本連載ではデザイン思考の基礎を学んでいく。今回は、なぜデザイン思考が重要なのかを明確にしたい。そのうえで今後、デザイン思考で何が学べるかを解説していく。デザイン思考によって今までにない視点を得ることが、イノベーションの実現に近づく第一歩になる。

なぜデザイン思考を学ぶのか 特徴や効果、方法論としての限界(画像)

 「どうすれば、ライバルにない当社の強みを生かし、業界ナンバーワンのポジションを獲得できるのか?」

 この問いかけは、世界的に著名なある日本企業が、新規事業の最優先事項として設定していたものです。私が知ったのは、この企業から「デザイン思考をうまく導入して、イノベーションを起こしたい」と相談を受けたからでした。私は即座に「この取り組みは失敗に終わる可能性が高い」と感じました。なぜなら、この企業が持つ発想では、新規事業が誤った方向へ進むからです。

 新規事業の際に問いかけるべき最優先事項は、「どうすれば顧客のことを深く考えながら、社会的価値の高い事業を生み出し、広く展開できるのか?」にあると私は思っています。この企業が掲げた最優先事項の問題点は、ビジネスの根幹である「顧客」のことが無視されていたことにあります。

 ビジネスの基本は、顧客に価値を提供し、その対価として「支払い」を受けることです。顧客から見て「価値がある」からこそお金をもらうことができ、ビジネスが成り立ちます。この大前提を忘れてしまうと「ライバルに勝つこと」や「市場での地位を維持すること」など、自社中心の発想から抜け出せない新規事業が始まることになります。

 実際に顧客が気にかけるのは「A社は、自分や自社に対して価値ある製品やサービスを提供してくれるのか?」ということです。A社が考えている「当社のライバルであるB社やC社にいかに打ち勝つか」「市場でナンバーワンのポジションを確立したい」といったことに、顧客は興味を持ちません。重要なのは、支払った金額以上に価値あるものを提供してくれる企業なのか、そうではないのか、です。

ビジネスの基本
企業の視点でビジネスを考えるのではなく、顧客の視点で考えることが企業の発展につながる。顧客に新しい価値を与えるためには、顧客の視点による新しいビジネスモデルの確立が急務になる

 企業経営において、競合の存在や市場のポジションを考えることは、常に重要な事項であると考えられてきました。しかし、ここで改めてビジネスの基本的なロジックに立ち戻りたいと思います。企業の存在は、顧客への価値提供で成り立っています。顧客に約束した通りかそれ以上の価値を提供するから、その結果として競合と差が付いたり、市場でのポジションを確立できたりするのです。家に例えれば、顧客に対する価値は「土台」です。その土台づくりを放置したまま、格好が良い「屋根」で見かけを整えても、いずれは崩壊してしまいます。

 では、どうすれば、自社中心の視野のみでつくられる既存のビジネスの延長ではなく、「顧客への新しい価値」を土台にした強固なビジネスをつくり、広く世に展開できるのでしょうか。

 本連載では、上記で紹介した企業の命題について、新しい価値の創造という観点から2つのテーマを取り上げます。1つが、自社中心の発想から抜け出して、顧客価値を土台として事業を考える力をつける「デザイン思考」という方法論です。もう1つが、デザイン思考という方法論の限界を超えて、大局的な視点で業界や社会の動向を包含しながら価値創造を行う「イノベーション戦略」です。

 この2つのテーマを掘り下げて紹介する目的は、新規事業やイノベーションへの取り組みに興味のある読者の方が、広い視野で事業づくりや事業展開に着手できるよう、世の中を今までと違った目で見られる「視点」を提供することです。読者の方々が、日々の業務を通じて新しい価値創造を探求できるよう、理論的かつ体系的な視点で知識を提供することが連載のゴールです。

 今後の連載全体で学べる内容を述べると、次の3つに集約できます。(1)デザイン思考の考え方やプロセス、新しい価値創造に効果的に取り組む方法、(2)デザイン思考だけでは対応できない、価値創造に必要な組織的活動を形にするイノベーション戦略の構築法、(3)マクロ的発想を押さえたイノベーション戦略の構築と、ミクロ的活動を支えるデザイン思考という両輪を回しながら、社会的価値の高い事業を生み出すための視点。

 これらの学びが今、重要な理由は、急激な社会変化にあります。COVID-19(新型コロナウイルス)感染症の拡大により、今までとは違う人々の行動やニーズも生まれてきています。社会変化を捉えながら新しいビジネスを生み出せる能力は、これまで以上に貴重なビジネススキルとして評価されるでしょう。

 読者の方のスキルアップを意識しながら、今回から連載の第1部「ベーシック編」としてデザイン思考を扱います。具体的には、デザイン思考の特徴や効果、さらには方法論としての限界まで含めて基礎的な内容を紹介します。大きく分けると、「なぜ“デザイン”という考え方が大事なのか」「どのようなプロセスが特徴的なのか」「デザイン思考だけではできないことは何か」になります。(連載の第2部として今後「プロフェッショナル編」も予定しています)

