日本電産を世界一のモーターメーカーに育てた永守重信氏。その経営手腕で次に挑むのが大学改革だ。私財を投じ、理事長として京都先端科学大学で改革を推進。永守イズムで変革に挑む実行者と永守氏の足跡を追う本連載。現場には、新たな価値を生む組織づくりのヒントがあった。第1回は学長の前田正史氏。
「この1年でこの大学は本当に変わった。入学生の顔つきが明らかに違う」
京都先端科学大学の学長、前田正史氏は驚きを隠さずこう語る。2018年3月、同大学前身の京都学園大学は、日本電産会長の永守重信氏が理事長に就任。京都学園大学は、受験界ではいわゆる“Fランク”に分類され、長らく定員割れにあえいでいたところから太秦に移転、新しい一歩を踏み出そうとしていた。19年4月に校名変更し、再スタートを切ったと同時に、学長に就任したのが前田氏だった。当時訪れたときとはまるで違う大学になったと前田氏は実感。事実、20年度の志願者数は新体制になる前の2倍にまで膨れ上がり、受験生の出身高校の幅も劇的に広がった。
20年4月には、以前からある経済経営学部、人文学部、バイオ環境学部、健康医療学部の4学部に加え、工学部が新設。「偏差値主義、ブランド信仰に凝り固まった大学教育を打破し、社会で戦える実戦力を徹底的に鍛え上げること」という永守氏のメッセージを体現した教育がついに本格始動した(関連記事「日本電産・永守重信会長独占インタビュー 最後の大仕事は大学」)。
学長として現場で総指揮を執る前田氏は、東大生産技術研究所所長から東大副学長を歴任後、日本電産生産技術研究所所長へ。今回、永守氏からの要望で京都先端科学大の学長に就任。こと大学運営に関しては、永守氏は全幅の信頼を寄せている。
そもそも永守氏が大学経営に乗り出したきっかけは、モーター研究者の即戦力を育てたいと思ったからだ。だが、総合的でかつ実践的なモーター技術を学べる大学はなく、つくるしかなかった。前田氏は工学のプロフェッショナルであり、元・東大副学長として日本の大学最高峰を知る人物。その経験と知見から前田氏に白羽の矢が立つ。カリスマ企業経営者と元・東大副学長が夢のタッグを組み、「新しい大学のあり方」を世に打ち出したのが、今の京都先端科学大学なのだ。
「人」を変える! 学部長から教授陣まで一新
「私の最初のミッションは、人を変えることだった」
前田氏は改革のスタートをこう振り返る。今までにない、新しい大学をつくろうと意気込む永守氏のメッセージをどう解釈し、形にすべきか。「彼は細かいことは何も言わない。工学部開設に当たっても『いい工学部をつくってほしい』と一言だけ」。永守流の「いい」とは何かをそしゃくし、それを具現化しようと、前田氏は動き出した。
前田氏がまず取り掛かったのが、学部長の刷新だ。変革するためには、同じベクトルを持った優れた指揮官が必要。そこで、5つの学部長の総入れ替えという大胆な人事を決定した。前田氏自らが先頭に立ち、幅広い人脈と知見で新たな学部長を人選し、すべて外から一本釣り。永守氏が心血を注ぐ工学部のトップには、京都大学大学院工学研究科教授の田畑修氏、文系の看板学部である経済経営学部は京都大学の元・副学長の西村周三氏、人文学部長には東北大学大学院文学研究科教授の佐藤嘉倫氏などトップクラスの研究者たちが、大学の理念と前田氏の思いに共感し、集結した。
「学部長の人選ポイント? それは変人です(笑)。専門分野を深掘りする学問好きのプロフェッショナルの“すごいオタク”を集めました。田畑先生は民間企業出身でエジプトでも教べんを執るなど異色の経歴ですし、どの学部長も極めて優秀なうえに、型にはまらないエキセントリックな人たちです」と前田氏。大学のキャッチフレーズは「トンガリ人材が世界を変える」。何か1つでも際立ったものがある優秀な人材を大学で育てたいというのが、永守氏のメッセージだ。だからこそ、学部長も、究極のトンガリ人材を集めた。最終的に人事は永守氏の判断に委ねられたが、永守氏はそのまま首を縦に振った。
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