価値観が大きく変化する今こそインナーブランディングが必要だ。そんな問題意識で企画した特集の第2回は、OEM頼みだった織物産地の経営者たちにスポットを当てる。独自ブランドの立ち上げなどを通じて変わっていった経営者たちの姿から、インナーブランディングには小さな成功を積み重ねることの大切さが分かる。

槙田商店の傘のブランド「sai(菜)」。伸縮性のある服地を傘地に使用した。東京造形大学テキスタイルデザイン専攻の学生とのコラボ事業で生まれたアイデアをブラッシュアップして2015年にブランドとして立ち上げた。当時、学生だった井上美里さんは、卒業後に槙田商店にデザイナーとして就職した
槙田商店の傘のブランド「sai(菜)」。伸縮性のある服地を傘地に使用した。東京造形大学テキスタイルデザイン専攻の学生とのコラボ事業で生まれたアイデアをブラッシュアップして2015年にブランドとして立ち上げた。当時、学生だった井上美里さんは、卒業後に槙田商店にデザイナーとして就職した

 日本各地にある織物の産地の中でひときわ盛り上がりを見せているのが、山梨県富士吉田市を中心とした郡内地域だ。郡内地域は1000年以上前から続く歴史ある織物産地で、かつては「甲斐絹(かいき)」という薄手の先染め高級織物を生産していた。甲斐絹は、主に羽織の裏地として使用されていたが、洋服が主流となり下火に。

 現在は甲斐絹の優れた技術を生かして、婦人服地をはじめ、カーテン地や傘地、裏地、ネクタイ地など、多様な生地を生産している。そのため、機屋(はたや)同士の産地内競合が起こりにくいという特徴もある。

 そんな郡内地域にはファクトリーブランドを立ち上げている機屋が13社以上あり、ヒット商品も生まれている。東京・表参道の複合文化施設「スパイラル」で展示・販売をしたり、「渋谷ヒカリエ」などでオリジナル商品を販売したりするブランドもある。

<特集 インナーブランディングの時代>
【第1回】今こそ社員向けブランディング 大企業もスタートアップ企業も
【第2回】知名度無くしたOEM産地がインナーブランディングで復活するまで ←今回はココ
【第3回】「すべては、猫様のために。」 技術×猫愛で好調スタートアップ
【第4回】京急本社ビルがミュージアムに 人々の笑顔が社員の意識を変える

 掛け軸や和装小物の生地や金襴緞子などを製造している光織物(山梨県富士吉田市)は2012年、デザイナーの井上綾さんとテキスタイルブランド「kichijitsu」を設立。13年に発売した、御朱印帳の表地をオリジナルの生地で仕立てた「GOSHUINノート」がヒット。これまで6万冊を売り上げた。

 服地と傘地、傘の生産まで一貫して手掛ける槙田商店(山梨県西桂町)は、北欧デザインの巨匠であるスティグ・リンドベリとコラボレーションした晴雨兼用傘のブランド「Stig L.」の売れ行きが好調だ。3年間で3000本以上を販売した。槙田商店の槇田洋一常務は、「19年の総売り上げは5億円。そのうち、オリジナルブランドは8000万円で前年より20%伸びている。今年は1億円を目指している」と話す。

 国内の繊維産業は衰退の一途をたどっているが、郡内地域に活気があるのは、07年頃から取り組んでいる産地の知名度向上策が奏功し、OEM(相手先ブランドによる生産)が中心の機屋の社長と跡継ぎとなる息子や娘の意識改革につながったからだ。

 インナーブランディングとは、ある種の意識改革である。この産地における意識改革は、「デザインには自分たちの強みや技術力を再発見できる可能性がある」と気づいたことだ。それに伴い、自立心が芽生え、多くの機屋がオリジナル商品を積極的に開発するようになった。

 こうした流れがうまくいっている理由は、大きく2つある。一つは、展示会や催事で顧客から直接、自社商品の評価を得て、自信を持てたこと。もう一つは、商品開発に対する情熱を保てる仕組みができたことだ。

