世界で急速に進む食のイノベーションの中で、日本企業はどう立ち向かうべきか。デジタルトランスフォーメーション(DX)の取り組みをベースに、フードテック企業との協業を含めた大変革に乗り出した味の素のトップを直撃した(聞き手はスクラムベンチャーズ外村仁氏)。

味の素 代表取締役社長 西井孝明氏。1959年生まれ。82年、同志社大学卒業後、味の素へ入社。2004年、味の素冷凍食品の家庭用事業部長、09年、人事部長などを経て、13年にブラジル味の素社社長に就任。15年から現職。サプライチェーンや研究開発など、デジタルトランスフォーメーション(DX)を軸に全社の構造改革を推進する
味の素 代表取締役社長 西井孝明氏。1959年生まれ。82年、同志社大学卒業後、味の素へ入社。2004年、味の素冷凍食品の家庭用事業部長、09年、人事部長などを経て、13年にブラジル味の素社社長に就任。15年から現職。サプライチェーンや研究開発など、デジタルトランスフォーメーション(DX)を軸に全社の構造改革を推進する
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 世界で急速に進む食のイノベーションを徹底解説した初の書籍『フードテック革命』(日経BP)が、2020年7月23日に発売になります(現在は予約受付中、Amazonで買う)。今回は、本書の中から日本を代表する食品メーカー、味の素トップへの単独インタビューを一部改編し、お届けします。

植物性代替肉の「おいしさ」は味の素が担う

スクラムベンチャーズ外村仁氏(以下、外村氏) 世界ではスタートアップも大企業、異業種プレーヤーも巻き込み、フードテックの一大潮流が巻き起こっています。

西井孝明氏(以下、西井氏) ここ数年、プラントベースの代替肉がフードテックの代表格となっていますが、実は、一部ではすでに当社の技術が活用されています。我々は、アミノ酸を軸とした「おいしさ設計技術」の蓄積には膨大なものがありますから。プラントベースの代替肉においては、グルタミン酸などによるうま味の部分だけではなく、代替肉の歯ごたえや香りを含めて、トータルで本物の肉のようなおいしさを構成する重要な技術を我々が担っていると自負しています。

 そういう面では、これから登場してくる培養肉など、いわゆる食資源の課題解決のために出てくる新しい食材と我々の技術力のマッチングは非常に相性がいい。

外村氏 植物性代替肉は世界中から注目が集まっていて、日本メーカーは蚊帳の外かと思っていたら、すでに黒子として手掛けていると。その事実を初めて聞き、非常に誇らしくなりました。
 今回、会社の体制としては西井社長直下に、DX推進委員会を土台とした全社オペレーションと事業モデル変革タスクフォースを新設し、横軸で企業文化の変革を推進する仕組みを整えました。その狙いについて、教えてください。

西井氏 2019年にDX推進委員会を立ち上げ、福士博司(副社長)をCDO(チーフ・デジタル・オフィサー)に任命しました。そこから、本格的に味の素のDXの基本構想を練り上げ、部分最適ではなく、会社全体がフレキシブルに変革できる体制づくりとして、社長直轄の2つのタスクフォースを立ち上げました。

 1つは全社オペレーション変革タスクフォースで、組織の生産性や従業員エンゲージメント向上、サプライチェーンマネジメントの高度化をデジタル活用で図るもの。もう1つが、まさにフードテックに大きく関わる部分で、新事業モデル創出やスタートアップとの連携を強化していく事業モデル変革タスクフォースです。

 当社は今1兆1000億円規模の売り上げがあります。例えば、そのうちの10%程度、1000億円規模を狙った新しいビジネスモデルの準備が、常にできていることが望ましい。それにはフードテック企業と協働することが、必要だと考えています。

 我々はメーカーなので、どうしても、いい商品を作ればお客様に買ってもらえると考えがちですが、今はもうそれでは通じません。商品に様々な情報がプラスされ、ユーザーエクスペリエンス(UX)が高まっていく状態でないと、生活者にとっての価値を生まなくなっています。この世界は当社単独での実現は難しい。だから、フードテックの皆さんとのつながりの場を社長直轄で全部統括し、横串で社内共有しながら我々もエコシステムの一員として参画していきたい。その中で、自分たちの新しいビジネスモデルも作っていければと考えています。

外村氏 抜本的な構造改革にまで踏み込み、イノベーションを必要とされている背景は何でしょうか?

