徐重仁が流通業界に起こした物流革命には、台湾で急成長するセブン―イレブン事業に必要不可欠な物流システムの近代化以外にも大きな目的があった。その取り組みは「利益度外視」という一見、事業の成長と矛盾するものに思えた。しかし、後にかけたコスト以上の成果をセブン―イレブン事業にもたらした。(本文敬称略)
徐は常温物流会社「捷盟行銷(しょうめいぎょうしょう)」を1990年9月に設立。台湾北部の中壢(れき)と南部の永康の2つの物流センターを、最先端技術の導入によって近代的な物流センターへと生まれ変わらせた。これにより統一超商は物流システムを近代化させるノウハウを手に入れた。台湾の人々の暮らしを便利で豊かなものにしたい――そう考えていた徐が次に目指したのは、この物流システムを台湾全土に広げることだった。
まずは94年3月、彰化、台中地域を配送範囲とする台中物流センター(約8900平方メートル)を設立。同年6月には、台北県・台北市、桃園・新竹・苗栗地域に配送する台北物流センター(約1万1200平方メートル)、その敷地内に96年、原田物流センター(約3300平方メートル)を増設した。
95年7月にはセブン―イレブンの第1000号店「千成店」がオープン。翌96年8月には、台湾東部の宜蘭地区でも店舗展開を開始した。
そして97年11月、台湾東部、台東地域で初のコンビニエンスストアとなる「鑫(きん)花蓮店」を花蓮地区にオープン。これにより、セブン―イレブンは台湾本島のすべての県市に出店を果たした小売りチェーン店となった。
「台湾全土の物流をカバーした民間企業は、他の業種も含めて、セブン―イレブンが初めてでした」と徐は胸を張る。
「台湾で経済発展していたのは台北と台中。台湾の真ん中には中央山脈があり、宜蘭はこの山脈を挟んで台北や台南の反対側に位置します。今はトンネルが開通していますが、当時はまだなかったので交通も不便でした。その南に位置する花蓮は高速道路もなく、一般道路と鉄道があるだけですから、さらに物流には不便な場所でした」
花蓮地区の店舗に商品を運ぶため、花蓮には暫定的な配送センター(約1200平方メートル)が設立された。
「北部の物流センターから直接運搬することは距離的に難しかったので、現地の卸業者に委託する形で花蓮倉庫をつくりました」
そこまでして、なぜ徐は台湾全土への出店にこだわったのか。他社のコンビニより先に出店し、そのエリアの占有率を上げるためのドミナント戦略に通じる発想からかと問うと、徐は首を横に振った。
「占有率は考えていませんでした。地方で人口がそんなに多くなくても、そこに住んでいる人たちの暮らしを便利にするためにセブン―イレブンを出店したかった」
その後、98年1月に台北、宜蘭に配送する伸鴻物流センター(約5000平方メートル)、99年6月に高雄、屏東地域に配送する高雄仁武物流センター(約9300平方メートル)、2001年5月、台北県・台北市に配送する三峡物流センター(約7600平方メートル)、同年9月には、台東地域に配送する花蓮物流センター(約3300平方メートル)を設立した。
この「損得よりも人々の暮らしが豊かになることを優先する」という徐の経営理念は徹底していた。それを象徴するのが「離島への出店」だった。
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