トップマーケター・富永朋信氏(Preferred Networks執行役員CMO)が幸福学を専門とする慶応義塾大学・前野隆司教授に「人間の幸せ」について聞く対談の第1回。前野教授は「統計データによると、相手に対する愛情は結婚して3年で元の水準に戻るというのが平均値」だという。ではそれを長続きさせる秘訣とは?

(写真/Shutterstock)
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 世界的ベストセラー『予想どおりに不合理』でおなじみ、行動経済学の権威であるダン・アリエリー氏(米デューク大学教授)が人間の幸せについて語り尽くした書籍『「幸せ」をつかむ戦略』(日経BP)。その著者(聞き手)であるPreferred Networks執行役員CMO(最高マーケティング責任者)の富永朋信氏が「人間の幸せ」について、幸福学を専門とする慶応義塾大学・前野隆司教授に聞いた。

富永 朋信氏(以下、富永) 私はずっとマーケティングの仕事をしてきたのですが、根本原理として消費者行動論を学んできました。人がブランドや商品に対してどのように関与を深めていくのかという興味から、人にどういう働き掛けをしたらどういう反応が返ってくるかを究めていくことに喜びを感じています。

 その中で、15年くらい前に行動経済学に出合って、人間の持っているバイアス(思考の偏り)や非合理性、幸せと損得は違う物差しであるといったことに対する大いなる気付きがあり、仕事やライフワークである人間理解に生かしてきました。

 それで、『「幸せ」をつかむ戦略』という本を2020年2月に出版しました。行動経済学の大家であり、長年憧れていた米デューク大学のダン・アリエリー教授に会いに行けることになって、そのときにインタビューした内容を抄録したものです。

 行動経済学というと合理性と非合理性の相克にタッチすることが多いですが、この本は人間の幸せの源泉はオートノミー(自律性)、自分で自分のことを決定できることにあるという仮説を立て、その上でいろいろな質問をダンにぶつけた内容になっています。

 私がCMOを務めているPreferred Networksはロボットも手掛けており、前野先生がロボティクスの研究から幸福学にお進みになったというところに非常に親近感を持っておりました。そこで、私がダンにしたような幸せに関する質問を前野先生にさせていただければと思います。

前野 隆司教授(以下、前野) なるほど。よろしくお願いします。

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前野 隆司氏
慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授 ウェルビーイングリサーチセンター長
1984年東京工業大学卒業、86年同大学大学院修士課程修了。キヤノン、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授などを経て現職。博士(工学)。著書に『幸せな職場の経営学』『幸せのメカニズム』『脳はなぜ「心」を作ったのか』など多数。日本機械学会賞、日本ロボット学会論文賞、日本バーチャルリアリティ学会論文賞などを受賞。専門は、システムデザイン・マネジメント学、幸福学、イノベーション教育など

富永 1つ目の質問ですが、人生の大きな決断として「住宅購入」と「結婚」があります。しかし、住宅は住み続けるうちにどんどん愛着が湧いてくる一方、結婚相手はだんだん気に入らないところが目についてくるという現象があるように思うんです。そこで、どういうマインドセットを持って行動したら、パートナーに対するネガティブな感情を回避できると思われますか。

前野 私自身は妻への愛着が家以上にどんどん増していると感じているので、今の話は私の実感とは一致していません。

 ただ、確かに統計データを見ると、相手に対する愛情は結婚して3年で元の水準に戻るというのが平均値なんですよね。恋愛しているときにはエンドルフィンというホルモンが出ますから、それによって舞い上がった状態というか、「好きだ」という気持ちが前に出るわけですが、3年で元に戻るわけです。そういうふうに生物としてできているので、単なる恋愛感情だけだと3年で終わる。家も新築のときのまま、住み始めてから住み心地が良くなる工夫などを何もしなければ、3年くらいで「家が大好き」みたいな感情も終わるんじゃないでしょうか。好きという感情が長続きしている人は、家に愛着を持って大切にして、リフォームしたり、家族とともに家に感謝したりしながら大事に使っていると思います。

 ですから、パートナーに対する感情は恋愛初期こそエンドルフィン型かもしれませんが、人間として尊敬し、大切にしたい、一度しかない人生で巡り合った一番大切な人なんだという感情が醸成されるかどうかではないでしょうか。「自分以上に配偶者を幸せにしたい」という感情が芽生えてくれば、家よりも愛着がさらに高まっていくような気がしますし、結婚している人と未婚の人を比較すると、結婚している人のほうが幸福度は高い傾向にあるんですね。

 ただ、日本でも離婚する人が約3分の1いるのが現実です。そこは『幸せのメカニズム』という本に書きましたが、トロフィーワイフ、つまり結婚することをポルシェか何かを買う感覚と同じように考えている人と、人間としてもっと大切にするという思いがある人に二極化しているのかもしれないかなと、今の質問を聞いて思いました。

富永 今、先生がおっしゃったことの中にいくつか非常に大事なポイントがあると感じたので、それを整理させてください。

 まず家に対する感情について、私は乱暴にどんどん愛着が深まってくると言いましたが、それは一様ではないと。例えば、新築住宅を買うと最初は汚したり傷付けたりするのがすごく気になりますけれども、ある程度時間がたつと傷を1個も付けたくないような気持ちは薄れていく代わりに、愛着のあるものだから大事にしていこうという感情が勝っていくと。

