幼い頃から勉強は苦手だったが、社会のフィールドワークが好きだった少年時代の徐重仁は、父の背中から「事業はもうけるためでなく、人々を幸せにするためにある」ことを学んだ。そして父の助言に従って日本への留学を決意。大学時代に読みあさった経済や経営の翻訳本による独学が、後に流通の学びへとつながっていく。(本文敬称略)

小学2年生の徐重仁。外で遊ぶより、家で絵を描くほうが好きなおとなしい少年だった
小学2年生の徐重仁。外で遊ぶより、家で絵を描くほうが好きなおとなしい少年だった
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父の背中に“思いやりの精神”を学ぶ

 「幼い頃から内気で正直な子どもでした」と徐重仁は振り返る。勉強は苦手で、人の何倍も時間をかけて、他人との差を埋めた。

 父の徐水林は学校の成績に頓着しなかったが、社会を学ばせることには積極的だった。台南で珍しい西洋式のレストランがオープンすると、子どもたちと一緒に食べに行く。ホテル、ボウリング場、ダンスホールなど、新しい店や施設ができるとすぐ、子どもたちを連れて見学した。

 「父自身も興味を持っていましたが、『新しいことは子どもにも体験させたい』という人でした」と徐は回想する。

 野球の試合にもよく連れていってもらった。家族旅行では、運転手付きのハイヤーで台南から台北に出かけたり温泉地にも出かけたりした。子どもたちが通う家から徒歩3分の小学校の校長や教頭、先生たちは、学校に参考書などを納めていた関係で水林のことをよく知っていた。

 「突然、授業中に父が来て、『これから家族で旅行へ行くから、重仁は学校を早退させます』と言って連れ出されたこともあります。非常に自由でオープンな性格でした」

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