ビールとして、日本で初めて「糖質ゼロ」を実現した「キリン一番搾り 糖質ゼロ」が好調な滑り出しを見せている。2020年10月の発売から1カ月で100万ケースを販売し、12月17日には当初設定した年間販売目標120万ケースを大きく上回る160万ケースを達成。最需要期の12月下旬に向けてさらに売れ行きに弾みが付きそうだ。酒税改正という絶妙のタイミングを狙い、しかも看板ブランドを背負わせて投入した超大型商品。その誕生物語を追う。

日本で初めて「糖質ゼロ」を実現した「キリン一番搾り 糖質ゼロ」。誕生までの長い道のりを、「一番搾り」のマーケティング担当者と開発担当者が明かす
日本で初めて「糖質ゼロ」を実現した「キリン一番搾り 糖質ゼロ」。誕生までの長い道のりを、「一番搾り」のマーケティング担当者と開発担当者が明かす

 「簡単にはたどり着けない未知の領域。かなり頑張って開発を進めたとしても完成させるのは相当難しい話だということは分かっていた。ただだからこそ挑戦したかった」。キリンホールディングスのR&D部門である飲料未来研究所の廣政あい子氏は、糖質ゼロビールを目指す極秘研究を2015年にたった2人でスタートさせた当時の心境をこう明かす。

 研究部門が起こした小さな波紋はいずれ全社を巻き込む“ビッグウエーブ”へと成長するわけだが、5年に及ぶ開発現場の最前線にずっと立ち続けた廣政氏は、結果としてキリングループの歴史をひもといても最高難度の開発をやり遂げた。女性研究員がこれほど重要な開発任務を負うのは、同社でも初めてのことだったのではないかという。

きっかけは花見で耳にしたある一言

当初年間目標を120万ケースとしていたが、好調なことから11月に160万ケースに上方修正。12月17日時点でこの目標も達成し、さらに上積みする勢いで売れている
当初年間目標を120万ケースとしていたが、好調なことから11月に160万ケースに上方修正。12月17日時点でこの目標も達成し、さらに上積みする勢いで売れている

 実は糖質ゼロ版ビールの着想が生まれたのは、廣政氏が育児休業中に参加したお花見でパパ友の1人が発したある言葉を耳にしたことだった。「ビールは好きなんだけど、体形も気になるんだよね。だから今日は飲むのを1杯だけにしておくよ」。そう嘆いたのだ。

 「なんてことだと思った。ビール好きな人が、健康を気にして飲まないなんて残念すぎる。そんな人でも気兼ねなく飲め、しかもおいしくて何杯も飲みたくなるビールがあればいいのに」。だったら自分が作ろう——。そう思った廣政氏は、育児休業が明けると、糖質を限りなくカットする技術開発に中長期的に取り組みたいと上司に申し出た。アイデアが形を帯び始めた瞬間だ。

 発泡酒や「第3のビール」と呼ばれる新ジャンルでは、糖質オフ/ゼロをうたう数多くの製品が世に送り出されている。ビール類全体でみれば市場の35%を占めるほど人気を呼ぶ。にもかかわらず、なぜビールのカテゴリでは誰も投入してこなかったのか。

 その理由は、ビールの製造工程にある。麦芽をでんぷん(糖質)に分解したのち、発酵工程で糖質を酵母に食べさせてアルコールを生成するのだが、酒税法上ビールは主原料として麦芽を50%以上の比率で使うものと定められている。麦芽が多い分、酵母は全ての糖質を食べ切らず、逆に残った糖質によってビール特有のうま味が生まれる側面もある。つまり糖質をゼロにするには、「糖質は残る」「残す」というビール開発の根本を覆す必要があり、全工程のプロセスを見直し、発酵工程で糖質の食べ残しがまったく生じないようにしなければならない。一方発泡酒の場合、麦芽比率が50%未満、新ジャンルに至っては麦芽を使っていない。糖質をカットしやすいからこそ「オフ」「ゼロ」商品が相次ぎ登場しているわけだ。ビールの場合、難度がぐんと上がる。

 やるべきことはシンプルだった。まず仕込み工程で、酵母が食べやすく、しかも均等なサイズになるようにでんぷんが分解される温度条件や処理時間などを割り出す。そしてそもそも、仕込み条件に最適な麦芽を探す。「ただ麦芽と仕込み条件の組み合わせは、星の数ほどある。“これは”というパターンに当たりを付けて試験醸造するわけだが、成功したかどうか分かるのは醸造が終わる1回当たり1カ月〜1カ月半先。闇雲にやるわけにはいかないのが悩ましい」(廣政氏)。要は、一発勝負で超難解パズルに臨むようなものなのだ。

 もしかしたら歴代の大手ビール会社の開発者たちの中にも、挑戦してみたいと考えた人はいるかもしれない。ただ冒頭で廣政氏が“未知の領域”と評したように、研究者としても会社としても相応のコストと時間をかける覚悟がなければ挑戦は難しい。実際、キリン一番搾り 糖質ゼロの開発に当たっては試験醸造は350回以上に及んだ。ビール試験醸造は通常数十回で終了するといい、これほどの回数を重ねるのは同社の歴史上でもなかったことだそうだ。

「キリン一番搾り 糖質ゼロ」の基本技術のアイデアを着想し、5年に渡る開発の現場を切り盛りしたキリンホールディングスのR&D部門である飲料未来研究所の廣政あい子氏
「キリン一番搾り 糖質ゼロ」の基本技術のアイデアを着想し、5年に渡る開発の現場を切り盛りしたキリンホールディングスのR&D部門である飲料未来研究所の廣政あい子氏

 最終的に執念は実ったが、決して平たんな道ではなかったと廣政氏は明かす。山登りに例えるなら、最後の“頂上”が見えてからがひたすら長く、苦しかったという。「実は見通しがまったく立たず、これ以上続けてももうダメだから開発を諦めた方がいいのではないかという言葉が研究所内で飛び交った瞬間があった」(廣政氏)。  会社側に中止を申し入れる直前まで行ったものの思いとどまったのは、マーケティング部門のメンバーや担当役員からの熱いエールに支えられたことが大きかった。今までにない価値のあるビールを顧客に届けられれば、必ずや顧客は大喜びしてくれるはず——。そんな言葉で勇気をもらった開発チームは再び奮起。難局を乗り切った。

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