カリスマバイヤーの藤巻幸夫氏に鍛えられ、「宇宙一のバイヤーになる」と感性を磨くために休暇と給料のほとんどを費やしていたという、三越伊勢丹ライフデザイングループの中北晋史グループ長。「これからの百貨店が大事な財産として進化させなければならないポイントは5つほどある」という。
▼前編はこちら 三越伊勢丹の「暮らし」支える熱血漢 不動産事業への出向が教訓に本連載では常識にとらわれないアプローチで存在感を発揮している業界の“変革者”たちの熱量の原点を探り、それをどのようにしてビジネスにつなげていったかを掘り下げていく。今回は前回に引き続き、三越伊勢丹 MD統括部 ライフデザイングループ グループ長の中北晋史氏。
就職は早い時期から人気のテーマパークを運営している会社と決めていたが、面接で採用に近いところまで行ったのに落ちてしまった。チームで顧客を喜ばせるのは百貨店も似たところがあると、伊勢丹を受けることに。「面接ではエスカレーターを観覧車に見立てるなど『百貨店をテーマパーク化したい』などととんでもない話をしたのを覚えています」(中北さん)。総合職として採用された40人の1人となった。
伊勢丹(現三越伊勢丹)入社後の現場研修では、婦人服の売り場に立って接客したものの、「同期の女の子たちが売っているのに、僕は全くダメでした」。
そして配属されたのは、婦人服フロアにある「リ・スタイル」というできたばかりの売り場だった。ここは、伊勢丹の自主編集売り場で、独自の視点をもとに複数のブランドを選んで並べている、いわば百貨店の中のセレクトショップ。消化仕入れが多い百貨店の中にあって、すべての商品を買い取りしている売り場でもあった。
そこには、当時カリスマバイヤーとして名をはせていた藤巻幸夫さんがいた。憧れの存在だった。「伊勢丹のバイヤーとしての考えを徹底的に勉強させられました。厳しく叱りもするけれど、愛情をもって育ててくれました。そのときの言葉の一つ一つが今でも礎になっています」。師弟関係とも言える熱い教育が行われたのだと想像が及ぶ。
その藤巻さんから「仕事はすべて、人とヒト。お買い場(編集部注:売り場)の女性たちに気持ちよく売ってもらうために、僕らができることをやるのがすべて」と言われ、通常業務以外のことでも自分にできることは何でもやった。チームワークを良しとし、皆で喜び合うのが好きという中北さんのキャラクターが、そこにハマったのはよく分かる。「藤巻さんが日本一のバイヤーなら、自分は宇宙一のバイヤーになるくらいの勢いで仕事に猛進していました」
思い出深い記憶の1つに、新人時代に買ったスーツがある。専門量販店の安いスーツを着ていたところ、藤巻さんに「それじゃダメだろう」と言われ、いきなり「コム デ ギャルソン」に連れて行かれた。ツイードのダブル仕立てのスーツを薦められ、新人には高額過ぎたが、分割払いで手に入れることにした。「初めて着たコム デ ギャルソンのスーツは、ものすごく柔らかい仕立てで体にフィットする。上質なスーツとはこういうものだと実感しました」
また、感性を磨くために街を歩き、何でも吸収することが大事と言われ、美術館や映画館、海外で話題の店などを訪れるようになり、休暇と給料のほとんどを費やしていた。「部屋の電気やガスが止まることもしょっちゅうでした(笑)」
パリコレに行きたいと思ったものの、新人にそんな機会が与えられるわけではない。当時、伊勢丹の中では、休暇をとって自費でパリに行き、何とかショーに潜り込むという技が、先輩から後輩へと受け継がれていた。早速、中北さんもその手を使い、立ち見でコレクションショーを見ることができたのだ。「今でも忘れられないくらいの感動でした」。どんどんファッションが好きになり、バイヤーになりたい熱が高まっていった。
そんな中北さんが、アシスタントバイヤーを経て、憧れのバイヤーになったのは2004年のことだった。与えられたミッションは、「伊勢丹に足を運ばなかったような新しいお客様を呼び込むための自主編集平場をゼロから作ること」。挑戦しがいのある高いハードルだが、与えられた期間は半年だけ。どう考えても短すぎると思い、あと半年の猶予をもらえないかと打診したが許されなかった。
