世界的ベストセラー『予想どおりに不合理』でおなじみ、行動経済学の権威であるダン・アリエリー氏(米デューク大学教授)が人間の幸せについて語り尽くした書籍『「幸せ」をつかむ戦略』(2020年2月18日発売、日経BP)が、2020年2月18日に日経BPから発売される。ダン氏が考える消費の幸せとは?
本当の幸せはお金や地位ではなく、自分の意思で自由に振る舞えることにあるのではーー。日本を代表するマーケティングのプロ・富永朋信氏(Preferred Networks執行役員・最高マーケティング責任者)はその答えを求めてカナダ・トロントへ。
消費から夫婦関係、子育て、従業員のモチベーションまで、「幸せ」に関する8つの質問に対し、世界的ベストセラー『予想どおりに不合理』でおなじみ、行動経済学の権威であるダン・アリエリー氏(米デューク大学教授)が答えた驚くべき内容を凝縮したのが、書籍『「幸せ」をつかむ戦略』(2020年2月18日発売、日経BP)だ。 本特集はその連動企画として、本書から抜粋した内容やそのテーマに関連する記事などをお届けする。
なぜ私がダン・アリエリーにハマったか
筆者が生業としているマーケティングは、メディア、通信手段、消費者のライフスタイルの変化によりダイナミックに変化している、と一般的に言われます。特にデジタル技術をベースにしたコミュニケーション手段の多様化、その内容のリッチ化および一人一人の消費者に合わせたカスタマイズ、決済手段の多様化、そこに関連した購買プロセスの洗練などの分野は日々新しいアイデアが提唱され、それにより従来の手法が時代遅れとなったり、その役割が見直されたりしています。
一方、マーケティングには、変わらない要素もあります。それはマーケティングが人間を対象にした営みであること、もう少し精密に言えば、ターゲットとなる人に、何かしらの働きかけをすることにより、その認知・態度・行動のポジティブな変容を意図するものである、ということです。
マーケティングコミュニケーションに従事する者が、ターゲットに対する働きかけをつくるときには、人間はそもそもどんな欲求を持ち、何に動機づけられ、どのように認知し、どのようなバイアスのもとで意思決定をするか、といった人間の仕組みそのものに接近する必要があります。私が行動経済学に初めて出会ったのは、そのような問題意識を抱えていた10年ほど前のことです。そこでは人間がいかに非合理的であるかが体系的に実験データとともに描かれており、これらは変わらない人間の本質であり、これを踏まえた上でマーケティング施策を考えていくことの重要性を直感しました。
以来、私は行動経済学の虜となり、日本語に翻訳されている書籍は次から次に読み漁りました。ダニエル・カーネマン、エイモス・トヴェルスキー、リチャード・セイラーなど、著名な学者のものは勿論、タイトルに行動経済学や、それに関連する言葉が付いている書籍はとりあえず手に取ってみる、という入れ込み方でした。
その中でもデューク大学のダン・アリエリー教授の著書は型破りな魅力に溢れていました。実験のみならず、自身の経験もエピソードとして使う自由なスタイル、人間に対する愛に溢れた筆致、イケア効果(自分で作ったものには特別な思い入れが発生するという効果)など、従来の行動経済学で語られた理論の枠内にとどまらない、型破りな展開を見せるその考え方に私は魅せられ、学生や若いマーケターにお薦め書籍を問われたときはその著書である『予想どおりに不合理』を挙げることもしばしばでした。
2019年の秋、ひょんなきっかけからカナダのトロントにあるBEworks(ダンが共同創業者となっているコンサルティング会社)のオフィスを訪ね、話を伺う機会に恵まれました。10年越しで憧れていた知の巨星に会えることに舞い上がった私は、行動経済学の範囲にとどまらず、ここのところ持っていた「オートノミー(自分のことは自己決定できる自由)が人間の幸せの最大の源泉である」という仮説をダンにぶつけるとともに、行動経済学の巨星が持つ幸せ観に迫る、という意気込みで彼を訪ねました。これらが読者の皆様の人間理解の促進、幸せのデザインの一助になれば、とてもうれしく思います。
富永 今日のテーマは「幸福」です。なぜ、そんなことを考えたか、説明させてください。きっかけは、ある調査結果でした。日本国内で約2万人にアンケート調査を行った結果、所得や学歴よりも「自己決定」が幸福感に強い影響を与えているというのです(『幸福感と自己決定―日本における実証研究』(西村和雄、八木匡))。
