
台湾「流通の父」 徐重仁の教え
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- 第39回
- 2021.10.27
コロナ禍を越えて流通業の再生は経営者の「学び」から始まる 「台湾の流通の父」と呼ばれ、今なお台湾の経済界から敬愛される徐重仁。長期連載の締めくくりとして、ウィズコロナ時代の事業の再生と成長に向けて経営者が成すべきことや、日本と台湾の間でビジネスを活性化させる秘訣などについて語ってもらった。(本文敬称略) -
- 第38回
- 2021.10.06
もうやりきった…「台湾の流通の父」が実業界引退の理由を吐露 成長に陰りが見えた台湾のスーパーマーケット「全聯(れん)福利中心」(以下、全聯)の総裁となった徐重仁は数々の大胆な改革を実行し、「スーパーの第2の流通革命」を成し遂げた。全聯のビジネスモデルを流通の最先端に進化させた直後、徐は辞職を発表。業界は騒然となった。突然の辞職から現在に至るまでの徐の道程を振り返る。(本文敬称略) -
- 第37回
- 2021.09.29
60半ばで「人生最初の夢」に挑む スーパーで「第2の流通革命」 約5000店のセブン―イレブンをオープンさせ、「台湾の流通経済を発展させる」という一生の目的を達成した徐重仁。しかし、彼が29歳で日本留学を終えたときに抱いた夢は「台湾で流通業の最先端のスーパーを展開すること」だった。統一超商を辞めた60代半ばで人生最初の夢への挑戦が始まった。 -
- 第36回
- 2021.09.22
定年延長から一転、「サラリーマン社長」に訪れた突然の幕引き 徐重仁は1986年に統一超商の社長に任命され、台湾でセブン―イレブン事業を展開、2001年から流通サブグループのトップとして数十の会社を誕生させ統率した。定年は60歳だったが、創業者の命令で特別に延長。だが4年後、役員会議で突如辞任が決定する波乱の幕引きとなった。 -
- 第35回
- 2021.09.01
広報の38歳女性を台湾無印良品社長に大抜てき 独自の育成術とは 徐重仁が「台湾の流通の父」と呼ばれる理由の1つは、流通サブグループで多数の子会社を設立し、社長や副社長を任命し、経営者に育て上げたからだ。彼らは後に台湾の流通経済の成長をけん引する人材となる。徐は次世代リーダーをいかにして見いだし育てたのか。その社員育成法に迫る。 -
- 第34回
- 2021.08.25
日本企業が台湾進出で失敗する2大理由 完璧主義と決断力のなさ 台湾に30社以上の流通関連会社を設立し、「台湾の流通の父」と呼ばれる徐重仁。子会社には日本企業との提携による合弁会社が多い。日本企業が台湾進出で苦労し、撤退を余儀なくされる事例も少なくない中、なぜ徐は成功率を高められたのか。日本と台湾の企業提携を成功させる秘訣に迫る。(本文敬称略) -
- 第33回
- 2021.08.18
スターバックスも活用 台湾初の複合商業施設はこうして生まれた 統一超商を中心とする流通サブグループのトップとなった徐重仁は、子会社を増やし、結束力を固め、理想のグループ経営戦略を実行した。小規模でも数の力で勝負する「アリの兵隊」戦術とは異なる発想の複合商業施設で、流通ビジネスの可能性を広げた。その経営手法に迫る。(本文敬称略) -
- 第32回
- 2021.07.28
赤字の製薬会社よみがえらせた大ヒット商品 不振会社を次々再生 統一超商を中心とする流通サブグループを編成したことで、徐重仁は「原点回帰」「資産共有」の強みを生かしたグループ経営に乗り出した。統一企業から押し付けられた業績の悪化した企業を再生させ、新事業を開拓し続けた結果、徐の流通サブグループは台湾で最大級規模の流通コングロマリットに成長した。 -
- 第31回
- 2021.07.21
中小企業の精神と機動性を取り戻せ グループ経営戦略で原点回帰 徐重仁は統一企業から経営に必要な機能を果たす財務、システム開発などの部署を次々と切り出し、BtoBの子会社として独立させた。それは「大企業病」を防ぎつつ、大企業が誇る資金力と経営ノウハウ、中小企業が持つチャレンジ精神と機動力を兼ね備えるための「グループ経営戦略」実現に向けた布石だった。 -
- 第30回
- 2021.07.14
「マツキヨ」に学び、独自展開で成功 実は隙間だらけの流通市場 「台湾の流通経済を発展させて、人々の暮らしを便利で豊かにする」という夢を実現するため、徐重仁はセブン―イレブン事業を急成長させる傍ら、事業の多角化にも取り組み始めた。当時、小売り業態は「スーパーや百貨店で決まりだ」と思われていたが、そんな声にひるむことなく、次々と新たな流通事業を生み出していった。(本文敬称略) -