「kichijitsu GOSHUINノート」光織物
「kichijitsu GOSHUINノート」光織物
「Stig L. ハーバリウム」槙田商店
「Stig L. ハーバリウム」槙田商店
「HADACHU-ORIMONO」羽田忠織物
「HADACHU-ORIMONO」羽田忠織物

名前をなくした産地

 郡内地域に限ったことではないが、国内では高度経済成長期以降、「いいものを作っていれば、それだけで売れる」時代が長く続いた。郡内地域の仕事のほとんどは下請けで、OEM生産が中心。長年にわたって、機屋が自らデザインを考えたり、情報発信したりすることはなく、営業機能も喪失した。

 OEMの仕事は、産地名や機屋名を出さない契約なので、知名度も下がっていった。現在も、山梨県に織物の産地があることを知らない人は少なくないだろう。山梨県産業技術センター富士技術支援センター主幹研究員の五十嵐哲也氏は、「OEMの仕事と引き換えに、産地は名前をなくしてしまった」と話す。

 だがその後、OEMの仕事は年々減り続けている。郡内地域における織物の総生産金額は、ピーク時の1970年代には約300億円あったが、現在は約80億円。総生産量はピーク時のおよそ7分の1まで落ち込んでいる。槙田商店の槇田氏も「OEM生産は、バブル期の4分の1程度まで減った」と話す。

次ページ以降の内容
・世界的デザイナーと始めた取り組みとは
・学生とのコラボで得たのは“誇り”

 新たな市場開拓が急務と考えた富士吉田市織物協同組合は、展示会の関わり方を見直した。07年からビジネスマッチングのためのインテリアの展示会「JAPANTEX」に出展し、そのディレクションをテキスタイルデザイナーの鈴木マサル氏に依頼したのだ。この展示会が、郡内地域における機屋の意識改革の転機となった。鈴木氏は「マリメッコ」や「カンペール」など、世界的なブランドのテキスタイルデザインを手掛けている人物だ。

鈴木マサル氏がディレクションをした「JAPANTEX2007」の会場風景
鈴木マサル氏がディレクションをした「JAPANTEX2007」の会場風景
鈴木氏がディレクションする以前、00年代前半に開催された郡内地域の産地展の模様。古めかしいイメージが漂う
鈴木氏がディレクションする以前、00年代前半に開催された郡内地域の産地展の模様。古めかしいイメージが漂う

デザインで自分たちの価値に気づく

 07年のJAPANTEXに出展した機屋は6社。その経営者たちは当初、アピールしたい生地をブースにつるして展示すればいい程度に考えていた。それに対して鈴木氏は、「インテリアの展示会なのだから、バイヤーやデザイナーが商品に加工したときのイメージがしやすいように、新作のテキスタイルをクッションや座布団、カーテンなどに仕立てて展示すべき」と提案。鈴木氏は自主的に各機屋にテキスタイルデザインを提供し、仕立てる商品や縫製工場、ブースでの立ち居振る舞いまでも助言した。

 その結果、これまでの展示会とは雰囲気が全く異なり、商品が映えるモダンなブースが出来上がった。「機屋の社長たちは、バイヤーが見ているものは生地だけではないと気づいたはず。ブースや商品の見せ方もデザインであり、それを工夫することで、自分たちもかっこいいものを生み出せる存在だと実感できたと思う。この展示会がなかったら、今、産地はどうなっていたか分からない。鈴木さんが覚悟を決めて取り組んでくれたおかげで、一歩前に進むことができた」(五十嵐氏)。

 鈴木氏はそれから約10年、「インターテキスタイル上海」や「東京インターナショナル・ギフト・ショー」など、展示会のディレクションを担当。槙田商店の槇田氏は「14年2月のギフトショーでは、商品のセレクトや見せ方をアドバイスしてもらった。それによってテレビの取材が入ったり、新たなビジネスにつながったりした。展示ブースのデザインに予算をかけることも、技術開発と同じように大切なことだと気づくことができた」と振り返る。

