弘兼憲史の代表作『島耕作』シリーズの始まりは、1本の読み切り漫画からだった。自身のサラリーマンとしての経験に加え、徹底した取材の成果を原稿に落とし込みシリーズ累計4000万部の大ヒットとなった。さらに政治ドラマを描いた作品で取材を大切にする手法を推し進めた。
往々にして人生を大きく変えるのは、ちょっとしたきっかけや、巡り合わせ、である。弘兼憲史も例外ではない。
転機は1983年、講談社の漫画雑誌『モーニング』だった。
「最初は何でもいいから(読み切り作品を)1本書いてくれ、という依頼だったんです。『モーニング』で(空きが)何ページあるから、という感じです。そのとき何を書こうかと色々と考えたんですけど、当時は普通の会社に入ってから漫画家になる人というのが珍しかった。あのときの経験を書いてみようって」
すでに聖日出夫の『なぜか笑介』のように、サラリーマン生活をコミカルに描いた漫画は存在した。弘兼は自らの会社員としての経験を生かして、より現実味のある作品にしようと考えたのだ。ただ、現実をそのまま描かないのが弘兼である。
「普通に会社員の生活を書いてもおもしろくない。そこで、オフィスラブがいいなと。その(最初の読み切り作品の)ときの印象が強くて、(主人公は)ひどいやつだっていうイメージを持つ人がいるんですけれど、それはしょうがないんです」
この読み切りは好評で続編が作られ、定期連載となった。
「女性をとっかえひっかえというオフィスラブでは、内容が軽すぎる。週刊連載になるときにニューヨークに赴任させて、“スーパーサラリーマン”という設定に替えたんです」
『課長島耕作』である――。ニューヨークを舞台にした辺りから「この作品はヒットする」という手応えがあったという。
「自分で描いていて、おもしろかった。会社員の人物像にしても、会議の進め方、理不尽な上司、みんなぼくはリアルに体験してきた。この後にもコミカルタッチなサラリーマン漫画は出てきたけれど、恐らくぼくとの違いは実際に経験したかどうか、だと思う。それは自分の特技みたいなものですよね。自分がサラリーマンを3年間経験したのは決して無駄じゃなかった。急がば回れじゃないけれど、ちょっと遠回りしたことで、ぼくの前にいい道が開けたような気がする」
課長島耕作が幅広く受け入れられたのは、会社員としてのリアリティーに加えて、読者に未知の世界を見せるという一面もあったからだろう。主人公の島が出入りするような銀座の高級クラブの描写もその一つだ。
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