「北の宿から」のセールスは140万枚、レコ大を受賞

 番組主題歌、テレビコマーシャルの他、小林は歌謡曲も手掛けている。

 最も知られているのは、都はるみの「北の宿から」だろう。昭和50(1975)年12月に発売されたこの曲は140万枚を超える大ヒットとなった。翌年の「日本レコード大賞」「有線大賞」を受賞している。

 「北の宿から」は、作詞家の阿久悠からの依頼だった。このとき、都はるみは20代後半に差し掛かっており、若さを生かした歌ではなく、“女盛り”を感じさせる歌で勝負したいと阿久は言う。都はるみに、もう一花を咲かせてやりたいという周囲の熱意を感じた。

 しばらくして、阿久から2曲分の歌詞が送られてきた。その1つ、「北の宿から」の「あなた変わりはないですか」という書きだしを見て、古い女性の歌なのかと、首をひねった。そして「女心の未練でしょう」という部分が目に留まった。男に捨てられてもまだ未練が残っている、それを突き放していることが、新しい女性像かもしれないと思い直したのだ。

 2曲の作曲に費やしたのは2時間ほどだった。

 「『結構いいじゃん』と思ったけど、レコード大賞を取るとは思わなかったね」

 「大ヒットの予感はなかったんですか」と問うと「全然」と即答した。

 「書いているときは自分の作っているものは最高だと思っています。そうでないと仕事がなくなる。でも、本当に売れるかどうかなんか分からない。誰にも分からないんじゃないかな」

 「北の宿から」がヒットしたのは、コマーシャルにはない“チーム”が機能したからだと小林は分析する。

 「コマーシャルと違って、僕はメロディーを作らせてもらっているだけ。自分一人でやっているという感覚がない。だからアレンジには口を出していない。はるみちゃんのレコーディングにも立ち会っていない。流行歌というのは、曲を作る人、アレンジする人、広告する人、みんなの熱意があった。1人でも駄目な人がいるとヒットしない。そういうものなんです」

 「北の宿から」のような、老若男女、幅広い人間が口ずさむ流行歌が消えて、久しい。

 「バブル崩壊もあるけど、ある時期からレコード会社で現場の人たちに決裁権がなくなった。銀行から来た人が権限を持っていて、『それを出したら幾らもうかるんだ』って言われてもね。僕たちの歌はばくちだからね。そんなこと言われて分かるもんじゃない。幾らもうかるって言われたら、作れないですよ。昔はね、5、6人で曲を作ろうと考えていて、4人が反対でも1人が当たるって主張したら、出せた。そういうのが当たる。今は3人OKで2人反対。まあ、それでもいいかっていうのを出すから当たらない」

 「曲なんてここを直せって修正してもいいものにならないんですよ」と小林は首を振った。

 「修正するような曲は最初から駄目だってことですよ」

流行がなくなった・・・・・・ちょうどいいな、俺はもう死んじゃうし

 もっとも、かつてのような流行歌が出ないのは日本だけではない。

 「アメリカではこういうのがはやっている、フランスではこういうのがはやっているというのを、昔はみんな知っていたじゃないですか。今は全然分からない。はやるというのがなくなった。それは音楽だけじゃなくてファッションも同じ。音楽理論的にもう新しい発見はない。行くところまで人類は試みちゃったのかもしれない」

 そう言った後、「ちょうどいいな、俺はもう死んじゃうし」と大笑いした。

 「予定では来(2020)年に死ぬことになっている。前から表を作っていて、ずいぶん前から『88で終わり』って書いてある。だから来年はもう駄目なんだろうなって思っているんだけれど、こればっかりは自然の成り行きだからなぁ」

 「未練はないんですか」と尋ねると「嘘みたいだけれど、ないんだよ」ととぼけた口調で言った。

 「運が良かった、楽しい人生だったなぁと思います。テレビの時代の始まりから終わりまで、ずっとやらせてもらった。今もテレビは力があるけれど、昔とは違う」

 小林は昭和49(1974)年に始まったテレビドラマ「寺内貫太郎一家」で主役を務めている。向田邦子脚本のこのドラマは、小林の姿形を広く世間に伝えることになった。アニメーション、コマーシャル、そしてドラマ、バラエティー番組--テレビを縦横無尽に駆け抜けてきた人生とも言える。

 「今、生まれてきて、(自分がやってきたのと)同じことをやろうと思ってもできないですよ」

 「自分はテレビの申し子だったんですよ、運が良かったんですよ」と何度もうなずいた。

(終わり)

2019年8月には小林亜星の作品を4ジャンルにわたって網羅した楽曲全集「小んなうた 亞んなうた」が発売
2019年8月には小林亜星の作品を4ジャンルにわたって網羅した楽曲全集「小んなうた 亞んなうた」が発売
小林亜星(こばやし・あせい)
作詞・作曲・編曲家
昭和30(1955)年慶應義塾大学経済学部卒業。作曲を服部正氏に師事。昭和36(1961)年のCMソング、レナウン「ワンサカ娘」「イエ・イエ」をはじめ、サントリー「オールド」、日立「この木なんの木」など、次々とヒットCMを作曲。他にドラマ音楽、歌謡曲、ポップス、アニメ音楽を作曲。昭和47(1972)年、「ピンポンパン体操」が200万枚を超す大ヒット。レコード大賞童謡賞を受賞。昭和49(1974)年には巨体を買われて向田邦子作のTVドラマ「寺内貫太郎一家」に主演、大好評を得る。以来、作詞・作曲、タレントの両面で活躍する。古賀賞、中山晋平賞、ギャラクシー賞を受賞し、昭和51(1976)年には都はるみ「北の宿から」でレコード大賞を受賞する。平成14(2002)年4月から9月まで放送されたNHK連続テレビ小説「さくら」には、主人公さくら(高野志穂)の祖父役で出演した。2019年8月7日、日本コロムビアよりこれまで手掛けた楽曲をまとめた4枚組アルバム「小(こ)んなうた 亞(あ)んなうた~小林亜星楽曲全集~」をリリース。

(写真/酒井康治)