
台湾「流通の父」 徐重仁の教え
世界屈指の「コンビニ密度」を誇る台湾。その扉を開いたのが徐重仁氏だ。サラリーマンから巨大食品流通企業・統一超商のトップに上り詰め、チェーンストアはおろか「流通」の概念すらなかった台湾に「セブン-イレブン」を上陸させた。その功績から「台湾流通の父」として知られる。実は徐氏の流通ビジネスのルーツは日本にあった。彼は日本で何を学び、何を母国に持ち帰ったのか。今日の「コンビニ大国・台湾」の礎を築いた徐氏の半生を追う。
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第17回2021.03.03「カリスマ経営者」との運命的な出会い サラリーマン社長が誕生徐重仁は留学先で「台湾の人々の暮らしを日本のように豊かにする」という夢を抱き、流通ビジネスを熱心に勉強した。しかし、その夢を実現するには莫大な資金が必要だった。「流通」の概念すらない台湾で、徐が「流通の父」への道を歩み出した背景には、台湾でカリスマ経営者として知られる高清愿(こう・せいげん)との運命的な出会いがあった。(本文敬称略)
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第16回2021.02.24想定外の早稲田大学へ 動き出した「台湾の流通の父」への運命慶応義塾大学への入学試験に3度落ちて後がなくなった徐重仁は、急きょ留学先を早稲田大学に変更する。想定外だった早大への留学を契機に、徐は「流通」と出合い、日本における小売りビジネスの革命者たちの研究にのめり込んだ。その結果、「流通経済を発展させ、台湾の人々を豊かにする」という夢を抱く。(本文敬称略)
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第15回2021.02.17慶応義塾大学の受験に3度失敗 日本留学に赤信号日本への留学を決意した“台湾の流通の父”の徐重仁。新たな国では、その後の人生を決定づける4つの出合いが待っていた。台湾の手本となる繁栄した日本との出合い。最愛の妻との出会い。台湾小売業の発展をけん引する中心的事業となる「セブン―イレブン」との出合い。そして台湾を豊かにする鍵となる流通との出合いだ。(本文敬称略)
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第14回2021.02.10研究者なら米国、商売で身を立てるなら日本 留学決めた父の言葉幼い頃から勉強は苦手だったが、社会のフィールドワークが好きだった少年時代の徐重仁は、父の背中から「事業はもうけるためでなく、人々を幸せにするためにある」ことを学んだ。そして父の助言に従って日本への留学を決意。大学時代に読みあさった経済や経営の翻訳本による独学が、後に流通の学びへとつながっていく。(本文敬称略)
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第13回2021.02.03台湾の流通の父誕生、日本統治から国民党独裁へと激動する渦中に「台湾に流通経済を発展させる」という私の夢の源泉は日本での留学生活にあった――と“台湾の流通の父”の徐重仁は言う。発展途上の台湾から海外へ渡る学生は少なく、留学先は米国が多かった時代、なぜ徐は日本を選んだのか。そこには日本統治下で生まれ育った両親の影響が色濃く反映されていた。(本文敬称略)
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第12回2021.01.14台湾「流通の父」が教える、コロナ後のビジネスに向けた処方箋新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。このビジネス環境の変化に企業はいかに対応すべきか。ヒントは新型コロナ対策に成功した台湾にありそうだ。そこで台湾にセブン―イレブンを上陸させ、「台湾の流通の父」と呼ばれる徐重仁に、2回にわたってコロナ禍への対応と日本の進むべき方向について話を聞いた。(本文敬称略)
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第11回2021.01.07コロナを封じ込めた台湾で、窮地のセブン―イレブンを助けた顧客新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。このビジネス環境の変化に企業はいかに対応すべきか。ヒントは新型コロナ対策に成功した台湾にありそうだ。そこで台湾にセブン―イレブンを上陸させ、「台湾の流通の父」と呼ばれる徐重仁に、2回にわたってコロナ禍への対応と日本の進むべき方向について話を聞いた。(本文敬称略)
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第10回2020.06.24プライベートブランド進出 デザインを日本の学生に依頼した理由独自のマーケティングとブランディングで、台湾初のコンビニ弁当の商品開発を成功させた徐重仁氏が、次に取り組んだのは「プライベートブランド」だった。そこには台湾セブン―イレブンの商品展開で、日本よりもかなり遅れていた、台湾のパッケージデザインのレベルを引き上げるという狙いもあった。
