三越伊勢丹でアパレルと化粧品、食品以外の暮らしに関わる領域を担当するライフデザイングループの長を務める中北晋史氏。顧客のニーズをつかむ大切さを実感したのが、不動産事業への出向だった。そこで百貨店事業と不動産事業の違いをマンガ仕立てのリポートにまとめて社内で配布したという。

 本連載では常識にとらわれないアプローチで存在感を発揮している業界の“変革者”たちの熱量の原点を探り、それをどのようにしてビジネスにつなげていったかを掘り下げていく。今回は三越伊勢丹 MD統括部 ライフデザイングループ グループ長の中北晋史氏。

三越伊勢丹 MD統括部 ライフデザイングループ グループ長の中北晋史氏。1997年伊勢丹(現三越伊勢丹)入社、伊勢丹新宿店婦人服リ・スタイル配属。2004年バイヤーとしてリ・スタイル プラス、リ・スタイル スポーツを立ち上げる。06年リ・スタイル セールスマネージャー。08年インターナショナルデザイナーズ バイヤー。09年から13年までリ・スタイル バイヤーを務め、伊勢丹新宿店の再開発、仏メルシーのポップアップショップなど多くのプロモーション企画も手掛ける。18年より不動産事業を行う三越伊勢丹プロパティ・デザイン出向。21年から現職
三越伊勢丹 MD統括部 ライフデザイングループ グループ長の中北晋史氏。1997年伊勢丹(現三越伊勢丹)入社、伊勢丹新宿店婦人服リ・スタイル配属。2004年バイヤーとしてリ・スタイル プラス、リ・スタイル スポーツを立ち上げる。06年リ・スタイル セールスマネージャー。08年インターナショナルデザイナーズ バイヤー。09年から13年までリ・スタイル バイヤーを務め、伊勢丹新宿店の再開発、仏メルシーのポップアップショップなど多くのプロモーション企画も手掛ける。18年より不動産事業を行う三越伊勢丹プロパティ・デザイン出向。21年から現職

 百貨店が岐路に立っていることは、改めてここで触れるまでもない。米国の老舗百貨店「ニーマン・マーカス」をはじめ、セレクトショップとして名をはせた「バーニーズ・ニューヨーク」が倒産したことは業界内外で大きく報じられ、驚きとともに受け止められた。

 国内でも、東京・渋谷の東急百貨店本店が建つ敷地で東急とL キャタルトン リアルエステート、東急百貨店が新たな開発に取りかかる。2023年春以降に建物の解体工事に着手する予定で、百貨店業態を踏襲するかどうかは決まっていないという。小田急新宿店本館も新宿駅西口地区開発計画に伴い、22年9月末で営業を終了し、新宿西口ハルクで営業を継続するという。都心で長い歴史を誇っていた百貨店が業態を変える開発にかかるのは、従来の百貨店という枠組みが通用しなくなったことを意味している。

 これらの事象は、新型コロナウイルス禍によって引き起こされたものではない。百貨店の売り上げ低迷は既に始まっていた。高度経済成長期から一貫して右肩上がりを続けてきた売り上げが天井を打ったのだ。従来のやり方を踏襲していても、時代の流れにフィットしていない事実は明らかだった。ターニングポイントにあることを自覚し、次の時代に向けた策を打った百貨店もあった。

 しかしその後、インバウンド消費の盛り上がりによって表面的に売り上げが回復し、活況を迎えた。それが改革への危機感を弱めた一面もあったのだ。インバウンド消費がなくなり、そもそもの課題が浮かび上がってきたと言えるだろう。

 百貨店のありようについて、「ダメになったのは当たり前」「変わろうとしない姿勢が時代から拒否されただけ」など、ネガティブな面を強調する声をよく耳にする。しかし、未来に向けた道を切り開くべく策を打ち出している百貨店もあるし、“アパレル愛”に満ちた仕事をしている人もいる。

 その1人が、三越伊勢丹のMD統括部でライフデザイングループのグループ長を務める中北晋史さんだ。

インタビューで感極まる熱血漢

 中北さんと出会ったのは、『伊勢丹な人々』という書籍の取材でのことで04年に遡る。当時の百貨店は、1980年代のバブル景気の勢いを得てリーマン・ショックを乗り越え、さらなる高みへ向かおうとしていた。伊勢丹は「ファッションの伊勢丹」を旗印に、圧倒的な独自性を追求していた。そこに焦点を当てたのが『伊勢丹な人々』であり、百貨店愛に満ちた人を取り上げるという意図のもと、登場した1人が中北さんだったのだ。

