信長に見た夢

 次々に仕える相手を変えていく中で、光秀はなぜ信長に賭けようと思ったのだろうか。

 「時代がどれだけ乱れても、みな平和と安定を求める。光秀はそこに人間の本質、時代の本質があると考えて、信長に平和な世を作る力を感じていたのではないでしょうか。現代でも、私利私欲ではなく社会にどう貢献できるのか明確に示すことができる経営者のもとには優秀な人材が集まりますよね。これと同じことです」

勉強熱心で上司への報告は丁寧

 信長が、いくら出自にかかわらず実力次第で家臣を重用する合理主義者とはいえ、光秀はいわば中途採用のうえ、実務経験も実は無い(それまで部隊を指揮した経験も領地を治めた経験も無かった)。信頼を勝ち得て、「近畿管領」(政治経済の中枢である近畿方面軍の司令官的な存在)と後世の人々が評する地位まで上り詰めることができたのはなぜか。

 「信長にしてみれば、光秀はどんな仕事もいとわずにやってくれるかわいい部下。築城にも詳しく、光秀は大軍を指揮した実績が無いからこそ、勉強熱心になれたのでしょう。信長在世中の織田家家臣団で新しい軍制(軍隊の編成と軍規)に取り組んだ形跡があるのは、史料上では光秀一人。しかも彼の軍隊編成は、当時最先端にあった東国の用兵思想に基づく新式の軍法でした。戦国屈指の兵学者だったと評することもできます」

 信長が何を望んでいるかを読み取るかのように詳細な報告書を提出する気配りのよさもある。その戦況報告を信長は「内容が具体的で目の前で見ているようだ」と激賞している。

努力の人・光秀

 故郷を追われた一僕の牢人としてのどん底生活から、織田信長の下で「近畿管領」とも例えられる大大名にまで出世できたのは、光秀が時流を読み、身を立て直すための努力を怠らなかったからだ。あらゆる上司から学べるものは学び自分の力を信じてチャンスが来るまであきらめない。上昇志向を持ち続け、自分に足りないと思ったものは勉強で補い、これだと思った相手に惜しみなく尽くした。誠意で向き合うべき時は、得意の奇策を捨てて、徹底的な正攻法で自分を売り込み、出世街道を駆け抜けていくことになる。


自分を売り込む天才・明智光秀の出世術(前編)(画像)

『信長を操り、見限った男 光秀』(河出書房新社)
明智(惟任)光秀の生涯を追いながら、本能寺の変の背景と光秀の真意に迫る。「天下取りの野望を持たない信長に転機をつくったのは光秀だった」など、豊富な史料の積み重ねで信長や光秀の旧来の人物像を覆している。


後編へ続く