「お客のニーズから考える」を柱とした徐重仁の商品開発戦略は、台湾セブン―イレブンが2000店を超えたとき、次の段階に向けて進み始めた。それは消費者の潜在的なニーズの先取り。開発された台湾初の「コンビニ弁当」は、人々の食習慣さえ変えるほどの大ヒット商品となった。(本文敬称略)

日本の「駅弁」は、徐重仁の手によって間接的に台湾のコンビニエンスストア界に大きな衝撃を与えることになる ※写真はイメージ(写真提供:Suchart Boonyavech/Shutterstock.com)
日本の「駅弁」は、徐重仁の手によって間接的に台湾のコンビニエンスストア界に大きな衝撃を与えることになる ※写真はイメージ(写真提供:Suchart Boonyavech/Shutterstock.com)
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日本のコンビニは売り上げの3割がファストフード

 第1号店オープンから20年たった2000年、台湾セブン―イレブンの商品開発は新たな局面を迎えていた。出店数が2000店を超えた統一超商のコンビニ事業がさらに3000店、4000店と成長するためには、全店舗の売り上げをアップさせる起爆剤となる新商品の開発が不可欠だった。

 先行する日本のセブン―イレブンの調査・研究を続けてきた徐重仁は、台湾セブン―イレブンを次のステージへと導く鍵が、「ファストフードの充実」にあるとにらんでいた。

 「当時の日本のコンビニ業界は、台湾より10年ほど先行していました。2000年度で比較した場合、日本のセブン―イレブンではファストフードの売り上げが全体の3割以上を占めていました。それに対して台湾セブン―イレブンでは、全体の1割ほどでした」

 台湾のコンビニでもファストフードの潜在的なニーズがあると見ていた徐は、それまでも人々の消費水準の向上に合わせながら、ホットドッグや肉まん、おにぎり、おでんなど、段階的な商品開発を続けてきた(関連記事「切り札は『おにぎり』と『おでん』 台湾市場切り開く商品開発」)。しかしコンビニのファストフードの魅力を消費者に浸透させるためには、どうしても「弁当」が必須だと徐は考えた。

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