苦境の就職活動の中で手を差し伸べてくれたカシオ計算機に入社した伊部菊雄。デジタル時計の新事業が始まって間もないころ、伊部が直面した“新参者”の壁とは。G-SHOCK開発の糸口となる父からの贈り物だった高級時計が導いたあるひらめきとは……。G-SHOCK開発の裏側に迫る第2話。

G-SHOCK生みの親、カシオ計算機 羽村技術センター 開発本部 開発推進統轄部 プロデュース部 第一企画室 シニアフェローの伊部菊雄。いよいよG-SHOCK開発の糸口が見える
G-SHOCK生みの親、カシオ計算機 羽村技術センター 開発本部 開発推進統轄部 プロデュース部 第一企画室 シニアフェローの伊部菊雄。いよいよG-SHOCK開発の糸口が見える
創り人:伊部菊雄 「G-SHOCK」の生みの親
【第1回】G-SHOCKへの足掛かり カシオとの縁は苦境の中の「くもの糸」
【第2回】G-SHOCK開発の糸口は、父がくれた高級時計の「ばらばら事件」←今回はココ
【第3回】G-SHOCKと苦悩 辞表提出まで追い込まれた窮地で得たひらめき
【第4回】ついにG-SHOCK完成 カシオへの恩を貫き通す

入社直前の新事業が人生を決めた

 カシオ計算機の前身、樫尾製作所は1946年に樫尾忠雄ら4兄弟によって東京都三鷹市で創業された。樫尾一家は関東大震災を機に、東京在住の親戚から誘われて上京。長男の忠雄は高校卒業後、見習いの旋盤工として働き始めた。腕の良さを見込まれて、鍋や釜、自転車の発電ランプを製作した。やがて部品加工の下請けを頼まれるようになり、兄弟と樫尾製作所を立ち上げたのだ。

 57年、世界初の小型純電気式計算機『14-A』を開発。これに合わせて社名をカシオ計算機とした。62年に、プログラム機能の付いた科学技術用計算機『AL-1』、65年には、メモリー付き電子式卓上計算機『001』を発売し一般にも広く普及した。

 上智大学理工学部で機械工学を学んでいた伊部菊雄にとって、カシオの計算機は身近な存在だった。

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