徐重仁は1986年に統一超商の社長に任命され、台湾でセブン―イレブン事業を展開、2001年から流通サブグループのトップとして数十の会社を誕生させ統率した。そんな徐の“サラリーマン社長”の人生は「60歳定年」で終わるはずだったが、創業者の命令で特別に延長された。だが4年後、役員会議で突如辞任が決定する波乱の幕引きとなった。(本文敬称略)
親会社の会長が下した特別命令
徐は38歳のとき、台湾最大の食品加工メーカー・統一企業の子会社として設立された統一超商の初代社長(総経理)となった。1980年代半ばの当時、創業一族ではない一社員が社長になるのは、台湾では珍しい出来事だった。
「サラリーマン社長」の徐は、最新の小売り業態であるセブン―イレブンを台湾に導入した。さらに近代的な流通サービス事業を次々と日米から導入して、台湾の流通経済の成長をけん引した。その功績がたたえられ、徐は「台湾の流通の父」と呼ばれるようになった。
徐の流通業界への貢献は統一超商の事業活動にとどまらない。流通サブグループによる事業の多角化とグループ経営戦略をスタートさせた01年、徐は80年代に誕生した「TCFA(Taiwanese Chain Stores and Franchise Association:台湾チェーンストア協会)」の理事長に就任し、04年まで務めた。
徐の八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍は08年1月に一旦幕を降ろすはずだった。当時の台湾では創業(オーナー)一族を除き、民間企業の社員は役員も含めて「60歳で定年」と決まっていたからだ。
定年を迎える前年の07年6月、徐は親会社である統一企業の実質上の創業者で、自分を統一超商の社長に抜てきしてくれた高清愿会長(董事長)に「私は間もなく統一超商を辞めます」と報告し、これまでの厚意に対する謝意を伝えた。高が「なぜ辞めるのか」と尋ねたので、徐は「もうすぐ60歳で定年を迎えますから」と答えた。
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