 当時、中北さんは、新しいターゲットを狙った「リ・スタイル プラス」という売り場を担当していた。従来の顧客ではない層を取り込むということから、まさに全身全霊で新しい売り場を作っている渦中にあった。勢い込んで話す中北さんが感極まっている様子を見て、「ベタベタな仕事をいとわない熱血漢」ともらい泣きしそうになったのを覚えている。

「リ・スタイル プラス」は当時の百貨店婦人服フロアでは異質な環境空間。感度の高い顧客に合わせ、服装や髪形など普段の身だしなみにも気を配ったという
「リ・スタイル プラス」は当時の百貨店婦人服フロアでは異質な環境空間。感度の高い顧客に合わせ、服装や髪形など普段の身だしなみにも気を配ったという

 その中北さんは2021年春、ライフデザイングループの長の任に就いた。アパレルと化粧品、食品以外の暮らしに関わる領域を包括的に担当する役割だという。かつての百貨店は、ライフスタイル全般とうたってはいるものの、アパレルが主役という時代が長かった。いや一部とはいえ、今もそういう風土は残っている。

 一方で、人々の意識がアパレル以外の領域に向かっていることは、ここで触れるまでもない。おうち時間が増えることで暮らしそのものへの関心が高まっているし、「外着としてのアパレルではない領域」に目が向くようになっている。

 だから、ファッション領域でさまざまな経験を積んだ中北さんが、アパレル以外の領域を担当するのは時代の流れに合っていると思った。本質的な意味でのライフスタイル提案が求められているし、それはアパレルとそれ以外の領域が交じることで実現するからだ。

出向先で気づかされた不動産事業との違い

 久しぶりに会った中北さんは、これからの百貨店のあるべき姿について、熱心に語ってくれた。今のポジションに就く前の3年間、中北さんは三越伊勢丹グループ傘下にある三越伊勢丹プロパティ・デザインに出向していた。商業施設事業部長として、新宿や原宿にある「アルタ」をはじめ、横浜や大船の「フード&タイム イセタン」、国分寺の「ミーツ国分寺」など、不動産事業としてショッピングセンターの開発・運営を行っていたのだ。

 着任とほぼ同時にオープンしたのが、とある東京近郊にある駅上の商業施設だった。アパレルを中心としたいくつかの人気テナントが入った商業施設としてスタートしたのだが、集客が思うようにいかない。オープンから1年が経過したころから入っているショップが次々に退店していき、シャッター街のような状況になってしまった。人が来ないからテナントが退店する、だからさらに人が来なくなるといった悪循環に陥り、「施設として立ち行かなくなりそうと、ギリギリの危機感を抱いていました」。

 なぜ人が来てくれないのか、理由を探るためにマーケティングをやり直し、インタビュー調査を行っていったところ、「私たちの気持ちが分かっていない」「毎日使えるお店が欲しい」といった声が上がってきた。丁寧に耳を傾けていくと、「目的を持ってわざわざ訪れるようなおしゃれなお店でなく、暮らしに密着した“日常の役に立つ街の機能としての役割”が求められていたと、目からウロコが落ちる思いでした」。

 立て直しはどのように行われたのか。要望に応えようと、生鮮食品店や学習塾、カフェなどを誘致しようとしたが、容易ではなかった。デベロッパー業において、取引先を誘致するのは簡単ではない。投資もリスクも伴う判断であり、一気呵成(かせい)に進んでいかない。ましてや、うまく行っていない施設に進んで入りたいと即判断するショップが多くはなかったのだ。百貨店、それもトップブランドである伊勢丹新宿店にいた中北さんにとって、それは信じられないくらいの大きなギャップだった。伊勢丹で婦人服を担当していたときから、現場第一ととらえ、ベタな仕事をいとわずやってきたものの、それはやはり、伊勢丹という枠組みの中だった。「すっかり“新宿伊勢丹頭”になっていることに気づかされました」。良い意味のショック療法だったのだと想像が及ぶ。

