ラッパー・R-指定とDJ 松永によるHIP HOPユニットのCreepy Nuts。20年には初の日本武道館公演を開催し、冠番組のテレビ・ラジオも持つなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの彼らが、ブレイクするまでの軌跡と転機を聞いた。
※日経トレンディ2021年3月号の記事を再構成
R-指定(左)
大阪府堺市出身のラッパー。日本最高峰のMCバトルULTIMATE MC BATTLE(以下UMB)大阪大会にて5連覇を成し遂げ、12~14年の全国大会UMB GRAND CHAMPIONSHIPで優勝し全国3連覇を成し遂げる
DJ松永(右)
新潟県出身でDJ、トラックメイカー、ターンテーブリストとして活躍。英ロンドンで開催された世界最大のDJの大会「DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS FINALS 2019(DMC 2019)」で優勝
2020年、破竹の快進撃を見せたのが、DJ松永とラッパー・R-指定によるヒップホップユニット・Creepy Nutsだ。小さい会場での対バン(1つのライブで、入れ替わって登場する形での共演)ライブから着実にファンを増やしていった2人は、結成7年目の20年11月、武道館単独公演を成功させた。7月に配信リリースした菅田将暉とのコラボ楽曲「サントラ」が好評。8月リリースのライブDVD盤とラジオ盤の2形態で発表したミニアルバム『かつて天才だった俺たちへ』もヒット。テレビやラジオにも活躍の場を広げている。
R-指定にDJ松永が声をかけ、13年にユニットを結成。日本一のラッパーと世界一のDJという、名実共に日本を代表するヒップホップユニットのCreepy Nutsだが、そこに至るまでは順風満帆ではなかった。
──20年は初の武道館公演を大成功させ、音楽活動以外にも大活躍でした。
DJ松永 一個一個の出来事をかみ締める時間もなく、夢のような仕事が毎日続いた年でしたね。多分10年後とかに振り返って、「あの時すごかったな」と思うんだろうとぼんやり想像しています。毎日いっぱいいっぱいで、かみ締める余裕がない(笑)。それこそ21年になって元日に「さんタク」(フジテレビ系)に生出演したことも、半年くらいかけてかみ締めたいぐらいの夢のような出来事でしたね。
R-指定 ラッパーもDJもある程度長く活動すると、その界隈ではみんなに知られるようになる。それまで経験してこなかったジャンルに飛び込んでいくよりは、自分たちの城をどう大事にしていくかっていう方向に向かうことも多いんです。でもそうじゃなくて、俺らは色々なジャンルに挑戦して、その都度“1年目の新人”の状態から仕事をやらせてもらっています。すごく貴重なことだと思ってますね。
──7年間の活動の中で転機になった出来事は何だったのでしょうか。
DJ松永 俺は13年にCreepy Nutsを組めたことが一番の転機ですね。そもそもラッパーと組んで活動したいと思っていたので、ソロでの活動はそれまでの準備期間みたいなものでした。R(-指定)と一緒に日本語ラップシーンだけではなく、もっと大きい世界に出てみようと思ったんですけど、そんなに簡単ではなかったですね。いきなり大きいフェスには出られるわけもなく、下積みと言うか、100人キャパ以下の小さいライブハウスで、無名のアイドルやバンドとの対バンからまたスタートしたんですよね。
R-指定 ヒップホップのシーンだとUMBで1回優勝しただけでも日本一として見られる。そこで3連覇している自分のことを、ヒップホップシーンの外にいる人は誰も知らなかったんですよ。だから、そこからどうするかを考えなきゃいけなかった。
でも、俺らが影響を受けているRHYMESTER(1989年結成)やTHA BLUE HERB(97年結成)は、当然ヒップホップシーンで戦っているけれども、他のジャンルのアーティストとも対等に渡り合っています。その背中を見ていたというのも大きい。ヒップホップが好きな人だけに向けてやるのも素晴らしいと思うけど、それを全然知らない人に対しても、日本語でラップする行為が単純にかっこいいことだって知らしめている先輩たちがいた。それもあって、戦える土俵があるなら全部行きましたね。
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