西井氏 すごくショックだったのは、16年の12月にニューヨークで開催された「The Consumer Goods Forum」で、食品や消費財、小売りのグローバルトップ50社のメンバーとボードミーティングをしたときのこと。米ケロッグの前CEOと話していたら、15年のたった1年間で、米国ではシリアルやスナックバーの領域だけで500社の新しいスタートアップが生まれたという。500SKU(商品管理の最小単位)ではなく、500社ですよ。彼は、「これが今、起きていることなんだ」と。デジタル革命によって食の分野でも大変革が起きており、急成長のチャレンジャーが続々と出現する。ともすれば大企業という立ち位置も簡単に失われるでしょう。この衝撃が頭の中に残っていて、変革スピードを上げなければという強烈な危機感を抱いています。

 また、世界を見渡せば、ネスレやユニリーバのようなグローバルジャイアントの成長モデルの作り方が、この数年で明らかに変化してきています。単純に規模拡大のためだけにめぼしいスタートアップを買収するのではなく、生活者に向けた新しいバリューをつくるために必要な投資を行っています。

外村氏 味の素としては、フードテックの潮流とどのように向き合っていきますか。

西井氏 我々のビジョンは、食と健康の課題解決をし、グローバル企業として持続的な成長を続けることです。特に得意分野であるアミノ酸については、まだそのはたらきを社会に十分還元できていないと思っています。アミノ酸はうま味に代表されるように食を豊かにする味付けの役割もありますし、人間の生命活動をつかさどるタンパク質をつくるという意味では、栄養そのもの。消耗回復や睡眠など、体調を整える役割もあります。つまり、アミノ酸が担うのは健康的な食生活であり、「Eat Well, Live Well.」というメッセージを実現することが我々の存在意義であり、強みです。

 これは今の事業構造のまま、現状のポートフォリオを広げるということではなく、フードテックを推進している方々とイノベーティブな事業モデルを作りながらアミノ酸の世界を拡張し、世界中の人たちの健康寿命を延伸することに貢献していきたいと思っています。

キーワードの1つは「パーソナル栄養」

外村氏 これから手掛ける事業モデル変革タスクフォースでは、具体的にどのようなプランがありますか。

西井氏 20年7月1日に、新たに任命したCIO(チーフ・イノベーション・オフィサー)の児島宏之(専務執行役員)の下、まずは3つのことをやろうと考えています。1つ目は、我々のコア技術、ノウハウにひも付いた新たなビジネスモデルをローンチすること。例えば、アミノ酸の知見を生かしたパーソナル栄養および、それを支えるデータ・マネジメント・プラットフォーム(DMP)の構築です。

 アミノ酸を研究する中で、がんや脳卒中、心筋梗塞の三大疾病のリスクについて血液検査で評価する「アミノインデックス」を2011年から始めていますが、認知症のリスクも対象に加える予定です。我々は、いわゆる軽度の認知障害になりやすい特定の人を見つけることができるし、それに陥らない状態をつくる食生活の改善指導、必要なアミノ酸の提供までをセットにしたソリューションを20年度中に展開する計画です。

 先ほど述べたように新事業は生活者のUXを変えるものなので、この事業の中でも様々なタッチポイントが考えられます。それを全部自前でやろうとすると、既存のチャネル、お客様に限られてしまうので、テック企業と組んで世界をターゲットにして広げていきたい。

 2つ目は、これまで近未来研究といっていたものを「近未来事業」と捉え直し、外部企業との協力の下、新たなビジネスに育てようというもの。2030年に必要となる食と健康課題からバックキャストして、今何から始めるべきか、精査している段階です。

 そして最後は、社内の若手をエンカレッジする観点で、社内ベンチャー制度を立ち上げました。これらをパラレルで進めて最後ビジネス化する際は、スピード感がすごく大事になる。経営会議や取締役会に稟議を諮るという従来の枠組みでは限界があるので、ある程度の資金を決裁できるコーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)を立ち上げ、社長のタスクとして早く事業をスタートできる仕組みも設けていきます。

外村氏 CVCでは外部企業への投資も行っていきますか?

