台湾の「流通の父」と呼ばれる徐重仁は、なぜ人口1人当たりの店舗数世界1位、総店舗数で同3位となる約5000店舗ものセブン―イレブンを展開できたのか。80年代半ば、徐は日本のセブン―イレブンを徹底的に研究し、そこから学び取った手法を出店戦略の手本とした。(本文敬称略)

台湾セブン―イレブンの前身である「統一超級商店」の前で当時のスタッフたちと。左から2番目が徐重仁
台湾セブン―イレブンの前身である「統一超級商店」の前で当時のスタッフたちと。左から2番目が徐重仁
台湾「流通の父」 徐重仁の教え

4つの事業戦略と3つのアプローチ方法

 徐が確立した台湾セブン―イレブンの事業戦略には大きく4つの柱がある。(1)世界屈指の店舗数を実現した「出店戦略」、(2)量より質を重視した「フランチャイズ戦略」、(3)台湾の流通インフラを構築した「物流戦略」、(4)顧客ニーズ重視の「商品・サービス戦略」である。ここではまず出店戦略について検証するが、その他の戦略を含め、徐にはすべてにおいて共通するアプローチ方法がある。

 これまでセブン―イレブンにしても多角経営における新会社設立にしても、徐は新たなビジネスを推進するとき、常に3つのアプローチを駆使してきた。1つは日本の成功事例を真摯に学び、取り入れる。もう1つは台湾の実情に合わせてローカライズする。そして市場ニーズに合わせ、独自の手法を創出する。これら3つのアプローチによって、徐はコンビニ事業で大きな成果を上げたのである。

 まずは徐の出店戦略について探っていこう。

統一企業に入社、コンビニ事業を立ち上げる

 「『台湾の小売り・流通業を発展させたい』という私の夢は、日本に住んでいた頃に生まれました。早稲田大学の院生時代、繁盛するスーパーやにぎわう百貨店を数多く見ました。さらにセブン―イレブンのようなコンビニエンスストアまで現れるなど、日本では新しい小売り・流通のビジネスやマーケットがどんどん生まれていました。それらの目覚ましい発展を眺めながら、『いつか必ず台湾にもこんな日が来る』と思っていました」

 日本の小売り・流通の発展に刺激を受け、人々の暮らしの豊かさに圧倒され、憧れた徐は、夢をかなえる準備として、日本のセブン―イレブンを独学で研究し始めた。2年間の早稲田大学の留学を終え台湾に戻った徐は、知人から大手食品メーカー「統一企業」の高清愿(こう・せいげん)社長を紹介された。

 徐は日本で出合った「セブン―イレブン」という最新チェーン店の可能性について高社長に熱く語った。当時、事業の多角化を積極的に進めていた高社長は、徐の真面目な性格を評価するとともに、徐が熱弁するチェーン店のビジネスに強い関心を覚え、その場で彼の採用を決めた。

 1977年10月、29歳の徐は統一企業に就職。入社早々、同社が新たに始めるチェーン店事業の立ち上げを任された。徐が半年で事業計画書を書き上げると、78年4月、コンビニ事業を担う子会社「統一超商」が設立された。徐は同社に異動し、1年の準備期間を経て、79年5月、コンビニエンスストア「統一超級商店」を14店舗、同時にオープンさせた。この出店計画の段階で、徐は当時の台湾で市場が最も成熟していた台北に集中的に出店する戦略を提案した。

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