看板ブランド「ザ・ノース・フェイス」をトップブランドに押し上げた立役者として知られるゴールドウインの渡辺貴生社長。営業職時代は地方出張して1件も成約できず、「仕事が取れるまで帰ってこなくていい」と言われてしまったこともあったという。
▼前編はこちら ゴールドウイン渡辺社長「創造的であることが何より大事」本連載では常識にとらわれないアプローチで存在感を発揮している業界の“変革者”たちの熱量の原点を探り、それをどのようにしてビジネスにつなげていったかを掘り下げていく。今回は前回に続き、ゴールドウインの渡辺貴生社長。
変革者たちは「アパレル愛」をいかにビジネスに変えたのか――。コロナ禍で苦境に立たされているアパレル業界の課題を明らかにしつつ、常識にとらわれないアプローチで異彩を放つ変革者たちの熱量の原点と成功までの軌跡を探る本連載が書籍『アパレルに未来はある』として2021年12月に発売されました。
最初に配属されたのは業務部だった
渡辺さんは、どのような道を歩んで今に至ったのか。
「父が司法書士だったので、大学は法学部を選びました。2年生までは真面目に大学に通って勉強していたのですが、3年生になって、いろいろと遊び始めちゃったのです」
高校生の時からスケートボードをやっていて、創刊されたばかりの『ポパイ』にハマった。米国の西海岸のライフスタイルに憧れ、ファッションはもとより、音楽、アート、スポーツなどに強く刺激を受けたという。ある時、雑誌「メンズクラブ」でザ・ノース・フェイスの記事を見て、世の中にはアウトドアという世界があると知った。その頃から、自ら何かを生み出すものづくりの仕事に携わりたいという思いがあり、ザ・ノース・フェイスをつくりたい、それをやっているゴールドウインに入りたいと考えたという。
しかし、司法書士になると思っていたお父さんに反対された。ゴールドウインなんて、何をやっている会社なのか分からない。そんなふざけた考えでは駄目と否定されたのだが、渡辺さんは諦めなかった。自分なりの思いを一生懸命説明し、何とか理解してもらったのだ。
入社して配属されたのは大阪支店の業務部で、在庫管理や伝票整理といった、思い描いていた仕事とまったく違うことをやることに。嫌になってしまい、お父さんに「思っていたような会社じゃなかった」と愚痴ったところ、「素人みたいなお前が給料をもらえるだけでもありがたいこと。会社に少しでも貢献できるようになってから、そういうことは考えなさい」とたしなめられたという。
そしてその後、営業職に。厳しい上司に仕事のやり方をたたき込まれた。この時期が仕事人生で最もためになったと言っても過言ではないという。
渡辺さんが担当したのは地方専門店だった。ある時、出張して売り込みに回ったのだが、1件も成約できない。夕方、駅前から上司に報告したところ、「仕事が取れるまで帰ってこなくていい」と言われてしまった。急きょ泊まることにし、翌日、必死で営業して何とか仕事を取ることができた。今では考えられないようなスパルタだ。
「しんどかったですが、そうやって鍛えられることで小さな成功体験が出来て、それが自信につながっていった。若いうちにそういう経験ができたのはありがたかった」
いよいよザ・ノース・フェイス事業部へ
そして、ザ・ノース・フェイス事業部に異動になった。憧れの部署に配属になったのだから、さぞうれしかっただろうと思いきや、そうではなかった。「営業の面白さをようやく体感し始めていたところだったので、またゼロからかと少しがっかりしました(笑)」
渡辺さんはスポーツが大好きだったものの、アウトドアの経験はまったくなかった。異動してすぐ、事業部でクライミングに行くことになった。渡辺さんが一番年下だったので、食料と燃料などおおよそ50㎏ほどの荷物を担ぎ、頂上まで上がらなければならない。「背中の皮がむけるくらいハードで、これはイジメじゃないかと思ったくらいでした(笑)」。だが、頂上に着いたら、先輩がゴハンを作ってわいわい一緒に食べる。上下の別なく一緒に仕事をやっている部署と分かって安心したという。
当時のザ・ノース・フェイスは、ゴールドウインの中で最も小さい事業部の1つで、自分なりのビジョンを持っている社員が多く、これから大きくしていこうという希望に満ちていた。さらに、「やる人がいないからやってみなさい」と、ものづくりや店づくりなど、何でもやらせてもらえたのがものすごく勉強になったし面白かったという。
教えてくれる人がいないので、外部の人に聞きながらやっていくしかない。産地や工場を回って作り手の人と話し込み、苦労しながら作っていくのが楽しかった。どうせ作るなら面白いものをと、今までのやり方を踏襲するのではなく新しいことに挑戦していく姿勢の原点はここにあったのだ。
ものづくりが好きで、新しいことに取り組むのも好きという渡辺さんは、やりたいことをやれる場で労苦を惜しまず、失敗を恐れずに向かっていったのだろうし、そうやって才能を伸ばしていったのだろうと想像が及ぶ。
利益は「肯定の結果」
未来についても語ってもらった。「未来を担う子どもたちに、自然との関わりをじかに感じてもらう場をつくろうと思っているのです」と夢を感じさせるお話。「PLAY EARTH PARK」という場を富山県の約10万坪の土地でつくっていくという。
もともとは東京五輪に向け、70周年記念事業の一環として進めていた「PROJECT VISTA」というものがあった。その考えを引き継ぎ、発展させる形で興したのが「PLAY EARTH PARK」だ。
「PLAY EARTH」とはまさに地球と遊ぶこと。「自然科学の中で、生命体としての大事な役割は、次世代の生物の役に立つことと考えていて、2050年に30歳になる子どもたちのために、どんな世界や社会を実現していったらいいのかを考え、ゴールドウイン創業の地である富山につくることにしたのです」
もともとスポーツの起源とは、余暇の時間を楽しむため、地球のさまざまな自然と遊ぶことにあるという。雄大な自然にじかに触れられる公園で、ありのままの自然を生かしたガーデン、広々としたキャンプ場、さまざまなアスレチックが体験できる場などをしつらえるとともに、サマースクールやアウトドアツアー、周辺の国立公園を巡るツアーなど、バラエティー豊かなコンテンツも提供していく。
渡辺さんと話していると、売り上げや利益の話がなかなか出てこない。「もうけるのが得意ではないのです」と控えめなので、「会社として利益を追求しなくてよいのですか」と聞いてみた。「利益はもちろん大事で、会社や人が成長していくためには欠かせないこと。でもそれだけが目的ではなく、利益を“肯定の結果”と捉えているのです。今、やっていることが世の中から肯定されれば利益が出る、肯定されなければ利益にはならない。要は社会と企業がどうつながっていくのかを明確にしていくこと」という話は腑(ふ)に落ちた。
若い人へのメッセージをとお願いすると、「社会や環境との関わりなど、考えるだけでなく行動しているのが素晴らしい」と一言。PLAY EARTH PARKのように、企業が目指すべき方向性を長期的なプロジェクトとして進め、実際の形にしていくのは、社内外の若い人に向けて企業の未来を明示し、背中を押していくことにつながっていく。ゴールドウインという企業の未来に、楽しげで明るい景色が広がっている気がした。
(写真提供/ゴールドウイン)