2019年11月1日、東京・渋谷駅の真上に高さ約230メートルの渋谷スクランブルスクエア東棟が開業。「100年に1度」とされる渋谷の再開発がいよいよ花開いた。しかし、これで一段落というわけではない。プロジェクトを主導する東急のキーマンが口を開いた。「まだ踊り場に過ぎない」と。
1日の乗降客数約330万人。東京を、いや日本を代表するターミナル駅である渋谷が目に見えて変わった。東急、JR東日本、東京地下鉄の鉄道3社が手を組み、着工から5年、ついに新たなランドマークが産声を上げたのだ。
渋谷最高峰となる高さ約230メートルの超高層ビルの名は「渋谷スクランブルスクエア東棟」。19年11月1日に開業後、人の流れは大きく変わった。
「多い日で約9万人があの館を訪れる。想定通りどころか、想定を超えるお客さまに連日来ていただいている」と手応えを語るのは、東急執行役員渋谷開発事業部長の東浦亮典氏。南町田グランベリーモール(現・南町田グランベリーパーク)をはじめ、入社以来、ほぼ一貫して東急線沿線の都市開発に携わってきた。19年4月から渋谷再開発の陣頭指揮を取る。
分断された街がつながり、広がる
渋谷はその名の通り、谷底に街が築かれてきた。鉄道各社が複雑に乗り入れ、JR線や国道246号線により街が分断されている。駅から見て東西南北の4象限に分けると、より街の実像が見てくる。
「昔は4象限の一角だけ。スクランブル交差点のあるハチ公前広場のあたりだけがにぎやかだった」と東浦氏は振り返る。SHIBUYA109があり、渋谷センター街が広がる。渋谷が「若者の街」と呼ばれるのも、このエリアしか見ていないからだ。
「しかし今は、(渋谷駅から徒歩15分圏の)オクシブ(奥渋谷)やウラシブ(裏渋谷)まで人が集まる。ニューヨークやロンドンが、ディストリクト(地区)ごとに性格が異なるのと同じ。『若者の街・渋谷』というステレオタイプな表現では言い表せなくなってきている」(東浦氏)。
訪れる客層は確実に変わった。「若かりし頃にここで遊んだ、ここで学んだ人たちが『渋谷、ずいぶん変わったみたいだよ』と再び来ている感じがある」(東浦氏)。
実際、東急は「大人も楽しめる渋谷」へとイメージ転換を図ってきた。その象徴が2012年4月、東急文化会館の跡地に開業した渋谷ヒカリエだ。女性向けの売り場を拡充し、上質なレストランフロアを2層にわたって展開。渋谷の街を一望できる上層階にはミュージカル劇場「東急シアターオーブ」を開場した。客層が変わってきたのは、こうした再開発のたまものと言える。
東浦氏が東急(当時は東京急行電鉄)に入社したのは1985年。当時は「渋谷で働く人なんているの?」という認識だったという。しかし、今やIT企業が集積し、多くの外国人が闊歩する。「昼間の滞留人口が増え、閑散とする時間帯がなくなった。ダイバーシティーを体現した街になった」(東浦氏)。もはや若者の街ではない。老若男女、ワーカーから外国人まで、多様な人々が行き交う街へと変貌を遂げた。
渋谷に面的な広がりが生まれたのは実は、ここ最近だ。12年4月に渋谷ヒカリエが、18年9月には渋谷駅南側に渋谷ストリームが開業した。いずれも東急肝いりのプロジェクトだった。
「ヒカリエでまず渋谷駅の東口に風穴が開き、ストリームで代官山方面への流れができた。そこにスクランブルスクエアがオープンし、駅を中心に東西南北に人が流れるようになった」と東浦氏は見る。分断されていたエリアがつながり、広がっていく「ネオ渋谷」が幕を開けた。
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