 それから2点目に、結婚にはトロフィー型と、パートナーとともに幸せを構築していこうという型があると。これは同じ結婚という制度の中で起きている現象でもまったく質的に違うもので、前者は時間がたつにつれてトロフィーの価値が下落し、ネガティブな感情が増えていく。一方、パートナーと一緒に幸せになっていこうという結婚は時間がたっても減衰している感覚はあまりないし、一緒に人生を重ねていけばいくほど幸せの礎になる共通経験が増えていくので、愛着が深まっていくと。

前野 はい。整理していただいてありがとうございます。

富永 そうすると、トロフィーワイフというのがまさにそのエンドルフィンのための結婚ということなんでしょうか。

前野 そう言えそうですね。一方で、愛着が深まるほうの結婚が、オキシトシン、セロトニン型ですね。オキシトシンとセロトニンは愛情ホルモンといわれていて、いろいろな側面もあるんですけど、大ざっぱに言うと、長続きする幸せに寄与する脳内物質ですね。

東洋型行動経済学が出てきてもいい

富永 なるほど。ちょっと話が脱線するんですけれども、「最後通牒ゲーム」というゲームがよく行動経済学で取り上げられます。まず前野先生が私に「このお金を誰かと分けなさい」と私に1万円を預ける。私は分配比率を決められるが、相手がその比率を拒否したら分配は成立せず、1万円を前野先生に返さないといけない。そのとき、私はどんな分配比率を提案するのがよいか、という問題です。これは合理性を前提とする古典的経済学の考え方だと「1円を提示する」のが正解ですけど、相手は断るよねという話です。

 これを行動経済学的に説明すると、相手は1円でも手に入れたほうが合理的なのにもかかわらず、分配比率の不公平感からその機会をみすみす放棄するという非合理的行動を取るのだと。これが人間の非合理性のエビデンスだという言い方をするんですが、今おっしゃったエンドルフィン型やオキシトシン型みたいなことを援用すると、もしかしたら断ることによってエンドルフィンが出てくるから断る、みたいな言い方もできるのでしょうか。

前野 今おっしゃったようなことは、報酬系ホルモン、ドーパミンのほうが関係しているかもしれないですね。ドーパミンは何かを得ると短期的な幸せが得られるホルモンで、オキシトシンやセロトニンはもっと長期的な幸せ。ドーパミン・エンドルフィン型というと近いかもしれないですね。

富永 なるほど。私が行動経済学の中でちょっと説明力に乏しいなと思うことが、合理性と人間の直感的選択を対比して、「損得という物差しから見るとおかしいから非合理的」というふうにばっさり断じてしまうところなんですよね。でも生物としての正当性とか理由があって直感的な意思決定をしているはずで、それを説明する脳的な作用やホルモン的な作用があるんじゃないかと思っているんです。今そのヒントをいただいたのかなと思ったんですが、期待が過ぎましたかね。

前野 いや、そういう部分もあると思います。行動経済学はもともと個人主義が強い欧米で発達しているので、人間はエゴイスティックで、自分の利益のために動くものだという仮定の下にできたという背景があります。個人的にはここにちょっと違和感を覚えるんです。現代では多くの学問が個人主義的な欧米の考え方を基盤にしているので、日本のような集団主義的な視点、すなわち、自分を犠牲にしてでも他人や全体としての繁栄のために尽くすということを合理的に考えようとする視点が抜けがちだと思うんですよ。

 でもゲーム理論でも自分のことばかり考えるんじゃなくて、全員として一番得するのはこうだよねという視点をもっと考慮すると、東洋型行動経済学みたいなものがもっと出てきてもいいはずですし、それにはオキシトシンやセロトニンの作用、つまり「利他の視点」も重要になってくると思います。欧米の利他は「いいことをしておくと天国に行ける」「いいことすると自分に戻ってくる」というロジックが根底にあると思うんですけど、集団主義は自分よりも全体の繁栄のほうが大事だという基盤があります。日本は個人主義と集団主義のちょうど間くらいの国です。行動経済学は、集団主義的な利他性を考慮すべきだと思いますね。

富永 先生が欧米と日本の違いに言及されたのでちょっとチャレンジングな質問をしますが、個人的にいつも違和感を覚えることが、同じ人間なのに日本人はとか欧米人はという主語の設定がなぜ成り立つのだろうかと。確かに歴史や分野によって内在する論理は異なることがあるとは思いますが、幸せみたいな人間にとって根源的な部分がそんなに違うのかがちょっと不思議なんですけれども、この点はどう思われますか。

前野 僕は専門家ではないですが、文化心理学の中に個人主義と集団主義という先ほど申し上げた考え方があって、ある種の調査によると、そこの差異は大きいことが分かっています。

 人間は集団主義にも個人主義にも、あるいは全体主義にも適応できるんですよ。だから日本人が特殊というよりも、日本は文化的背景によって何千年も集団主義的だったところに西洋的な価値観が入ってきて、集団主義と個人主義がちょうど半々くらいの希有(けう)な国になったと思うんです。あくまで平均値の議論ですが。

 気を付けていただきたいのは、「日本人は親切だよね」といったことを僕は省略して言っていますけど、日本人の平均値は外国人よりも親切な傾向があるという統計データで論じているのであって、ステレオタイプとは似て非なるものだということはお伝えしておきたいです。

富永 人の価値観や幸せ感を形成しているものは複雑な構造をしていて、その人が持って生まれた価値観や生まれ育った環境、教育などいろいろな要素によって複合的に形成されるが、そうは言ってもその人が住んでいる地域の文化やノーム(基準、規範)が大きいという理解でよろしいでしょうか。

前野 はい。それなりに大きいということです。ステレオタイプに平均値だけで論じることはある種の問題をはらんでいますが、平均値で論じることで国家の平均像の違いは比較できるということです。

<第2回に続く>