テレビコマーシャルの幸せな時代

 昭和43(1968)年には「don don di don - shu bi da den」という“オノマトペ”のみのサントリーオールドのCMソング「人間みな兄弟」を世に送り出している。歌っているのはサイラス・モズレーという米国人である。

 「上智大学の神学科の先生。黒人霊歌がうまいっていうのを知っていたので、歌ってもらったんですよ」

 アコースティックギターと野太い声のみ、哀しげな旋律の「人間みな兄弟」は朱里エイコが歌った「イエ・イエ」とは全く雰囲気が違う。

 小林は昭和39(1964)年に初めて米ニューヨークを訪れた。ジャズの好きな彼は、黒人居住区であるハーレムに足を運んでいる。その日は日曜日で教会でゴスペルを演奏していた。それを聴いて思わず涙を流したという。「人間みな兄弟」はこの経験に触発されて作られた。

 「同じようなイディオム、同じようなことをやるのはあんまり好きじゃないので。同じじゃ意味がない。コマーシャルなんて一つ一つ違っていないと。まあ、なんでもそうでしょうけれどね」

 小林は日本社会の変化を肌で感じていたと言う。コマーシャルはそれを映す鏡でもあった。

 「あのころは毎年、いろんなものが変わっていた。それをみんなが分かっていた時代ですね」

昭和世代なら記憶に残っているであろう“名CMソング”「積水ハウスの歌」「酒は大関こころいき」「明治チェルシーの唄」など、小林が手掛けた作品は枚挙にいとまがない
昭和世代なら記憶に残っているであろう“名CMソング”「積水ハウスの歌」「酒は大関こころいき」「明治チェルシーの唄」など、小林が手掛けた作品は枚挙にいとまがない

 代表作の1つ、日立製作所の「この木なんの木」は昭和48(1973)年4月の録音である。青空に青々とした木が映し出される、このコマーシャルは日立グループの提供するテレビ番組で長期にわたって放送されることになった。

 「こうした曲は、作ったときに『長く愛される』という予感はあるものですか」と聞くと、小林は「ないない」と大きく手を振った。

 「全然ないです。『この木なんの木』なんて(歌詞を)、普通は日立が作らせてくれるわけがない。日立とも何とも入っていないんだから。日立を創業した方のお孫さんと仲が良かったんですよ。学習院(大学)を出て宣伝担当をしていた。その人が作らせてくれたから残っているんでね」

 作詞は伊藤アキラである。小林は伊藤を「広告というものを熟知しており、知的な言葉遊びのできる人間である」と評する。後に、小林と伊藤は新興産業のCMソング「パッ!とさいでりあ」でも作詞、作曲で組んでいる。

 「コンセプトは伊藤さんが考えてくれた。(コマーシャル映像に使われている)あんな木なんて、歌に合うのをハワイかどっかから探してきたんでね。後から、あれがあの木だなんていうふうにしたけど」

 コマーシャルの仕事が気に入ったのは、曲のコンセプト、ミュージシャンの選択、アレンジ、全てを自分一人で好きなようにできるからだと小林は言う。

 「コマーシャルがいいのはそれだけですよ。いろんな人に相談する必要がない。クライアントさえ気に入ればOK。クライアントって下っ端の言うことを聞いても、社長に『なんだこれ』って言われたら終わりじゃん。だから社長と仲良くなる。(自分の仕事をしている企業は)みんな社長と仲が良い。友達」

 「やはり、小林さんは営業に向いているんですね」と口を挟むと小林は「お恥ずかしい」と頭を少し下げた。

 昭和45(1970)年前後、30歳代後半に差し掛かっていた小林は、1日3曲ほど曲を作っていたという。このとき、小林が心掛けていたのは、「明るく、爽やか」な精神状態で曲を作ることだった。

 朝起きると、目に目薬、鼻からは点鼻薬、肌にデオドラント剤をたたき付けて頭をすっきりさせた。そして、「明るく爽やか」と呪文のように唱えて曲作りを始めた。

 前出の「亜星流!」ではこう書いている。

 〈でもその気にならなければつくれないから、明るくさわやかにしていなくてはならない。毎日つくらなければならないし、クライアントから満足を得られなくてはいけない。だからものすごく辛い。やっとできて録音をし、さあ帰るとなると夜も更けている。そうすると、今日はできてよかった、スポンサーもOKをくれた。ほっとしてとりあえず緊張感から解放され、あとは飲むしかない、ということになる。
 毎晩ボトル一本のウイスキーを明け方まで飲んだら、また朝が来て、また緊張して明るくさやわかになってつくる。そんな悪循環の毎日が続きました。そしてこんなことをくり返しているうちに、極度のストレスがたまって、体重はあっという間に百キロをオーバーしていました〉

 どんな商品であれ、それを売ることが人々の幸せにつながると無邪気に信じられた時代だったと小林は振り返る。

 テレビコマーシャルの幸せな時代だったと言える。