 「チームで何度も足を運んで交渉を重ね、多くのお店に断られ続けながらも、少しずつ出店を決定していただくことが増えていきました」。地道な努力を重ね、ラインアップを変えていったところ、徐々に地元客が集まるようになったという。

 この不動産事業での経験が、小売業である百貨店ならではの価値に気づく機会にもなった。そこで、百貨店事業と不動産事業の違いを社内で正しく理解してもらいたいと考えた。1人でも多くの人に伝えるため、難しい報告書でなくマンガ仕立てにすることに。自らの実体験に基づいてストーリーやセリフを作り、知り合いのつてをたどってマンガにした。それを社内広報担当から発信したところ、社内のあちこちから良い反応があったという。

 絵に描いたような美談で自らの名を上げるためともとられかねない行動だが、やはり中北さんは根っからの熱血漢。まっとうなことを正面からベタベタにやっていく。誤解されかねないギリギリのところに、そのキャラクターは立っている。

 マンガ仕立てのリポートは全12話110ページで構成されており、目を通していくと、百貨店事業と不動産事業の違いが豊富な事例を交えて説明されているという。双方を体験した中北さんだからこそ、それぞれの特徴や長所・短所が分かり、これができたのだと腑(ふ)に落ちた。

マンガ仕立てのリポートを作成した際の準備資料。自らの不動産事業での経験を基にストーリーを構築、実在する人物との会話やSC(ショッピングセンター)業界の動向など社内に正しい情報を伝えることで危機感を共有した
マンガ仕立てのリポートを作成した際の準備資料。自らの不動産事業での経験を基にストーリーを構築、実在する人物との会話やSC(ショッピングセンター)業界の動向など社内に正しい情報を伝えることで危機感を共有した

憧れていた会社に採用されず、涙がこぼれた

 そんな中北さんの、百貨店愛のルーツはどこにあるのか。

 神奈川県で育った中北さんはお母さんがおしゃれ好きな人だったが、とりわけ服が好きだったわけではない。お正月は「岐阜に住む祖父と初詣に行って、帰りにデパ地下に寄るのが習慣になっていて、百貨店は親しみのある場の1つでした」と、古き良き百貨店への記憶を携えている。

 小さいころからチームで行う活動が好きだった。小・中・高校時代は野球、大学時代はテニスと体育会系の組織に所属し、「チームが一体となったときの感動」にたまらない魅力を感じていた。それもスタンドプレーではなく、皆で一体となってやるスポーツ。そこに情熱を傾ける姿勢は、中北さんが一貫して持ち続けているものなのだ。

 「野球をやっていたとき、肩を壊して応援に回らなくはならなかった試合で、組織全体で目標を達成したときの高揚感を味わえたことがその後の自分にとってとても大きな財産になりました」というから筋金入りだ。一方、周囲に対するホスピタリティー、いわばサービス精神を持ち、それをド級のストレートさで表現するのも、中北さんが備えている“らしさ”だ。

 就職は早い時期から人気のテーマパークを運営している会社と決めていた。チームで1つになって顧客を喜ばせ、自分たちもうれしくなる。理想的な仕事と思っていたのだ。ところが、面接で採用に近いところまで行ったのに落ちてしまった。「一途に憧れていたので、ぼうぜん自失状態で悔しさから涙がこぼれました」とポロリ。

 他の選択肢はまったく考えていなかったものの、チームで顧客を喜ばせるのは百貨店も似たところがあると、伊勢丹を受けることにした。「面接ではエスカレーターを観覧車に見立てるなど『百貨店をテーマパーク化したい』と、とんでもない話をしたのを覚えています」。総合職として採用された40人の1人となった。

<後編に続く>

(画像提供/三越伊勢丹)

本連載が書籍『アパレルに未来はある』になりました!
『アパレルに未来はある』著者:川島蓉子
『アパレルに未来はある』著者:川島蓉子

 変革者たちは「アパレル愛」をいかにビジネスに変えたのか――。コロナ禍で苦境に立たされているアパレル業界の課題を明らかにしつつ、常識にとらわれないアプローチで異彩を放つ変革者たちの熱量の原点と成功までの軌跡を探る本連載が書籍『アパレルに未来はある』として2021年12月に発売されました。

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