3つの物流会社と5タイプの物流センターで流通業界に物流革命を起こし、台湾全土に近代的な物流システムを行き渡らせた徐重仁は、さらに2つの先駆的な事業を推進した。台湾初となる民間宅配事業「宅急便」の導入と、オンライン書店の支援から始まるネットショッピングの展開だ。(本文敬称略)
宅急便で台湾の小口物流を進化させる
「当時の台湾では、小さな荷物は郵便局の小包でしか送れず、高くて不便でした。なので、日本でよく利用されていた『宅急便』を台湾に導入したら、きっと喜ばれると思いました」
そう徐が語るように、1970年代半ばに誕生した日本の「宅配」というビジネスモデルは、90年代後半も急成長を続けていた。
徐がまだ早稲田大学の大学院で学んでいた76年1月、大和運輸が小口貨物の特急宅配システム「宅急便」をスタートした。81年12月には月間取り扱い1000万個を達成し、翌82年10月、商号を「ヤマト運輸」に改称。93年12月、宅急便の月間取扱個数は1億個に達し、97年11月には小笠原諸島の父島、母島でも宅急便の取り扱いを開始し、全国ネットワークを完成させた。その年、日本に渡って宅急便事業を視察した徐は「この事業は必ず成功する」と確信した。
台湾セブン―イレブンが第2000号店を出した4カ月後の99年9月、統一集団(統一企業をトップとして、統一超商などの関連会社で組織されたグループ)は日本の宅配便業界トップのヤマト運輸と技術提携契約を締結し、2000年1月、宅配サービス会社「統一速達」を設立。同年10月6日に正式に営業を開始した。
営業初日の荷物は、わずか54個だった。
当初、宅急便のサービスは桃園以北に限られていたとはいえ、先行き不安な船出となった。宅急便の事業1年目の平均利用件数も、日本の人口1人当たり6件に比べて、台湾は0.6件と全く振るわなかった。
「最初、消費者は宅配便の使い方がよく分からなかった。台湾でセブン―イレブンを初めてオープンしたときと同じです」と徐は分析するが、あまりに悲惨な結果を見て、事業の先行きに不安を感じなかったのか。
「日本で宅急便がよく使われていたのは、消費者にとって非常に便利だから。台湾でも、すぐそういう時代になると思っていました」
徐の先を読む目は確かだ。01年2月、宅急便のサービスエリアを本島全域まで拡大すると、同年7月には離島へも進出。04年7月に従業員は2000人を突破し、翌05年12月、宅急便の年間取扱量は5000万個を超えた。06年の売上高は26億台湾ドル(約102億6000万円)、取扱所1万6000件の事業にまで成長した。
こうして宅急便が広がることで、郵便以外のCtoCの物流網が整備され、また1つ台湾の人々の暮らしが便利になった。この「民間の小口物流」を世間に広げるのと並行して、もう1つ徐は台湾の新たな物流網の成長に寄与した。
ネットショッピングの物流システムの整備だ。
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