『イノベーションのジレンマ』で知られる米ハーバード大学経営大学院のクレイトン・クリステンセン教授が2020年1月23日、死去した。同教授がマーケティングにのこした功績として、Preferred Networks執行役員・最高マーケティング責任者の富永朋信氏は『ジョブ理論』を挙げる。

『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』(クレイトン・M・クリステンセン他、依田光江 (訳)/ハーパーコリンズ・ジャパン、税込み2200円)
『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』(クレイトン・M・クリステンセン他、依田光江 (訳)/ハーパーコリンズ・ジャパン、税込み2200円)

 「ディスラプション(創造的破壊)」という言葉は、現代の企業において最も頻繁に扱われる概念の1つであり、その意味で教授の『イノベーションのジレンマ』が経営に与えたインパクトは計り知れないものがあると思います。ですが、今回追悼のコメントを寄せるに当たり、私はあえて『ジョブ理論』に焦点を当てたいと思います。

 マーケティングにおいて「ターゲットを定める」ことは、最も原則的・基本的な作法の1つです。商品・サービスをデザインするときはターゲットの価値観や志向を基準にしますし、それを消費者に伝えるときは、彼らがどんなメディアに接しているか、という作法で組み立てるので、ターゲットはいわば思考の出発点になるわけです。

 ところが、筆者がマーケティング責任者として勤務した経験が長いリテール(正確にはスーパーマーケットやコンビニなど誰もが日常的に使う小売り)という業態では、それがうまく機能しません。フォーカスを利かせたターゲット設定をすると、品ぞろえが偏って「誰も」に有用な店でなくなってしまうし、緩い設定をするとステレオタイプに陥り、差異の創出からどんどん遠くなるのです。

 その解として、顧客の「来店意図」に着目し、それに合わせた品ぞろえや顧客経験を設計するというアイデアが出てきました。まずは定性・定量の調査からそれを導いてみると、スーパーマーケットの場合、その来店意図は17種類に大別され、小売りのブランド間や店舗間の相違をうまく説明できそうなことが見えてきました。

 そこで、「行動は意図の変数である」という仮説の下、レシート分析によって全購買データを数理的に分類してみたところ、定性・定量と同じような傾向の、しかしより解像度の高いランドスケープが描き出され、それは店舗レイアウトや品ぞろえ、売り上げ検証のとてもよいガイドになりそうなことが見て取れました。そこから私は、小売りに限らず、誰もが使う商品やサービス、つまりプラットフォームのターゲティングは「人よりも意図で決める」のがよいのではないかという考えを持ちました。

 そんな折、友人がクリステンセン教授の『ジョブ理論』を紹介してくれたのです。同書では「ジョブの解決」という概念を軸に、「人より意図」という考え方が小売りやプラットフォーム的なブランドのみならず、普遍的に援用可能であることが包括的・理論的に記されており、ターゲティングというマーケティングのベースをバージョンアップする考え方が提示されているように感じました。

 脳科学的に意図の発生メカニズムが解明されればさらに解像度が上がる可能性はありますが、少なくともそれまでは、『ジョブ理論』を下敷きにした考え方は最も精度の高いターゲット捕捉手法であり、ターゲット=人という常識をディスラプトしたという意味において、教授がマーケティングにもたらした功績はまさに革新的であると思います。

 マーケティングを生業とする者の一人として、教授の業績に思いをはせながら、心よりご冥福をお祈りするものです。

富永 朋信 氏
Preferred Networks執行役員・最高マーケティング責任者
日本コカ・コーラ、西友などでマーケティング関連職務を歴任し、ドミノ・ピザ、西友など4社でマーケティング部門責任者を拝命。社外ではイトーヨーカ堂、セルムの顧問、厚生労働省年金局 年金広報検討会構成員、内閣府政府広報室 政府広報アドバイザー、駒沢大学非常勤講師などを務める。日経クロストレンドなど、マーケティング関連メディア・カンファレンスなどのアドバイザリー、ボードメンバーなど多数。著書に『デジタル時代の基礎知識「商品企画」』(翔泳社)

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