連載テーマ2つ
今回の連載ではデザイン思考の基礎を学び、今後はイノベーション戦略につながる考え方を学ぶ

ダメな企業は問題解決の対象を「自社」に置く

 1回目となる今回は、デザイン思考という方法論に含まれる「考え方」に着目します。

 ポイントは3つあります。(1)ビジネスにおける「デザイン」は問題発見/問題解決を意味し、(2)その根幹的な思想には「人間中心」という視点があるため、(3)イノベーションにつながる「業界の非常識」を意識的に見いだせるということです。詳細に入る前に、なぜデザイン思考がここまで広がったのかについて、デザイン思考の歴史を簡単に紹介します。

 現在普及しているデザイン思考の始まりは、米シリコンバレーにあるデザインコンサルティングファーム、IDEOにあります。IDEOは1980年に米アップルからの依頼でパソコン「Lisa」のマウスのデザインを手掛け、現在でも米GE(ゼネラル・エレクトリック)やスウェーデンのIKEA(イケア)といった企業の依頼で、多くの領域のデザインを担当しています。

 IDEOの創業者であるデビッド・ケリー(David Kelley)氏は、それまでアカデミックな領域で研究や議論がされていたデザインの捉え方や手法を、ビジネスの領域に持ち込みました。その後はケリー氏の主導によって、ソフトウエア大手である独SAPの創業者ハッソ・プラットナー(Hasso Plattner)氏の寄付金3500万ドルの原資を土台としたデザインスクールが、米スタンフォード大学内に2005年に設立されました。それ以来、「IDEOによる実践的なデザイン思考の活用」と「スタンフォード大のデザインスクール(通称d.school)による教育的なデザイン思考の活用」という両輪が、シリコンバレーを舞台に回り始めました。その流れは米国内のみならず、さまざまな地域に飛び火し、既に紹介したグローバル企業はもちろん、シンガポールやデンマークの行政機関までにも広がって、いろいろな企業や組織がデザイン思考を取り入れています。

 以上の簡単な歴史を踏まえたうえで、「デザイン」という言葉の意味を掘り下げていきたいと思います。デザインという言葉は、私たちの身の回りにあるさまざまな場面で使われています。色や形をどのように整えるかという具体的なレベルでのデザインもあれば、社会システムをどのように構築するかといった抽象的なレベルでもデザインという言葉が使われています。

 どんな場面でも、デザインの役割は明確です。それは、(1)問題を発見し、(2)その問題を解決することにあります。「デザイン」という考え方を意識的にビジネスに取り入れることで、最も重要な問題を見つける能力や、その問題を解決する能力を高めやすくなるのです。

 ただ、やみくもに問題を発見して解決しようとしても、良い成果は得られません。例えばある企業が「私たちの問題は何か」を考えたとします。すると「競合に後れを取っている」「利益率が低い」などの問題が出てくるかもしれません。もちろん、これらは企業経営において重要ですが、表面的な問題です。

 では問題を掘り下げてみると、どうなるか。「競合に後れを取っているのは、明確な顧客価値を提供できていないから、価格でしか差を出せなくなっている」という構造が分かってくるかもしれません。すると、考えるべき重要な問題は「いかに顧客に対して優れた価値を提供するか」です。そのためには顧客が喜んでお金を支払ってくれる、価値ある製品やサービスをいかに提供するかが重要なのです。

 このような問題を考える際に、一般的な企業と優れた企業では、物事を捉える視点が違います。一般的な企業は問題解決の対象を「自社」に置きます。しかし優れた企業は「顧客」や「社会」に置きます。「弊社が抱えている問題を解決する」のではなく「顧客が抱えている問題や社会の課題を解決する」という発想です。つまり「私たちは価値を提供できなくて困っている」ではなく「顧客は価値のある製品・サービスを手にできずに困っている」という形で、主語が自社ではなく顧客になっています。そして、このように企業の視点を切り替えるうえで役に立つのが「人間中心」という考え方です。

■参考資料
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  • Haier. (2014). ‘市場動態’, March 25, Retrieved from <http://www.haier.net/cn/about_haier/news/scdt/201403/t20140325_211655.shtml>, Last Accessed: 1/Feb/2015.
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  • Kelley, T., & Kelley, D. (2013). Creative confidence: Unleashing the creative potential within us all. Crown Business.(翻訳:『クリエイティブ・マインドセット』千葉敏生訳、 2014、日経BP社)
  • Madden, N. (2010). ‘Why It's Okay To Wash Potatoes in a Haier Washing Machine and Other Lessons From Philip Carmichael’. Ad age, February 3.
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  • 上海财经大学. ‘教学案例’ Retrieved from <http://course.shufe.edu.cn/course/marketing/allanli/haier.htm >, Last Accessed: 3/Feb/2015.
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