- 第29回
- 2021.07.06
いずれコンビニ市場は飽和する 事業多角化に向け「アリ」増やす 統一超商の社長として30社以上、海外も合わせれば50社近くの流通関連企業を誕生させることで、台湾の流通経済の発展に寄与した徐重仁。彼はどのようにしてセブン―イレブン事業の急成長と同時に多角化の取り組みをスタートさせたのか。その経営手法に迫る。(本文敬称略) -
- 第28回
- 2021.06.24
「宅急便」とネット書店を開始 総合ネット小売業の道を切り開く 3つの物流会社と5タイプの物流センターで流通業界に物流革命を起こし、台湾全土に近代的な物流システムを行き渡らせた徐重仁は、さらに2つの先駆的な事業を推進した。台湾初となる民間宅配事業「宅急便」の導入と、オンライン書店の支援から始まるネットショッピングの展開だ。 -
- 第27回
- 2021.06.16
低温商品に出版物の配送 台湾セブンの物流システム、完成の域へ 流通業界の常温物流に革命を起こした徐重仁は、台湾の流通ビジネスのさらなる進化を目指して、低温物流、出版物流の近代化に取り組んだ。その結果、新たな物流会社はセブン―イレブンの成長を後押ししながら、プロフィットセンターとして台湾の運輸業でのトップの業績をたたき出した。 -
- 第26回
- 2021.06.02
離島でも値段は同じ 「犠牲的な損失」は会社全体の利益でカバー 徐重仁が流通業界に起こした物流革命には、台湾で急成長するセブン―イレブン事業に必要不可欠な物流システムの近代化以外にも大きな目的があった。その取り組みは「利益度外視」という一見、事業の成長と矛盾するものに思えた。しかし、後にかけたコスト以上の成果をセブン―イレブン事業にもたらした。 -
- 第25回
- 2021.05.26
最先端の物流を実現する4つのポイント 台湾セブンの物流改革 流通経済発展の土台となる物流インフラを整備するため、徐重仁は3つの戦略を立てた。1つ目は物流ビジネスで自立・成長できる新会社の設立。2つ目は日本企業の資本参加で基礎技術と運営ノウハウを確保。3つ目は日本の技術に自前で開発した技術を加えて最先端の物流センターにすることだった。(本文敬称略) -
- 第24回
- 2021.05.19
セブン―イレブンの配送改革 台湾の物流を近代化する3つの戦略 日本のように台湾でも流通経済を発展させたいと考えていた徐重仁。そこでけん引役となるセブン―イレブン事業の成長を加速させるべく、台湾初の近代的な物流センターの建設や物流システムの構築に乗り出すことに。徐は最新技術の導入で、未整備だった流通分野における台湾の物流に“革命”を起こした。(本文敬称略) -
- 第23回
- 2021.05.12
セブン―イレブンで新幹線チケット購入 一歩先行く台湾コンビニ 徐重仁が日本のセブン―イレブンに先んじて事業化したのは「コンビニコーヒー」だけではない。「イートイン」の展開も日本より早く、「新幹線乗車券の販売サービス」はまだ日本のコンビニでは実現していない。なぜこれらのサービス開発で日本を追い越せたのか。経営者としての徐の手腕と発想の原点に迫る。(本文敬称略) -
- 第22回
- 2021.04.28
コンビニコーヒーでリベンジ成功 日本に先行した台湾セブン 徐重仁のコンビニエンスストア事業における実績は、日本の後追いによるものばかりではなかった。日本よりも事業を軌道に乗せるのが早かったコンビニコーヒーやイートイン、現在も日本では実現していない新幹線のチケット販売などがそうだ。日本に先んじた商品展開やサービスはいかにして実現されたのか。(本文敬称略) -
- 第21回
- 2021.04.21
台湾初のコンビニATM 日本のセブン―イレブンと異なる道を選ぶ 「お客様に便利なサービスの提供」を追求する徐重仁は、小売りビジネスだけでなく、人々の「お金」に関する不便の解消もセブン―イレブンの使命だと考えた。公共料金の収納代行サービスから始めて、銀行のATM、クレジット機能付きカードと、台湾のマネーサービスの環境整備をリードした。(本文敬称略) -
- 第20回
- 2021.04.07
セブン―イレブン台湾のPOS開発秘話 「失敗したらクビでいい」 周囲の反対を押し切って、徐重仁が8億台湾ドルの投資で構築したPOS(販売時点情報管理)システムは、出店戦略やマーケティングなどで目覚ましい成果を上げ、事業を大いに発展させた。徐が次に取り組んだのは、約40億台湾ドルを投資して、セブン―イレブン・ジャパンと同様に野村総合研究所(NRI)とNECという最強の布陣で、第2世代のPOSを開発することだった。 -