所得、学歴、自己決定、健康、人間関係の5つについて幸福感と相関するかについて分析したところ、健康、人間関係に次ぐ要因として、自己決定が強い影響を与えることが分かったとのことでした。つまり、幸福度をアップさせるには、「自己コントロール性」が重要だということです。
ダン 私たちはそれを「オートノミー(自主性)」と呼びます。
富永 なるほど。私にとっては、素晴らしい発表でした。同時に、そこからアマゾンと本屋についても連想しました。アマゾンはものを買うには最も便利で役立つチャネルですが、私は本屋に行くのが大好きです。それって変ですよね。どうしてなのか。なぜ、私は本屋へ行くのか。
本屋では、好きな順番で好きなコーナーに行けます。哲学でも、行動経済学でも雑誌でも、どこのコーナーに行くのも私の自由です。さらに読むだけでもいいし、買うも買わないも私の選択です。それと比べると、アマゾンは非常に洗練された買い物方法ですが、アマゾンがつくった手順に従う必要がある。そんなに難しいことじゃありませんが。
そこで気づいたのです。私が本屋へ行くのは、オートノミーによる自由が好きだから、ではないかと。この気づきによって、幸福はオートノミーと大いに関係していると思うようになったんです。あなたは自身の著作で幸福に触れていますし、最も優れた洞察をお持ちかと思います。今日お話を伺うのを待ちきれませんでした。
Preferred Networks執行役員・最高マーケティング責任者
ダン ありがとうございます。今のお話は素晴らしい導入ですね。ただ、アマゾンの話については、問題はオートノミーだけではないと思います。もちろん、オートノミーがものすごく重要だということに疑問の余地はありません。職場におけるオートノミーの重要性については最近手に入れたばかりの新しいデータがあるので、後ほどお話しします。
アマゾンがあるにもかかわらず我々が本屋に通い続ける背景には、私が思うに、いくつか別の要素が隠れていると思います。
1つは、マルチセンサリー・エクスペリエンス(多感覚体験)です。本屋へ行けば、本を見るだけでなく、においをかぐこともできるし重みを感じることもできますね。さらに、買い物とはただ単に目的を果たすだけではない。その過程のどこかに魅力的なものがある。例えば、偶然の出会いに何かがわくわくする。それこそ、本屋にあって、オンラインにはないもの。それが2つ目の要素です。
ジョージ・クルーニーが着たスウェットにいくら払う?
また別の要素もあります。それは私たちが手に入れるものの「象徴的な意味」です。このコップについて想像してみてください。ガラスのコップで、ただそれだけです。しかし私にしてみると、このコップがBEworks(編集部注:ダン氏が共同創業者となっているコンサルティング会社)のものだということを知っているので、感じ方が違ってきます。
BEworksは私の第2の家みたいなもので、そこのグラスだと、いい気分になります。考えてみると、例えば本を買うとき、その本には歴史があるのではないでしょうか。地元の本屋でその店のオーナーが薦めてくれて買った本は、ただ店頭に並んだ本とはどこか違う感じがする。
心理学者のポール・ブルームは、意味がいかに物体にくっつくかについて素晴らしい実験を行っています。ブルームはこう言いました。「俳優のジョージ・クルーニーが一度着たスウェットシャツがあったと想像してみてほしい。あなたなら、いくら払いますか」と。ジョージ・クルーニーが好きな人は、そのシャツにかなり高い値段を払ってもいいと考えます。次にこう言った。「このスウェットシャツを洗ったら、いくら払いますか」。すると値段は下がるけれど、まだ何かが残る。私たちは普段、「象徴的な消費」について考えませんが、象徴的な消費は至るところにあります。
そして、象徴的な消費はものの価値を高める。あなたが好きな人から贈り物をもらい、その人がなぜこれが大事かを説明したカードが入っていたとしたら、どうでしょうか。たとえそれが、歯磨き粉のような平凡なギフトだったとしても、その贈り物の消費は象徴的な消費になります。
まず、歯磨き粉の入った箱が玄関先に届く。あなたはこの歯磨き粉からどれほどの喜びを得られますか。一方、「私はこの歯磨きが大好きで、いつも使っているものです。あなたにも同じものを使ってほしかったので、どうぞ」と書かれたカードを受け取る。この2つは、大きく異なる体験です。常に最も意味のある体験を求めることはできないけれど、時として、私たちは生活の機能的な側面ばかりにこだわり、感情的な意味合いを軽んじてしまうのではないかと思います。
富永 消費の本質に迫る素晴らしい話ですね。
<第2回(2月18日公開予定)に続く>
(写真/アンドリュー・ミラー)