なぜなら、CTにおける自社の技術的優位性や、顧客である病院関係者の希望を基に仕事をしていないからです。重要なポイントは、アウトプットとしてCTが海賊船になったことではなく、従来の製品開発プロセスでは無視されていた子どものニーズを中心に製品開発が行われたことにあります。
顧客の常識が業界の非常識になる場合も
「業界の非常識 (DIS:Deviation from Industry Standard)」という考え方も重要です。顧客が当たり前に思っていることと、自社や業界が当たり前に思っていることにズレがあり、そのズレを意図的に活用してイノベーションを生み出すのです。
例えば、白物家電の世界的に高いシェアを誇る中国の大手家電メーカー、ハイアールには次のようなエピソードがありました。それは1996年のことで、ハイアールの洗濯機を使っているユーザーから苦情が届いたのです。中国の四川省にある農村地域に住む農家の男性からでした。苦情の内容は「洗濯機のホースが詰まる」というものです。
ハイアールの修理担当者が現地に行くと、男性は衣服ではなく「サツマイモ」を洗濯機で洗っていたのです。サツマイモについた泥がホースに詰まるため、うまく水が流れない状態でした。修理担当者は取り急ぎ苦情に対応するため、洗濯機の排水管を大きくすることで問題を解決しました。そして、本社に戻って報告をしたところ「そこには何かがある」と社内で指摘があり、現地調査が始まりました。
調査の結果、苦情を申し立てた男性は普段からフライドポテト加工用のサツマイモを栽培しており、サツマイモの泥を効率よく洗う必要があったと分かりました。そして当時の四川省に住む多くの人が、冬にはサツマイモ、夏には衣服を洗濯機で洗っていたことも新たに分かりました。
この事実が明らかになったとき、ハイアールCEO(最高経営責任者)の張瑞敏(チャン・ルエミン)氏は農家のニーズに応えることを決め、翌年の97年に衣服とサツマイモの両方が洗える洗濯機を作るプロジェクトチームを立ち上げたのです。98年にはサツマイモだけでなく果物も洗える洗濯機を開発して中国の顧客から高い評価を受け、瞬く間に1万台を完売しました。
サツマイモのような食べ物を洗濯機で洗うことは、業界関係者から見れば「非常識な行動」だったかもしれません。しかし、ハイアールは農家の行動を非常識なものとして切り捨てるのではなく、むしろ顧客に寄り添って真摯に対応しました。
このストーリーから得られる教訓は、業界や自社の非常識こそがイノベーションの源泉になり得るということです。ただし、業界の非常識がイノベーションのきっかけになる一方で、実際にはハイアールのような意思決定は難しいことも分かっています。
以下は、私が日系企業の新サービス開発に関わった際のエピソードです。ある日、設計者の意図と違う使い方で、その会社のサービスを利用している顧客の存在が明らかになりました。そのような顧客がいることに対して開発者は否定的でした。「そんな顧客がいるなんてあり得ない。そんな使い方は間違っている。この人は顧客ではない」と言ったのです。
関係者のこだわりや思い入れが強ければ強いほど、否定的になるのも理解はできます。しかし、そのような態度では、柔軟な発想で新しい価値を生み出すことが難しくなります。自社が想定していた内容と異なる行動をした人を見て「私たちの顧客ではない」と考えるか、ハイアールのように「これが未来の顧客像かもしれない」と考えるか。どちらの発想を持つかで企業の生み出す成果は全く異なってきます。
業界の非常識は、業界と顧客が感じている当たり前の範囲に「ズレ」があることで発生します。このズレを無視することなく、意図的に目を向けるべきなのです。では、どのような形でズレを明らかにしていけばいいのでしょうか。ここで有効となるのが、次回に説明するデザイン思考のプロセスなのです。
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