日本への留学を決意した“台湾の流通の父”の徐重仁。新たな国では、その後の人生を決定づける4つの出合いが待っていた。台湾の手本となる繁栄した日本との出合い。最愛の妻との出会い。台湾小売業の発展をけん引する中心的事業となる「セブン―イレブン」との出合い。そして台湾を豊かにする鍵となる流通との出合いだ。(本文敬称略)
留学許可証では留学できない?
1973年3月、26歳になった徐重仁は日本に留学するため飛行機で韓国に入った。台湾と国交の絶えた日本へ入国するには、ソウルの日本大使館で入国ビザを申請しなければならなかった。3日間の滞在でビザを得た徐は、再び機上の人となり、夜、羽田の東京国際空港に着いた。モノレールと国鉄を乗り継いで、母・煌鐘(こうしょう)の知人の子息が妻子と住む杉並区荻窪を訪ね、同じアパートの中で空いていた一室を借りた。
住居はスムーズに決まったが、肝心の留学が難航した。
徐は留学先を慶応義塾大学と決めていた。YMCAで一緒に勉強した友人から「村田昭治教授がいるから」と誘われたからだ。32年に台湾の台北で生まれた村田は55年に慶応大学の経済学部を卒業し、71年に商学部の教授になった。慶応大学に留学すれば「マーケティング論の第一人者」として有名な村田教授に学べるはずだった。だが、あては完全に外れた。
「台湾で国民政府に申請した留学許可証をもらえたから、てっきり慶応大学に留学できるものと思っていました。でも実際は『現地で大学の試験に受かったら留学を許可する』という証明書でした」
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