 機屋は12年から、小売りにも挑戦。ファクトリーブランドを営む12社が「ヤマナシハタオリトラベル」というブランド名で活動し、つくり手の顔や名前、ブランドを前面に出した期間限定ショップを、「エキュート立川」や「伊勢丹 新宿店」「銀座三越」「阪急百貨店」などに出店していた。このプロジェクトをけん引していたのは五十嵐氏と、郡内に移住した東京造形大学卒のデザイナー、高須賀活良氏だ。

 機屋にとっては自分たちが企画してつくり、価格も自分たちで決めた商品を、来店客が喜んで目の前で購入してくれることは、OEMの仕事では得られない喜びだった。そうした経験が機屋の社長たちに「自分たちの技術とデザインの力がかみ合えば、マーケットに十分認めてもらえるんだ」といった自信を植え付けていった。「出店する商業施設によって、売れる商品とそうでない商品がある。各ブランドがマーケティングを考える機会にもなった」(五十嵐氏)。

学生とのコラボが産地を動かすエンジンに

11年の「フジヤマテキスタイルプロジェクト」で学生たちが機屋を訪問している様子
11年の「フジヤマテキスタイルプロジェクト」で学生たちが機屋を訪問している様子

 意識改革がうまくいった2つ目の要因──商品開発に対する情熱を保てる仕組み──は、学生との交わりだった。鈴木氏がプロデュースする東京造形大学テキスタイル専攻の学生コラボ事業「フジヤマテキスタイルプロジェクト」(以下、学生コラボ)である。

 学生コラボは、光織物の加々美琢也氏が自ら鈴木氏に依頼して09年から始まった。加々美氏は光織物を跡取り息子で、当時は20代。学生コラボの機屋側の狙いは、学生たちと交流することで間接的にテキスタイルデザインを学ぶことだった。

 鈴木氏は、どうせやるなら機屋の役に立つように「本当に売れる商品を開発する」という高い目標を掲げ、1年間かけて機屋と学生が1対1で商品開発を行っている。ルールは2つ。一つは、学生の作品をつくるのではなく、機屋の商品をつくること。もう一つは、機屋は学生の提案を簡単にノーとは言わず、実現できる方法を考えること。

 そんな学生コラボの存在を五十嵐氏は「産地を動かすエンジンのようなもの」と言う。造形大にはデザインだけではなく、学生自ら布を織ったり、糸を染めたりする授業もある。生産工程を知っているからこそ、学生たちは機屋の工場に入ると、糸の細さや技術の高さに感動する。学生の素直なリアクションに対し、機屋の社長やその息子らは、自分の仕事に誇りを感じる。そして、学生が発想する柔軟なアイデアをなんとか実現しようというモチベーションを保つことができるのだ。

14年5月、「ヤマナシハタオリトラベル」が渋谷ヒカリエに出店したときの模様
14年5月、「ヤマナシハタオリトラベル」が渋谷ヒカリエに出店したときの模様

当面のゴールに向けて動く

 16年から始まった産地の秋祭り「ハタオリマチフェスティバル」には、2日間で1万人以上が来訪。日本全国の繊維産地やものづくり企業を巻き込んだイベントで、多方面から注目を集めている。学生とのコラボ事業は10年以上続き、これがきっかけで自発的に郡内地域へ移住した卒業生が10人ほどいる。

 学生コラボ以外にも、10年に「台東デザイナーズビレッジ」村長の鈴木淳氏や、トレンドユニオン日本支社代表の家安香氏によるセミナーなども開催。翌年以降も継続し、家安氏による勉強会は現在も行われている。これまで様々なプロジェクトで生まれた成果品は、東京インターナショナル・ギフト・ショーや「rooms」などの催事でお披露目することを「当面のゴール」に設定してきた。

 「当面のゴールと設定しているのは、それが正しい行き先とは限らないから。それでも、当面のゴールの先にはきっと何かあるはずだと信じて動くことが大事だと思う。アドバイスしてくれた人の言葉を素直に受け止め、やれることを全力でやってきただけ。明確なビジョンはなかったが、ベストを尽くすことだけを考えてきた。きっとこれからも、その繰り返しなのだろう」と五十嵐氏は話す。小さくても構わないから、成功体験を積み重ねていくことが、意識改革=インナーブランディングを進めるポイントともいえそうだ。

(写真提供/山梨県産業技術センター)