- 第19回
- 2021.03.31
念願のPOS実現を支えたセブン―イレブン・ジャパン副社長との絆 徐重仁は一刻も早いPOS(販売時点情報管理)の実現を目指したが、難易度の高いシステムを開発できるのは、日本のセブン―イレブンのPOSシステム構築に携わった野村総合研究所(NRI)しかなかった。NRIから「セブン―イレブン・ジャパンの承認が必要」と言われた徐は、同社の鎌田誠晧(まさあき)副社長に会うため日本へ飛んだ。(本文敬称略) -
- 第18回
- 2021.03.24
POSとEOSを導入 台湾小売業のIT化に先べんをつける 統一超商の社長となった徐重仁は、台湾の小売業の近代化に先べんをつけるため、日本のセブン―イレブンが採用していた総合店舗情報システムと同等のシステムの導入に挑んだ。流通経済が未成熟な台湾でその挑戦を成功させるためには、立ちはだかるいくつもの壁を打ち破らなければならなかった。(本文敬称略) -
- 第17回
- 2021.03.03
「カリスマ経営者」との運命的な出会い サラリーマン社長が誕生 徐重仁は留学先で「台湾の人々の暮らしを日本のように豊かにする」という夢を抱き、流通ビジネスを熱心に勉強した。しかし、その夢を実現するには莫大な資金が必要だった。「流通」の概念すらない台湾で、徐が「流通の父」への道を歩み出した背景には、台湾でカリスマ経営者として知られる高清愿(こう・せいげん)との運命的な出会いがあった。(本文敬称略) -
- 第16回
- 2021.02.24
想定外の早稲田大学へ 動き出した「台湾の流通の父」への運命 慶応義塾大学への入学試験に3度落ちて後がなくなった徐重仁は、急きょ留学先を早稲田大学に変更する。想定外だった早大への留学を契機に、徐は「流通」と出合い、日本における小売りビジネスの革命者たちの研究にのめり込んだ。その結果、「流通経済を発展させ、台湾の人々を豊かにする」という夢を抱く。(本文敬称略) -
- 第15回
- 2021.02.17
慶応義塾大学の受験に3度失敗 日本留学に赤信号 日本への留学を決意した“台湾の流通の父”の徐重仁。新たな国では、その後の人生を決定づける4つの出合いが待っていた。台湾の手本となる繁栄した日本との出合い。最愛の妻との出会い。台湾小売業の発展をけん引する中心的事業となる「セブン―イレブン」との出合い。そして台湾を豊かにする鍵となる流通との出合いだ。(本文敬称略) -
- 第14回
- 2021.02.10
研究者なら米国、商売で身を立てるなら日本 留学決めた父の言葉 幼い頃から勉強は苦手だったが、社会のフィールドワークが好きだった少年時代の徐重仁は、父の背中から「事業はもうけるためでなく、人々を幸せにするためにある」ことを学んだ。そして父の助言に従って日本への留学を決意。大学時代に読みあさった経済や経営の翻訳本による独学が、後に流通の学びへとつながっていく。(本文敬称略) -
- 第13回
- 2021.02.03
台湾の流通の父誕生、日本統治から国民党独裁へと激動する渦中に 「台湾に流通経済を発展させる」という私の夢の源泉は日本での留学生活にあった――と“台湾の流通の父”の徐重仁は言う。発展途上の台湾から海外へ渡る学生は少なく、留学先は米国が多かった時代、なぜ徐は日本を選んだのか。そこには日本統治下で生まれ育った両親の影響が色濃く反映されていた。(本文敬称略) -
- 第12回
- 2021.01.14
台湾「流通の父」が教える、コロナ後のビジネスに向けた処方箋 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。このビジネス環境の変化に企業はいかに対応すべきか。ヒントは新型コロナ対策に成功した台湾にありそうだ。そこで台湾にセブン―イレブンを上陸させ、「台湾の流通の父」と呼ばれる徐重仁に、2回にわたってコロナ禍への対応と日本の進むべき方向について話を聞いた。(本文敬称略) -
- 第11回
- 2021.01.07
コロナを封じ込めた台湾で、窮地のセブン―イレブンを助けた顧客 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。このビジネス環境の変化に企業はいかに対応すべきか。ヒントは新型コロナ対策に成功した台湾にありそうだ。そこで台湾にセブン―イレブンを上陸させ、「台湾の流通の父」と呼ばれる徐重仁に、2回にわたってコロナ禍への対応と日本の進むべき方向について話を聞いた。(本文敬称略) -