やれることをやるしかないと、まずはコンセプトを練った。行き着いたのは「ノートレンド・ノーブランド」。表面的なトレンドやブランドの知名度にこだわるのではなく、モノそのもののデザイン性の高さにほれ込んだり、服が持っている独特の空気感に魅せられたりする人のためのショップにしようと考えたのだ。品ぞろえはどうしたのか。「足で回って、情報を集めて、モノを選んで作っていくしかありませんでした」。「リーバイス」に直接アタックし、職人技を駆使して一点もののジーンズを作るなど、半端ではない思いを込めて商品を集め、店舗環境や訴求物にもこだわった。
課題となったのは「今まで足を運ばなかったお客様を呼び込むこと」だった。SNSが発達していない時代のことだ。それまで百貨店に見向きもしなかった、感度の高い層を連れて来なければならない。思いついたのは、フリーペーパーを作って、青山や代官山のカフェや美容室、クラブに置いてもらうこと。スタッフとともに、1軒ずつ巡って説明し、頼んで歩いたのだ。相手にとってメリットがある話ではない。しかし、服が好き、お客様に喜んでもらいたいという思いに相通ずるところもあり、置いてもらえたのがありがたかったという。体当たりのチームワークでフリーペーパーを配布し、リ・スタイル プラスは徐々に手応えを得ていった。
バイヤーから外されて落ち込んだ
何事においても、目の前のことに向かってまい進していくのが中北さんだ。が、落ち込んだことややる気がなくなったことはないのだろうか。
「06年、バイヤーからセールスマネージャーに異動になったときは半年くらい、何をやればいいのだろうと先が見えない状態になっちゃいました」。セールスマネージャーとは、売り場の販売周辺のマネジメントを担う役割だ。バイヤーとして「どこよりも早く、どこよりもオリジナリティーのある商品をそろえる」ことを追求し続けてきた中北さんは、目標としていた仕事から外れたことに少しふて腐れてしまったという。「あれだけ見ていたファッション誌や店頭に並ぶ商品を見なくなり、1日が過ぎるみたいな体たらくだったのです」
いつまでもそうしているわけにもいかない。何とか思い直し、目の前の仕事に向かっていった。そして実際に手掛けてみて、人を育成して強いチームを作っていくことこそ、自分に合っていると思うようになったという。このあたりの、いわば“切り替え力”は、ともするとサラリーマン的な日和見主義に見えるのだが、これも中北さんらしさなのだ。現場のチームを愛するDNAみたいなものが、セールスマネージャーという職種でも働き出したということだ。
そして、この情熱はさらに高まっていく。マネジメントについて、さらに勉強したくなった。43歳にして社会人を対象とした夜間の経営大学院に通うことにした。「自分の中で少しもやもやしていることを正しく理解し、的確に伝え、相手に行動してもらえるようになりたい。そう思ってビジネスとマネジメントをゼロから学ぼうと思いました」。若い人たちに交じって3年間、仕事の後に大学院に通って修了した。「脳味噌の千本ノックみたいな感じでした。そこで鍛えられたことが随分と役に立っています」と、中北さんはどこまでも真っすぐなのだ。
百貨店が持っている5つの財産
「これからの百貨店が、大事な財産として進化させなければならないポイントは、5つほどあると思います」と中北さん。
まず、お客様の声を直接聴けること。小売りという意味ではファッションビルやショッピングモールも同様と見る向きもあるだろうがそうではない。ファッションビルやショッピングモールの場合は顧客=テナントなので、消費者の声を聴くのにワンクッションある。対して百貨店は、「リモートやECも含め、お客様にじかに接することができる」。改めてそこを追求していくというのだ。ただこれは、昔からいわれてきたことの1つであり、「言うは易し、行うは難し」。本当にできるのかと疑問が湧くが、何事も有言実行を旨としてきた中北さんのことだ。伊勢丹プロパティ・デザインでそうしてきたように、成果を出していくのではと期待が膨らむ。
その上で「顧客の声と商売勘の両立」を大事にしていきたいという。つまり、要望に応えるだけではなく、その先を読み取って、ひと足早く提示していくということだ。磨かれた「勘」を働かせるプロとしての視点が問われる領域と言える。