西井氏 もちろん、フードテックのスタートアップの皆さんに出資することも含め、より提携関係を深めて協働できる形を数多くつくっていきたい。また、7月1日には、調査部という社長直轄の新組織を立ち上げました。外部の専門家と社内の混成メンバーで、世界の最新フードテックの動向に目を光らせ、1000社程度のスタートアップをカバーできる体制です。それに先んじて北米にはNARIC(North American Research Innovation Center)というイノベーション・ハブを立ち上げていて、これと連動しながら鮮度の高い情報を集め、我々のビジネスとの相性を考えていきます。

 日本では新しいビジネスモデルを実験するのにも、いろいろな規制や心理的な障害が立ちはだかり、時間がかかることが多い。その反面、米国ではいいアイデアはまず実行し、後で判断するという風土ですから、圧倒的にスピード感が異なります。だから、日米で同時に動ける体制を整えることが重要だと考えています。

外村氏 数多くの実験を短時間で回していく重要性を認識し、クリアしようとしているのは、特に食の業界では珍しく、他社の刺激になりそうです。一方で、日本の大企業とスタートアップの関係性で言うと、これまで対等の立場、真の意味でパートナーとして接することが大企業は苦手としてきました。例えば、味の素が過去にある研究の知見をスタートアップに共有したり、研究所の一部を開放して高価な測定器の利用を認めたり、一歩も二歩も踏み込んだ関係は築けないものでしょうか。

西井氏 それは非常にいいアイデアだと思うので、ぜひ恐れずにやっていきたい。我々は1909年に事業を開始し、世界初のうま味調味料「味の素」を発売したわけですが、もともとはラボのような小規模なところから始めました。創業者の鈴木三郎助は、最初から世界で量産化できる技術を実現するという夢を持ち、起業した。これは、今のスタートアップの方々と同じ思いであり、新事業に当たって我々は、今も創業時と同じ立ち位置、我々自身がスタートアップだと考えています。

 すでにスタートアップとの協業でウィン・ウィンの関係を築けた例もあります。米国のキャンブルック社はアミノ酸代謝異常患者向けの医療食品を開発・製造するスタートアップです。必要となるリソースや実現したいビジョンが当社と高い親和性を持つことから、私と福士で直接アプローチし、17年に完全子会社化に至りました。その後、商品改良や新製品開発、海外販路(中国、日本、欧州)の面で、人材交流や技術、マーケティング協力などを行ってきており、ビジネスが年率20~30%で伸び続けています。

18年には、味の素川崎事業所内にオープン&リンクイノベーション推進拠点となる「クライアント・イノベーション・センター」を開設した
18年には、味の素川崎事業所内にオープン&リンクイノベーション推進拠点となる「クライアント・イノベーション・センター」を開設した
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外村氏 これからの変化は、スマートフォンや自動車産業と同じように、食品業界に閉じた戦いではなく、異業種プレーヤーが競合相手になったり、逆に異業種との連携により新たな食の価値が開かれたりする世界だと思います。その中で、味の素はどう存在感を示していくのか。最後にお聞きしたい。

西井氏 例えば、トヨタ自動車がモビリティカンパニーへの脱皮を宣言しているのは、自動車が単に移動する「箱」ではなく、様々な「体験」を生み出すものだと捉え直したということだと理解しています。我々も、食の価値を再定義して生活者のUXを高めるために何が必要か、考え続ける必要があります。また、異業種のプレーヤーは競合するというより協調していく存在だと捉えていて、積極的に連携していく動きをつくっていきたい。

 その意味では、やはり食を通じた幸福感、ウェルビーイングの実現が1つの目指すところです。もともと2030年の姿として、食は従来のウェルネスからウェルビーイングに価値が移行していくと考えていましたが、今回の新型コロナウイルスによって生活者の意識が変わる中で、その方向性が急加速すると思っています。バーチャルで経験できることが増える一方で、リアルに相対して好きな人と食事することや、一緒にいる時間の価値がものすごく高まるということです。また、やはり食はエンターテインメントであるという考えも持っています。これらの観点で、我々がスタートアップの方々と共ににつくれる価値は数多くある。そう考えています。

(写真/古立 康三)

特集第2回「ロイヤルHD菊地会長「『ピーク前提』の外食モデルは見直し必須」」に続きます。