- 第10回
- 2020.06.24
プライベートブランド進出 デザインを日本の学生に依頼した理由 独自のマーケティングとブランディングで、台湾初のコンビニ弁当の商品開発を成功させた徐重仁氏が、次に取り組んだのは「プライベートブランド」だった。そこには台湾セブン―イレブンの商品展開で、日本よりもかなり遅れていた、台湾のパッケージデザインのレベルを引き上げるという狙いもあった。 -
- 第9回
- 2020.05.28
日本全国の駅弁を食べて来い 台湾初の「コンビニ弁当」誕生秘話 「お客のニーズから考える」を柱とした徐重仁の商品開発戦略は、台湾セブン―イレブンが2000店を超えたとき、次の段階に向けて進み始めた。それは消費者の潜在的なニーズの先取り。開発された台湾初の「コンビニ弁当」は、人々の食習慣さえ変えるほどの大ヒット商品となった。(本文敬称略) -
- 第8回
- 2020.05.14
切り札は「おにぎり」と「おでん」 台湾市場切り開く商品開発 なぜ、徐重仁は台湾セブン―イレブンを世界屈指のレベルにまで発展させることができたのか。出店戦略、フランチャイズ戦略と並び、コンビニエンスストア事業を成功させるために必要不可欠な商品開発戦略で、徐がどんな取り組みを打ち出してきたのか、検証する。(本文敬称略) -
- 第7回
- 2020.04.14
コンビニ加盟店に応募した社外の人間 適性は家庭訪問でチェック 台湾セブン―イレブン第500号店がオープンすると、徐重仁はフランチャイズシステム構築の最終段階に入った。最大の課題は社外の人間が加盟店の経営者にふさわしい人物かどうかを、どう判断するか。徐が採用した台湾独特のテスト法は、日米に類を見ないユニークなものだった。(本文敬称略) -
- 第6回
- 2020.03.26
夫婦経営縛り? フランチャイズ展開の加速で社内結婚が400組 台湾セブン―イレブンの第100号店がオープンした頃、直営店だけでの店舗拡大は限界に達した。そこでフランチャイズシステムを導入するに当たり、統一超商の社長に就任した徐重仁が加盟店に課した条件は「夫婦経営」だった。ハードルは高かったが社内結婚も加速した。そのワケは……。(本文敬称略) -
- 第5回
- 2020.03.12
加盟店になるには夫婦が条件 独自のフランチャイズ戦略で急成長 コンビニエンスストアのビジネスでは、フランチャイズによる店舗展開が事業拡大のエンジンとなる。徐重仁がコンビニ大国の台湾で“セブン―イレブン王国”を築き上げられた背景には、自身の経営哲学によって実行された、日米に類を見ないユニークな「フランチャイズ戦略」があった。(本文敬称略) -
- 第4回
- 2020.03.05
日本に先駆け「駅ナカ」へ出店 独自のコンビニ戦略を編み出す 流通市場が未成熟な台湾でセブン―イレブンを立ち上げるという逆境に苦しみながらも、徐はコンビニ事業をなんとか軌道に乗せた。その後、セブンの店舗数で世界第3位の5000店舗に至るまで出店を加速させた第3のアプローチは、日米に前例のなかった「独自の出店戦略」の実行だった。(本文敬称略) -
- 第3回
- 2020.02.20
コンビニ出店場所で戦略転換 日米流から台湾流にローカライズ 赤字続きで資本金約2億元を使い果たしたセブン―イレブン事業立ち上げの敗因の1つは、小売り・流通市場の成熟度の違いを考慮せず、日米から学んだ出店戦略をそのまま実行したから。ラストチャンスで徐重仁が投じた一手は「台湾にローカライズしたオリジナルの出店戦略」だった。(本文敬称略) -
- 第2回
- 2020.02.13
日本から学んだ「コンビニ出店戦略」で起死回生の大逆転 台湾の「流通の父」と呼ばれる徐重仁は、なぜ人口1人当たりの店舗数世界1位、総店舗数で同3位となる約5000店舗ものセブン―イレブンを展開できたのか。80年代半ば、徐は日本のセブン―イレブンを徹底的に研究し、そこから学び取った手法を出店戦略の手本とした。(本文敬称略) -
- 第1回
- 2020.02.06
サラリーマン社長を台湾の「流通の父」にした仕事の神髄 「流通」の概念すらなかった台湾にセブン―イレブンを上陸させ約5000店を展開。その後もヤマト運輸や無印良品と提携するなど40社余りを立ち上げ「台湾の流通の父」と呼ばれる徐重仁がビジネスの夢をかなえる教えを説く大型連載。まずは揺れ動く日本のコンビニの課題と再生を語る。(本文敬称略)