2つ目は、百貨店の紙袋=ショッパーの存在だ。伊勢丹のタータンチェック柄の紙袋、三越の着物の柄からデザインされた紙袋は、多くの人にとってなじみ深いものであり、ブランドイメージの一端を担っている。特に人に何か贈るときは、百貨店の包装紙と紙袋で渡すことが少なくない。それが間違いないものという信用と保証につながってもいる。「これもファッションビルにはできないこと、だからこそ信用を磨き続けることが大事」と中北さんは言う。
そして、その信用についても、伊勢丹と三越では中身が違う。それぞれの信用をどう磨いていくかは、これから問われていく課題でもある。「僕の中で、英国の高級デパートに例えると日本橋三越本店はハロッズ、伊勢丹新宿店はセルフリッジズという位置づけ。特徴の異なる両店を持っていることこそが我々の最大の強みであり、双方を磨き上げるために力を尽くしたいと思っています」
3つ目は「個客最適の接客」。もともと百貨店は、一人一人の顧客ニーズに応えてきた。外商はその最たる事例と言える。食品から家、アートなども含め、暮らしを取り巻くあらゆる要望に対し、いわば「ご用聞き」の役割を果たしてきたのだ。そういった財産を大事にし、さらに深めていくことが百貨店にしかできない競争優位となることの1つだという。
デジタルによって、そこでも新しい広がりが見えている。リモートによって、地方の顧客をはじめ、店まで足を運ばずとも、手厚い接客が受けられる道が開けた。「日本橋三越本店の接客で買いたい」という地方の顧客がデジタルを使った新しい接客サービスでひな人形一式をご購入してくれたこともあったという。プライベートジェット機購入の相談から食事宅配サービスの紹介まで、顧客ごとに異なる相談事の解決にさまざまな可能性が見えてきている。
一方、顧客の視点から見ると、今の百貨店はジャンルごとにフロアが分かれているため、いろいろ見て回ろうとすると時間も手間もかかる。自分の好みや要望に的確に応えてくれるサービスがあれば便利という感覚は、多くの人が抱いているのではないだろうか。いわばコンシェルジュ的な役割だ。これについても、多くの百貨店が価値を打ち出そうとしているが、今のところ、大きく成功しているところは見当たらない。中北さんの挑戦が結実するかどうか、期待されるところだ。
4つ目は「領域の掛け算」。「個客最適の接客」とつながる話だが、さまざまな商品の領域をつなぐことで、価値を高めていく余地があるというのだ。「日本酒と器のギフトセット、ブランドと暮らしのアイテムのコラボレーションなど、お客様視点に立った提案のために縦割りになりがちな組織の領域をつないだり、時には掛け合わせたりすることで全く新しい商品を生み出すことができるのも百貨店の強みの1つ。この掛け算を進化させ、ドキドキやワクワクといった高揚感をもっと生み出していきたい」
長年いわれている割には、なかなか進んでいかないところではあるが、これも、デジタルによってかなうようになってきた。そこをさらに推し進めたいというのが中北さんの考えだ。
そして最後は「作り手とのつながり」。大量生産されているものでも、手仕事の一点物でも、作り手の現場には必ずストーリーがある。どういう志をもってその商品が生まれたのか、どのような技やデザインが込められているのか、現地に行って話を聞くと、そのものの価値がよく分かる。中北さんは婦人服時代から、そこを顧客に伝えることを大切にしてきた。いわば作り手と使い手をつなぐ役割を百貨店が担っていくべきだという意思から、今も作り手のところを積極的に訪ね、売り場に反映させることに腐心しているという。
中北さんは「挑戦していくには『未来からの逆算』が大事。自分たちがどうありたいか、競合にできないことは何か、どうすることがお客様の役に立つのかを、未来の像として具体的に描き、そこからやるべきことを逆算していく。そういった意味ではまだまだできること、やらなくてはならないことがたくさんある。自分でもワクワクしています」という。
正直言って、中北さんが挑む分野は途上にあり、まだ具体的な成果は見えていない。しかし、中北さんの“百貨店愛”の濃さが、これから何らかのかたちで実を結んでいくに違いない。それを信じたいと思った。
(画像提供/三越伊勢丹)
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