G-SHOCK開発で窮地に立たされていたカシオ計算機の伊部菊雄。突破口へ導いたのは公園で遊んでいた子どもたちの風景だった。何とか発売にこぎ着けたものの市場で認められるには長い年月が必要だった。爆発的ヒットから「メタルG」誕生までのストーリーに迫る。G-SHOCK開発秘話の最終回。
【第2回】G-SHOCK開発の糸口は、父がくれた高級時計の「ばらばら事件」
【第3回】G-SHOCKと苦悩 辞表提出まで追い込まれた窮地で得たひらめき
【第4回】ついにG-SHOCK完成 カシオへの恩を貫き通す←今回はココ
公園での子どもの遊びに着想を得た
東京都羽村市にあるカシオの羽村技術センターの隣に小さな児童公園がある。伊部菊雄は昼食をとった後、公園のベンチで一人たたずんでいた。
目の前にはゴムボールで遊んでいる小さな子どもがいた。「子どもはいいな、悩みがないのだから」と、思いながらそのさまを眺めていた。『落としても壊れない丈夫な時計』という案を出した後、何度実験をやっても解決策が見つからない。完全に袋小路に入っていた。
そのとき、子どもが突いているゴムボールの中に、時計の心臓部――モジュールが浮かんでいるのが見えた。
それまで伊部は、モジュールを金属やゴムなどで覆い、いかに衝撃を段階的に吸収するかを考え続けていた。しかし、緩衝材で吸収されたはずの衝撃が残っており、モジュールの電子部品を壊していた。ゴムボールの中で浮かんでいるような構造にすれば、100メートルの高さから落としても衝撃は時計には伝わらないはずだ。
「不思議なのは、劇的な解決策が頭に浮かんでいるのに、午後、会社に戻って図面も書いていないし、実験もしていない。もうスキップして、ルンルンでうちに帰っているんです」
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