ビールなどで起きているクラフトブームがコーラにも到来している。そのパイオニアである「伊良(いよし)コーラ」を作ったのは、1989年生まれの小林隆英氏。自宅でコーラを手作りしたところから、この事業が始まったという。常識にとらわれない行動力の源泉とは。
※日経トレンディ2020年11月号の記事を再構成
20年9月の休日の昼下がり、東京・下落合駅の近く。神田川沿いの店の前に、静かな街には場違いと思える行列ができていた。客層は若いカップルから家族連れまでと幅広い。店の名前は、販売している飲み物と同じ「伊良コーラ」。15種以上のスパイスと柑橘類の果汁などを配合した手作りのクラフトコーラだ。価格は500円と一般的なコーラ類より高めだが、刺激的な飲み心地と優しい味わいを両立させ、リピーターを獲得している。天然素材だけで作られている安心感も強みだ。
このコーラを開発し、今も店内の工房でシロップ(原液)を黙々と作っているのが、代表の小林隆英である。通称は、「コーラ小林」。1回の仕込みで作れる量は約30リットル。完成までに要す時間は、熟成期間を入れて1週間だ。需要に応えるために、ひたすら作り続ける毎日だが、「うちのコーラを飲むと、元気が出ます。そんなコーラ本来の魅力を知ってもらえたら、うれしいですね」と爽やかに笑う。
これまで店頭で提供するほかに、炭酸水で割ってコーラを作るシロップを販売してきたが、今年7月にはそのまま飲めるタイプも発売。予約の2万本はすぐに完売し、1カ月半で3万5000本以上を売り上げた。同時に全国の有力食品・雑貨チェーンなどへ販路が広がり、コロナ禍で店の営業に影響が出る中、今年の売り上げ全体は昨年の3~4倍を見込むという。
小林は学生時代からコーラマニアで、世界のコーラを飲み歩いた。東京大学大学院修了後は広告会社に進んだが、その最初の年に偶然ネットで100年以上前のコカ・コーラのオリジナルレシピを発見。農学部出身で実験をこなしてきた経験を生かし、自宅でコーラを手作りしたのが、すべての始まりだ。
簡単には満足のいく味に仕上がらず、「これだ!」という配合に達するまで、2年半ほど試行錯誤した。コーラという名は、コーラの実というナッツを用いていたことに由来するが、最近の製品にはほとんど使われていない。しかし小林は本物にこだわり、アフリカのガーナから直輸入したコーラの実を配合した。ちなみに「レモンとバニラとシナモンの香りが合わさると、人はコーラらしい味と感じる」という。そこから「何度も飲みたい味」に行き着くまでが長い道のりなのだ。
開発している間、様々な意味で支えになったのが、和漢方職人だった祖父の存在だ。直接教えを受けたわけではないが、幼少期に祖父の手伝いをした経験が、スパイスの取り扱いに生かされた。残念ながら完成の半年ほど前に他界したが、遺品から見つかった漢方関連の資料や道具がまた、シロップ作りに大いに役立った。例えば材料の火入れの仕方を参考にした結果、コーラの香りがぐっと深みを増した。恩恵を受けたことに敬意を評し、ブランド名は祖父・伊東良太郎の名にちなんだ。
出来上がったコーラを世に広めたいと思った小林は、レシピ完成から僅か1カ月後に貯金をはたいて移動販売用のキッチンカーを購入。平日は会社員、休日は伊良コーラの販売という二足のわらじ生活を始めた。商品ロゴやキッチンカーの外装、日本では珍しいビニールパウチのパッケージなどは、すべて自分でコンセプトを考えた。オープン初日から150杯を完売するほどの好反応を見て、「この事業は自分にしかできないかもしれない」と奮い立つ。ネットで調べても、手作りコーラを販売している工房は見当たらなかった。
「今、自分が燃え尽きれば、世界にいいインパクトを与えられる」という思いが募り、販売開始から5カ月後、会社に辞表を提出。「世界初のクラフトコーラ専業メーカー、世界初のクラフトコーラ専門店」になった。その後、ネット通販や百貨店の催事場などへと販路を広げ、そして今年2月「顔が見えるものづくり」を確立すべく、祖父の拠点「伊良葯工」を活用して、工房付きの路面店を開いた。
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