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第9回2020.05.28日本全国の駅弁を食べて来い 台湾初の「コンビニ弁当」誕生秘話「お客のニーズから考える」を柱とした徐重仁の商品開発戦略は、台湾セブン―イレブンが2000店を超えたとき、次の段階に向けて進み始めた。それは消費者の潜在的なニーズの先取り。開発された台湾初の「コンビニ弁当」は、人々の食習慣さえ変えるほどの大ヒット商品となった。(本文敬称略)
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第8回2020.05.14切り札は「おにぎり」と「おでん」 台湾市場切り開く商品開発なぜ、徐重仁は台湾セブン―イレブンを世界屈指のレベルにまで発展させることができたのか。出店戦略、フランチャイズ戦略と並び、コンビニエンスストア事業を成功させるために必要不可欠な商品開発戦略で、徐がどんな取り組みを打ち出してきたのか、検証する。(本文敬称略)
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第7回2020.04.14コンビニ加盟店に応募した社外の人間 適性は家庭訪問でチェック台湾セブン―イレブン第500号店がオープンすると、徐重仁はフランチャイズシステム構築の最終段階に入った。最大の課題は社外の人間が加盟店の経営者にふさわしい人物かどうかを、どう判断するか。徐が採用した台湾独特のテスト法は、日米に類を見ないユニークなものだった。(本文敬称略)
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第6回2020.03.26夫婦経営縛り? フランチャイズ展開の加速で社内結婚が400組台湾セブン―イレブンの第100号店がオープンした頃、直営店だけでの店舗拡大は限界に達した。そこでフランチャイズシステムを導入するに当たり、統一超商の社長に就任した徐重仁が加盟店に課した条件は「夫婦経営」だった。ハードルは高かったが社内結婚も加速した。そのワケは……。(本文敬称略)
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第5回2020.03.12加盟店になるには夫婦が条件 独自のフランチャイズ戦略で急成長コンビニエンスストアのビジネスでは、フランチャイズによる店舗展開が事業拡大のエンジンとなる。徐重仁がコンビニ大国の台湾で“セブン―イレブン王国”を築き上げられた背景には、自身の経営哲学によって実行された、日米に類を見ないユニークな「フランチャイズ戦略」があった。(本文敬称略)
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第4回2020.03.05日本に先駆け「駅ナカ」へ出店 独自のコンビニ戦略を編み出す流通市場が未成熟な台湾でセブン―イレブンを立ち上げるという逆境に苦しみながらも、徐はコンビニ事業をなんとか軌道に乗せた。その後、セブンの店舗数で世界第3位の5000店舗に至るまで出店を加速させた第3のアプローチは、日米に前例のなかった「独自の出店戦略」の実行だった。(本文敬称略)
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第3回2020.02.20コンビニ出店場所で戦略転換 日米流から台湾流にローカライズ赤字続きで資本金約2億元を使い果たしたセブン―イレブン事業立ち上げの敗因の1つは、小売り・流通市場の成熟度の違いを考慮せず、日米から学んだ出店戦略をそのまま実行したから。ラストチャンスで徐重仁が投じた一手は「台湾にローカライズしたオリジナルの出店戦略」だった。(本文敬称略)
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第2回2020.02.13日本から学んだ「コンビニ出店戦略」で起死回生の大逆転台湾の「流通の父」と呼ばれる徐重仁は、なぜ人口1人当たりの店舗数世界1位、総店舗数で同3位となる約5000店舗ものセブン―イレブンを展開できたのか。80年代半ば、徐は日本のセブン―イレブンを徹底的に研究し、そこから学び取った手法を出店戦略の手本とした。(本文敬称略)
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第1回2020.02.06サラリーマン社長を台湾の「流通の父」にした仕事の神髄「流通」の概念すらなかった台湾にセブン―イレブンを上陸させ約5000店を展開。その後もヤマト運輸や無印良品と提携するなど40社余りを立ち上げ「台湾の流通の父」と呼ばれる徐重仁がビジネスの夢をかなえる教えを説く大型連載。まずは揺れ動く日本のコンビニの課題と再生を語る。(本文敬称略)